5月から毎月開催している〈カフェ光文社古典新訳文庫〉も、はや5回目となりました。
9月27日(日)14:00から開催した第5回は『種の起源』の翻訳者・渡辺政隆さんをお迎えし、
ダーウィン『種の起源』「ダーウィンの散歩道~進化論の生まれた場所」と題して、"ナチュラリスト" ダーウィンの生涯を中心にお話をしていただきました。
チャールズ・ロバート・ダーウィンは、1809年にイングランドに生まれ、ダーウィンの生誕200年にあたる今年は、イギリス、日本でも記念イベントが数々行われています。
『種の起源』が出版されたのは1859年。ダーウィンが50歳の時。初版1250部は出版してすぐに完売し、その後ミスを訂正したり、批判に対応して新たに章を加えたりして、存命中に六版まで重ねたという。(※今回の新訳は、初版をもとにしています)
祖父、父ともに医者で、母方の祖父はウェッジウッドの創始者という恵まれた家に生まれ、ダーウィン自身も医者になるべくエジンバラ大学へ進むが、解剖ができず、退学。
牧師であればナチュラリストとして生きていけるのでは、とケンブリッジ大学へ進み、卒業した22歳の時にビーグル号の航海に同乗しないかという話が舞い込む。全く無名だった青年が、航海先から送った膨大な標本と観察日誌が評判となり、帰還後は一躍、学界の寵児となっていた。その時、ダーウィン28歳。航海で目にした熱帯、不思議な生きもの、化石などなどに歓喜し、生命はすべて神が創造したものという創造説に疑念を抱いて下船していた。
その後結婚し、ロンドンから郊外のダウン村に移住し、家族に囲まれ穏やかな生活をしながら研究と執筆に打ち込み、20年以上の年月をかけて『種の起源』を出版した。
そして、『種の起源』を出版した後、英国科学振興協会で論争が起こったが、最期は歴代の国王が眠るウェストミンスター・アビーに埋葬(ニュートンのお墓の隣)された。
生涯、職業はなく、カントリージェントルマンとして生き、研究と執筆に没頭した人生を生家の写真やダウン村の家、書斎、家族の肖像、華麗な家系図(ウェッジウッド家から経済学者ケインズにまでつながる!)など、ダーウィンの人となりを作った背景とともに、お話は進みました。
なぜ、生物はこんなにたくさんいるのか、なぜ自分たちはここにいるのか、という疑問から出発し『種の起源』を書き上げたダーウィン。
「その偉大さは、『人間はチンパンジーから進化したのではなく、共通の祖先から枝分かれしてきたのであって、進化は進歩ではない』と考え、進化論を科学である「進化学」にしたこと、進化のメカニズムとして自然淘汰説を提唱したこと、そして生態学、行動学につながるアイデアを記したその先見性にある。」と渡辺さん。「偉大な思想家であり、科学者だ。」と。
お話を聞きながら、なんていい人生なんだろう、としみじみ思いました。まわりにちょっと流されたり、壁にぶつかりながらも、最終的には自分の意思と希望を貫くと同時に、運命の采配にも恵まれていた人ではないでしょうか。
それから、約半数の国民が創造論を信じているアメリカで、科学教育を推進するための
"プロジェクト・スティーヴ"という運動があるそうです(科学者のスティーヴン・ジェイ・グールドにちなんで)。世界中のスティーヴさんに、進化の勉強は大切だという署名をしてもらうというもの。ホーキング博士も署名済み。そして生誕200年の今年、署名は1000人に達し、1000人目のスティーヴさんが生物学の先生をしているスティーヴ・ダーウィンさんだった!
種の起源(上)
ダーウィン 作/渡辺政隆 訳
定価907円(税込み)
※下巻は12月発売予定です。