〈現存在〉の全体性と本来の可能性

存在と時間6

存在と時間6

ハイデガー    
中山 元  訳   
「死」の瞬間に思いを馳せ、いまの「生」を考える。
作品
世界内存在として、その日常性において〈頽落〉し、未完結な存在である現存在は、いかにしてその全体性、本来の固有の可能性を実現できるのか? 〈死に臨む存在〉として、みずからの死に直面するあり方、「死への先駆」を考察することで明らかにする。(第2篇第2章第60節まで)
内容
自分の死は体験できない。いつ死ぬかは分からない。が、必ず死ぬ。死の無規定性と確実性のあいだで生きる〈現存在〉は、むしろ生きている瞬間において、自分の死の瞬間に思いを馳せ、その死の瞬間からそれまでの自分の生の全体を思い見ることのできる存在者なのである。
目次
存在と時間6
 
第一部 時間性に基づいた現存在の解釈と、存在への問いの超越論的な地平としての時間の解明    11
第二篇 現存在と時間性    11
  • 第四五節 現存在の予備的な基礎分析の成果、ならびにこの存在者の根源的な実存論的解釈の課題    11
  • 第一章 現存在に可能な全体存在と〈死に臨む存在〉    29
  • 第四六節 現存在にふさわしい全体存在を存在論的に把握し、規定することが不可能にみえること    29
  • 第四七節 他者の死の経験の可能性と全体的な現存在の把握可能性    35
  • 第四八節 〈残りのもの〉、終わり、全体性    49
  • 第四九節 死の実存論的な分析と、死の現象について可能なその他の解釈の領域の確定    68
  • 第五〇節 死の実存論的かつ存在論的な構造のあらかじめの素描    79
  • 第五一節 〈死に臨む存在〉と現存在の日常性    89
  • 第五二節 日常的な〈終わりに臨む存在〉と、死の完全な実存論的な概念    99
  • 第五三節 本来的な〈死に臨む存在〉の実存論的な投企    117
  • 第二章 本来的な存在可能を現存在にふさわしい形で証すこと、決意性    142
  • 第五四節 本来的な実存的可能性の証しの問題    142
  • 第五五節 良心の実存論的・存在論的な諸基礎    152
  • 第五六節 良心の呼び掛けとしての性格    161
  • 第五七節 気遣いの呼び掛けとしての良心    169
  • 第五八節 呼び起こすことの理解と負い目    189
  • 第五九節 良心の実存論的な解釈と通俗的な良心の解釈    222
  • 第六〇節 良心のうちに〈証し〉される本来的な存在可能の実存論的な構造    244
 解説 中山元
 
第一部第二篇 現存在と時間性
  • 第四五節

第四五節 現存在の予備的な基礎分析の成果、ならびにこの存在者の根源的な実存論的解釈の課題  275
これまでの分析の成果(681〜684)/三つの構造契機とその限界(684〜687)/新たな視点の導入(688〜690)/第二篇の構成(691〜695)

第一章 現存在に可能な全体存在と〈死に臨む存在〉  284
  • 第四六節
  • 第四七節
  • 第四八節
  • 第四九節
  • 第五〇節
  • 第五一節
  • 第五二節
  • 第五三節

第四六節 現存在にふさわしい全体存在を存在論的に把握し、規定することが不可能にみえること  284
現存在の死と全体性(696〜701)

第四七節 他者の死の経験の可能性と全体的な現存在の把握可能性  288
他者の死の経験の不可能性(702〜710)/代理の可能性と不可能性(711〜715)/人間の死と動物の落命(716〜717)

第四八節 〈残りのもの〉、終わり、全体性  301
死の三つのテーゼ(718〜721)/「まだない」の四つの概念/三種類の欠如のある存在者と現存在の死の比較/〈残りのもの〉の四つの概念(722)/「残りのもの」と現存在の死の違い(723)/満月の「まだない」と現存在の「まだない」の比較(724)/果実の成熟と現存在の死の共通性(725)/果実の成熟と現存在の死の違い(726〜728)/ニーチェの成熟についての考察/終わりと「完成」の違いの実例(729〜732)/「終わりに臨む存在」(733〜736)

第四九節 死の実存論的な分析と、死の現象について可能なその他の解釈の領域の確定  325
死の生物学的および医学的な考察(737〜739)/死の心理学的および民族学的な考察(740)/死の宗教的、哲学的な考察(741〜744)

第五〇節 死の実存論的かつ存在論的な構造のあらかじめの素描  334
死の存在論的な考察の枠組み(745〜746)/死の実存論的な規定(747〜749)/死の第一の定式化(750〜751)/死への不安(752〜753)

第五一節 〈死に臨む存在〉と現存在の日常性  342
頽落の構造における死(754)/死についての「世間話」(755〜756)/死と不安(757)/死についての「好奇心」/死のもたらす「曖昧さ」(758〜759)/死の存在論的な概念へ向けて(760)

第五二節 日常的な〈終わりに臨む存在〉と、死の完全な実存論的な概念  351
死の確実さ(761〜762)/真理と確実性(763)/真理と確実性にかかわる二つの側面(764〜765)/知覚と真理/死の確実さ(766〜770)/死の無規定性(771〜772)/死の最終的な定式化(773〜777)

