産経新聞大阪版の夕刊文化欄で連載された(2011年5月〜2012年8月)高遠弘美さん「プルーストと暮らす日々」の第5回です。
プルーストと暮らす日々 5
『失われた時を求めて』は何ヵ国語にも訳されていて、全訳ということでなければ、訳者の中には、ナチスに追われて逃げるさなかに自殺したとされる思想家のベンヤミン(独訳)らもいる。
ただ西洋語だけだろうと漠然と思っていたら、若い友人がパリからの帰途、上海に寄って探してきてくれたのが中国語訳の『失われた時を求めて』(第一巻、二〇〇九)だった。 八四年以降、一部の評論集やプルースト論などが訳されてきたが、特にここ数年はプルーストの作品が続々と出版されているという。第一巻(周克希訳)などは複数の版があるらしい。ここでは手もとの版に即して、簡体字を現代日本語の漢字に直して引いてみよう。
馬塞爾・普魯斯特(マルセル・プルースト)著『追尋逝去的時光』(失われた時を求めて)「去斯万家那辺」(スワン家のほうへ)。
固有名詞もすべて漢字になるから、あてずっぽうに発音してみただけでも「なるほど」と妙に納得がいって愉しい。スワンは斯万、第一巻第一章「コンブレー」は「貢布雷」、第二章「スワンの恋」は「斯万的愛情」となるのだ。
ところが、「節本」(抄本)と書いてあるだけあって、妙に短い。訳者前書きを読むと、第一巻を四分の一に縮めたというから、ダイジェスト版もいいところである。それでも中を見てゆくと、わからぬなりに苦労のほどが偲ばれて、「おお、ここにも同志あり」と言いたくなる。
開巻冒頭は「晩餐過去了。唉、我又得離開媽媽了」。
拙訳で言えば四十頁。「夕食が済むとじきに、......お母さんと別れて私は寝室へ行かなければならなかった」あたりになろうか。
有名なプチット・マドレーヌ「小瑪得萊娜」の挿話もそれなりに工夫がなされているような気がする。
文化大革命当時であれば、絶対に出なかったであろうプルーストを、たとえ抄本でも現代中国の人々が読んでいる。時代はやはり進んでいると言っていいのかもしれない。
(2011年6月9日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)