産経新聞大阪版の夕刊文化欄で連載された(2011年5月〜2012年8月)高遠弘美さんの「プルーストと暮らす日々」の第6回です。
プルーストと暮らす日々 6
大正十一(一九二二)年十一月にプルーストが他界した翌春、パリ駐在の特派員だった重徳泗水(しげのりしすい)は死後刊行となった『失われた時を求めて』第五篇「囚われの女」の一部として結実する「彼女の眠」を、文芸誌「明星」誌上に訳載する。これは死ぬ数週間前にプルーストが、雑誌に発表した断片の抄訳であり、初めて日本の読者の目に触れたプルースト訳だった。
泗水は、すでに『現代のフランス』(大正十年)と『佛蘭西文化の最新知識』(同十一年)の二冊で、プルーストについて触れているが、とくに後者では八頁を割いて詳述している。新字に直して引用しよう。
「彼(プルースト)には明確で透徹した知能があり、そしてその感受性は強烈である。故に彼は繊細である。彼の感受性は強いだけに彼の受くる諸々の印象は強く彼に感応せらるる。......彼はこの自身の心の函のなかを覗いて、これ等の印象を引張り出すが、それは宛も只今受けたばかりのやうに清新鮮明である」
『失われた時を求めて』がまだ途中までしか出ていないプルースト生前に書かれた文章とは思えないほどだ。
泗水がプルーストを訳したのは「彼女の眠」だけだったが、私はときどき訳筆を休めて、この先達に思いを馳せる。泗水の翻訳はいま読んでも「清新鮮明」である。
語り手が恋人の眠りを描写するくだりを引こう。
「私は曾て明月の下で、浜辺に仰臥した時と同じゆつくりした心持でそれ(恋人の眠り)を眺め、それを聴いて居た。時時海が荒れ出し、その荒れが湾まで押し寄せて来たやうに思はれることもあつた。私は彼女に身をくつ付けて太まるその呼吸の高鳴りを聴いた」
プルーストがその後、雑誌で訳されたのは昭和三年。神西清訳による初期作品だった。最初の単行本は堀田周一訳『プルースト随筆』(昭和五年)である。以来、あまたの翻訳がなされてきた。私の訳業を支えているのは読者と、そうした先人たちの情熱にほかならない。
(2011年6月16日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)