第五三節 本来的な〈死に臨む存在〉の実存論的な投企  371
二段階の死の分析(778)/新たな死の分析のための方法論(779〜780)/死を目的連関から考えること/死は目的ではない(781〜782)/死への思索——死への直面を回避するための一つの形態として(783)/死への期待——死への直面を回避する別の形態(784)/死への先駆とは(785)/死への先駆と実存の存在論的な特徴(786)/〈もっとも固有な可能性〉——死への先駆の第一の特徴(787)/死と他者との関係——死への先駆の第二の特徴(788)/〈追い越すことのできない〉可能性——死への先駆の第三の特徴(789)/死と〈確実〉な可能性——死への先駆の第四の特徴(790〜791)/無規定性——死への先駆の第五の特徴(792)/結論(793)/新たな問い(794〜796)

第二章 本来的な存在可能を現存在にふさわしい形で証すこと、決意性  406 
  • 第五四節
  • 第五五節
  • 第五六節
  • 第五七節
  • 第五八節
  • 第五九節
  • 第六〇節

第五四節 本来的な実存的可能性の証しの問題  406
日常性からの逸脱としての本来性(797〜798)/決意の意味(799)/選択の選択/証し(800〜803)/良心の事実性——自己に対する証し/良心は開示する——他者に対する証し(804)

第五五節 良心の実存論的・存在論的な諸基礎  424
良心と語り掛け(804〜808)/良心の考察方法(809)

第五六節 良心の呼び掛けとしての性格  426
良心の呼び掛けの三極構造(810〜814)/呼び掛けの否定的な性格(815〜818)

第五七節 気遣いの呼び掛けとしての良心  431
呼び掛ける者と呼び掛けられる者の関係(819〜820)/呼び掛けるものの無規定性(821)/良心の呼び掛けへの誤解(822)/良心の実存論的な考察(823〜827)/その現象の「証し」(828〜829)/良心と気遣い(830)/神学的な良心論の批判(831)/心理学的な良心論(832)/哲学的な良心論の批判(833〜837)

第五八節 呼び起こすことの理解と負い目  455
負い目の概念(838)/呼び掛けの構図(839〜841)/通俗的な良心概念との関係(842)/「負い目」についての一般的な理解(843〜844)/他者に罪を犯すこと(845〜848)/欠落の概念について(849〜850)/無力としての負い目/実存のうちの無性(851)/存在可能と根拠(852〜853)/無力と自由(854)/現存在の頽落の必然性(855)/悪と欠如(856〜858)/負い目と道徳性(859)/アイヒマンの実例/良心の呼び掛けと負い目(860)/良心の働き(861〜866)/疚しい良心と疚しくない良心(867)/良心と自由/良心論の逆説(868)/良心と他者(869〜870)

第五九節 良心の実存論的な解釈と通俗的な良心解釈  499
 通俗的な良心論からの四つの異論(871〜874)/「疚しい良心」(875)/良心の声の概念の背後にある「予持」の批判(876〜880)/存在論的な良心と通俗的な良心/第三の異論への反論(881)/カントとシェーラーの批判(882〜883)/第二の異論への反論(884)/第一の異論への反論(885〜888)

第六〇節 良心のうちに〈証し〉される本来的な存在可能の実存論的な構造  521
  良心の開示性(889〜893)/決意性の第一の特徴——実存論的な概念(894)/決意性の第二の特徴——真理性(895)/決意性の第三の特徴——世界と他者と自己の開示(896〜898)/決意性と決断(899)/決意性の弁証法的な構造(900)/状況(901〜903)/行為の概念(904〜906)

 年譜
 訳者あとがき
マルティン・ハイデガー    Martin Heidegger
[ 1889 - 1976 ]    ドイツの哲学者。フライブルク大学で哲学を学び、フッサールの現象学に大きな影響を受ける。1923年マールブルク大学教授となり、1927年本書『存在と時間』を刊行。当時の哲学界に大きな衝撃を与えた。翌1928年フライブルク大学に戻り、フッサール後任の正教授となる。ナチス台頭期の1933年に学長に選任されるも1年で辞職。この時期の学長としての活動が、第二次大戦直後から多くの批判をうける。大戦後は一時的に教授活動を禁止された。1951年に復職、その後86歳で死去するまで旺盛な活動を続けた。
[訳者] 中山 元    Nakayama Gen
1949年生まれ。哲学者、翻訳家。主著に『思考のトポス』『フーコー入門』『はじめて読むフーコー』『思考の用語辞典』『賢者と羊飼い』『フーコー 生権力と統治性』『フーコー 思考の考古学』ほか。訳書に『自我論集』『エロス論集』『幻想の未来/文化への不満』『人はなぜ戦争をするのか』(以上、フロイト)、『パピエ・マシン(上・下)』(デリダ)、『永遠平和のために/啓蒙とは何か 他3編』『純粋理性批判』(カント)、『人間不平等起源論』『社会契約論/ジュネーヴ草稿』(共にルソー)、『職業としての政治 職業としての学問』『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(共にウェーバー)、『善悪の彼岸』『道徳の系譜学』(共にニーチェ)、『存在と時間』(ハイデガー)ほか多数。