2011.07.07

高遠弘美さん―産経新聞夕刊(大阪版)連載 第8回「プルーストと暮らす日々」

産経新聞大阪版の夕刊文化欄で連載された(2011年5月〜2012年8月)高遠弘美さん「プルーストと暮らす日々」の第8回です。

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プルーストと暮らす日々 8

何かを思い悩むほうでは決してないのに、妙なところで気後れして、あとで悔やむということが私にはよくある。

たとえば、私淑(親炙ではない)していた小説家の石川淳が自作の俳句を記した扇面は、偶然古書店のカタログで見つけて小躍りしたものの、十数万円という値段にどうしても決断できず、三日間悩んだ果てに、清水の舞台から飛び下りたつもりで頼んだところ、すでに売れたあとだった。

どうせ買う気になるのなら思い立ったが吉日。すぐに注文を出すべきであった。

昔、はじめてパリに行ったとき、さる有名古書店のショーウィンドーに、プルースト直筆の書簡が額に収まって麗々しく飾られているのを見つけたことがある。

澁澤龍彦はマルキ・ド・サドの自筆書簡を持っているという話は聞いていたから、愛する作家の手になるものであれば、断簡零墨であろうと蒐めなくてはならないと思ってはいたけれど、いざ重たそうな扉を押して店内に入る段になって足がすくんだ。

いくら大学院でプルーストを専攻したとはいえ、いまだ修業中の身。そんな大それた買い物をしていいのかという迷いがあったことは確かである。

だが、次のような思いも交錯した。外から見る限り値札はついていなかったから、主人に直接聞くしかない。もしとても手の出ない金額を言われたらどうしよう。「それならいいです」では最初から冷やかしのようではないか。プルーストに対してさすがにそれはできない。と言って、千載一遇のチャンスを逃してはならない。今日買わなければ、次にいつ直接書簡に出会えるかわからないからである。さていかにせん......喉から手が出るほどほしかったその書簡はしかし、いま私の手もとにはない。

そう、私は買えなかったどころか、結局、店に入る勇気すら持てなかったのだ。直筆書簡は研究には必要ないなどと自分を納得させたのだろう、たぶん。

されど、今なお繰り返し夢に見るのは、ついに手に入れることができなかったその書簡なのである。
(2011年6月30日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)

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失われた時を求めて6 第三篇 「ゲルマントのほうⅡ」

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プルースト
高遠弘美 訳
失われた時を求めて5

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失われた時を求めて2 第一篇「スワン家のほうへII」

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失われた時を求めて1 第一篇「スワン家のほうへI」

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消え去ったアルベルチーヌ

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