死んでから作家となった書き手がつづる、とんでもなくもおかしい、かなしくも心いやされる物語。カバにさらわれ、始原の世紀へとさかのぼった書き手がそこで見たものは......。ありふれた「不倫話」のなかに、読者をたぶらかすさまざまな仕掛けが施される。
マシャード・ジ・アシスはブラジル文学の頂点に座す作家だ。『ブラス・クーバスの死後の回想』の斬新さ、あまりに型破りで奇抜な形式と内容は、大きな衝撃を今日にまで 与えつづけている。〈訳者〉
ブラジルの文学百選を募ると、この『ブラス・クーバスの死後の回想』(Memorias Postumas de BrasCubas, 1881年)は必ず上位に入り、やはり同じ作者の『ドン・カズムッホ』(Dom Casmurro, 一八九九年)とともに首位を争うこともある。このことが示すようにマシャード・ジ・アシス(1839〜1908年)は、だれもが認めるブラジルの文学の頂点に座す作家である。とりわけ『ブラス・クーバスの死後の回想』の評価は高く、ブラジルの文学のアンソロジーでこの作品を取り上げないものはまずない。『ブラス・クーバスの死後の回想』は、マシャードの文学のみならず、ブラジルの文学全体から見てもきわめて重要な不朽の名作である。
マシャードは残念ながら日本のみならず世界においても、その高い文学的な質にふさわしい知名度を獲得していず、その理由は何よりもポルトガル語で書かれているというのが大きい。もしも英語やフランス語といったもっと文化的(政治的)影響力のある言語で書かれていたら、ヨーロッパの代表的な古典文学と肩を並べていただろうとはよく言われることである。それでも最近では、スーザン・ソンタグやハロルド・ブルームなどの高名な批評家が世界の重要な作家としてマシャードを挙げたこともあって、徐々にではあるが注目されるようになってきている。ソンタグは、あるインタビューで、マシャードは「19世紀の主要な作家の一人であり、ラテンアメリカ最高の作家だ」という言葉を残している。
マシャード・ジ・アシス Machado de Assis |
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[ 1839 - 1908 ] ブラジルを代表する作家。第二帝政期の奴隷制度が敷かれたリオデジャネイロの貧しい家庭で育つ。父方の祖父母は解放奴隷で、母親はポルトガル移民。 独学で、書店や印刷所で働きながら詩人として文壇にデビュー。新聞の時評,詩,戯曲,短・長編小説、翻訳など手がけたジャンルは多岐にわたる。ブラジル文学アカデミーの初代会長を務めた。一般に本書と『ドン・カズムッホ』『キンカス・ボルバ』を合わせた長編小説が三大傑作とされ、「精神科医」をはじめとする短編も評価が高い。マシャードを抜きにブラジルの文学を語れないほどの存在感を誇る。 |
[訳者] 武田千香 Takeda Chika |
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東京外国語大学教員。文学を中心にブラジルの文化を研究する。主な訳書にマシャード・ジ・アシス『ブラス・クーバスの死後の回想』『ドン・カズムッホ』、J.アマード『果てなき大地』、シコ・ブアルキ『ブダペスト』、P.コエーリョ『ポルトベーロの魔女』、著書に『ブラジルのポルトガル語入門』ほか、編書に『現代ポルトガル語辞典』などがある。 |
あとがきのあとがき |
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「複合的な文化をもつ国ブラジルの、善と悪を同時に受け容れる小説」 武田千香さんに聞く |