序文
【1-1】後醍醐天皇が武臣を滅ぼす計画を立てられたこと
【1-6】土岐十郎と多治見四郎と謀叛について︱および無礼講について
【1-8】謀叛計画の発覚
【2-2】二条為明卿の和歌について
【2-6】阿新殿のこと
【3-1】後醍醐天皇が笠置に臨幸したこと
【4-4】和田備後三郎が落書を書いたこと
【5-4】相模入道が田楽を好んだこと
【5-5】犬について
【5-7】大塔宮が般若寺の経櫃に入ったこと
【6-5】聖徳太子の『未来記』について
【6-9】赤坂城の戦いについて──また、人見と本間が戦死したこと
【7-2】村上義光が大塔宮に代わって自害したこと
【7-3】千早城の戦い
【7-5】赤松が後醍醐天皇のために挙兵したこと
【7-7】後醍醐天皇が船上山に臨幸したこと
【7-8】名和長年が後醍醐天皇の味方となったこと
【9-1】足利殿が上洛したこと
【9-5】五月七日の合戦について
【9-7】六波羅探題軍が番場宿で自決したこと
【10-8】鎌倉の市街戦のこと
【10-9】北条高時の自害
【12-1】公家が天下を統一して行った政治
【12-4】千種忠顕について
【12-5】文観僧正について
【12-7】広有が怪鳥を射殺したこと
【12-9】兵部卿護良親王が流罪にされたこと
【13-3】北山殿西園寺公宗が後醍醐天皇暗殺の陰謀をめぐらせたこと
【13-4】中先代の乱
【13-5】兵部卿護良親王を殺害したこと
【13-7】足利尊氏の東国下向
【14-8】箱根の戦い
【14-20】結城親光の戦死
【15-3】三井寺の戦い
【15-18】多々良浜の戦い
【16-2】新田義貞が出陣したこと
【16-7】楠木正成が兵庫に向かい、子息に教訓を遺したこと
【16-9】本間重氏が鳥を射落としたこと
【16-10】楠木正成の戦死
【16-14】楠木正行が父正成の首を見て悲嘆に暮れたこと
【17-10】新田義貞が足利尊氏と戦ったこと
【17-13】堀口貞満が後醍醐天皇の帰京を制止したこと
【17-18】北陸地方に転進した新田軍に凍死者が続出したこと
【18-7】瓜生の老母について
【18-13】比叡山延暦寺の起源および室町幕府が山門の所領を承認したこと
【19-4】金ケ崎の皇太子恒良親王と将軍宮成良親王の死
【19-9】美濃国青野原の戦い
【20-13】左中将新田義貞の首が獄舎の門に懸けられたこと