上海で祖父は政府高官で祖母は李鴻章の長女という大家族のもとで生まれ育つ。アメリカのミッション系小学校に編入し、張煐からに改名。ロンドン大学への留学を希望するが父の猛烈な反対にあい、日本軍の上海侵攻も重なり断念。1939年に香港大学入学。実家の経済状況が悪化し退学。文筆活動を始め、エッセー、短編小説が評判となる。1944年発表の小説『伝奇』が発売4日後で売りきれるという大ベストセラーになり、作家としての名声を不動のものとした。1955年にアメリカに移住。1960年に市民権を得て、生涯中国には帰らなかった。『赤い恋』『農民音楽隊』ほか著作多数。