ロシア、ソ連の作家。ペテルブルグ工科大学造船学科に入学後、革命運動に参加。大学卒業とともに革命運動を離れ、造船技師として働きながら小説を書く。文学者団体を設立して若手作家の保護と育成に注力するなど、一時は文壇の中心的存在となったが、1921年に完成した『われら』をはじめとする、革命後の世界への風刺を含む作品群が国内の痛烈な批判を浴び、32年には亡命を余儀なくされ、不遇の内に生涯を閉じる。唯一の長編『われら』は第二次世界大戦後にジョージ・オーウェルによって再発見され、世界中で高く評価されることになった。