シャルル・バルバラ Charles Barbara

  • 生年:1817年
  • 没年:1866年
フランスのオルレアンで、弦楽器製造業の家に生まれる。12才でパリの名門校ルイ・ル・グラン中学校に転校、ここで学業を終える。1836年にパリ 高等音楽院(コンセルヴァトワール)に入学。自然科学にも強い興味を持ち、 理工科大学校(エコール・ポリテクニック)に入る準備をしていたが、転じて文学の世界へ。20代半ばで 放浪芸術家(ボエーム)の仲間入りをし、詩人ボードレール、写真家ナダール、作家シャンフルリらと交流する。その後、短編小説を書き始め、ポーに傾倒。1848年の二月革命後には、オルレアンで新聞の創刊や文芸欄の編集に携わり、ポーの翻訳や、友人たちの作品を紹介した。1850年にパリに戻ると精力的に創作に打ち込み、多くの短編を発表、1855年には初の中編『赤い橋の殺人』をベルギーで出版する。翌年『感動的な物語集』を刊行。1858年には『赤い橋の殺人』が本国フランスで出版され人気を博して版を重ねた。1860年の『私の精神病院』も傑作とされる。
シャルル・バルバラ