政治学者。思想家。宮城県出身。海老名弾正らの説教を聞いたことを機に、キリスト教を信仰。その後、東大生時代には海老名主宰の雑誌『新人』の編集を補佐し、キリスト教社会主義者と交流する。大学では小野塚喜平次 の影響を受ける。1909年に東大助教授に就任し、翌年から3年欧米に留学。帰国後の1916年、雑誌『中央公論』に「憲政の本義を説いて其有終の美を済すの途を論ず」を発表し、民本主義を主導。1932年には社会大衆党を結成し、顧問に就任。1933年逝去。『支那革命小史』『現代の政治』など著書多数。『明治文化全集』を編集。