「黙過という言葉が気になっている」
昨年の12月、罪と罰第2巻の読書ガイドを書いている時に出会った、聖書の中にある「黙過」という言葉。
この言葉をキーに、最近行われた三田誠広氏、平野啓一郎氏、加賀乙彦氏、吉岡忍氏との対談、村上春樹氏の『1Q84』に引用されている『カラマーゾフの兄弟』についての考察、さらには1984年と2001年9月、ロシアでの旅の途上で巻きこまれた事件を織り交ぜながら、『罪と罰』を読み解くモチーフを解説していただきました。翻訳完結の熱が冷めない充実した2時間でした。
大学時代、文学は登場人物に同期(シンクロナイズ)することと思い、その苦しさゆえに一度ドストエフスキーの研究から離れ、詩人フレーブニコフの研究を選択した亀山さん。
1984年に、フレーブニコフの故郷を訪ねた初めてのソ連で体験した、スパイ容疑、兵士からの尋問と拘束、その恐怖。
それがきっかけで、「テキストを読み理解したこと、体験したことを同時に言語化すること」が文学であると、再びドストエフスキー研究に向かい、後に『ドストエフスキー 父殺しの文学』(NHKブックス刊 )として上梓される論文に取りかかった。
これは、スターリン時代という抑圧の中で、28歳で死刑宣告を受けながら、いかに権力と折り合いをつけていくかを考えながら生きたドストエフスキーの「二枚舌」をテーマにしたもの。
2001年9月ドストエフスキーの父親が亡くなった地チェレマシニアを訪ね、父親の立場からサンクトペテルブルクで学ぶ17歳のドストエフスキーを想像することができたその時に、この本の構図が固まったという。
そして、その翌朝移動したロンドンで知った、同時多発テロ「9.11」。
その時に書き留めた、「神が死んだ、からだが死んだ」という言葉。
崩落するビルと落ちてゆく人影の映像が、自身の黙過の体験として強く刻まれ、昨年12月の『罪と罰』第2巻の読書ガイドでの「黙過」の発見へと繋がった。
今回の講演を聞いて、『罪と罰』は、読み解かれるべきテーマが、幾層にも重なり、深く、何度も読みたくなる、読まざるをえない作品だと感じました。骨太な作品ですが、全巻完結した今、ぜひ、手にとって体験していただければと思います。
『罪と罰』は現在募集中の「光文社古典新訳文庫感想文コンクール」の課題図書でもあります。現代の時代状況と似ているのではないか、というお話もありましたが、ぜひ、みなさんの「現在」を『罪と罰』に照射した感想文を届けてください。
■講演終了後に行われたサイン会
「新訳、旧訳ともドストエフスキーの作品を愛読しています。次は、チェーホフ(7月発売されました!)の新訳が読みたい。」(30代女性/会社員)、「亀山先生独自の文学的視点が新訳に出ていると思います」(20代女性/会社員)、「最近、読み始めて面白さにはまりました」(30代男性/会社員)とその彼に「触発されて読み始めました」(30代女性/会社員)、という読者100名を超える方々が並んでくださいました。
《参考》
●亀山郁夫氏は2008年にプーシキン賞(ロシア語の普及・研究、ロシア文化遺産の保持と振興に貢献した者に対して与えられる勲章)を受章。
また、ペテルスブルク大学では記念講演が行われました。
●週刊読書人(2009年7月24日号)
「亀山郁夫・三田誠広=対談/「ドストエフスキー『罪と罰』のもう一つの可能性」
●亀山郁夫氏による「『1Q84』についての考察」は、「新潮45」誌上で掲載予定
●中央公論 2009年7月号
「ドストエフスキーと現代の殺人」 対談/亀山郁夫・平野啓一郎
●神奈川大学評論 第62号
「同時代の運命を生きる文学―カタストロフと人間をめぐって」
対談/亀山郁夫・吉岡 忍
●「甦るフレーブニコフ」 (平凡社ライブラリー) 亀山郁夫:著
●『罪と罰』ノート (平凡社新書) 亀山郁夫:著
●「ドストエフスキー父殺しの文学」〈上〉〈下〉(NHKブックス)亀山郁夫:著
●Pieria Books『ドストエフスキー 共苦する力』(東京外国語大学出版会) 亀山郁夫:著
罪と罰 3<全3巻 最終巻> ドストエフスキー/亀山郁夫 訳 定価 920円(税込み) |