産経新聞大阪版の夕刊文化欄で連載された(2011年5月〜2012年8月)高遠弘美さん「プルーストと暮らす日々」の第9回です。
プルーストと暮らす日々 9
翻訳する著者の本はできる限り揃えるというのが私のモットーである。
最初の翻訳となったロミ『突飛(とっぴ)なるものの歴史』の場合、訳し始めたときには、ロミがロベール・ミケルの頭文字をとった筆名だということもわからなかった。ロミなる作家がどういう本を書いているのかも不明で、その二十冊近い全著作や雑誌に寄稿した逸文まで蒐(あつ)めるのに十年はかかった。
ひと頃、一年に二度はパリに行っていたことがある。そのたびに、古本屋をしらみつぶしに探してもなかなかロミは出てこない。いかにも重厚な古書店に入って、ロミの本はありませんかと尋ねると、それはいつごろの著者かと逆に聞かれた。
「大戦後、とくに一九六〇年代から活躍した文筆家です」。それを聞いた厳格そうな主人いわく、「ムッシュー。古書というのは、十七世紀か十八世紀以前の本を言うのです。そんなに新しい著者の本は古書店にはありません」。
プルーストの場合、まさかその翻訳を自分ですることになるとは考えてもみなかったが、最初のパリ滞在の折に、『失われた時を求めて』「スワン家のほうへ」の初版(一九一三)は思い切って買った。
どこの出版社からも断られてやむなく自費出版した千七百五十部の一冊である。
ソルボンヌ大学にほど近い古本屋。ショーウインドーに入った一冊を見て、さすがに胸が震えた。
これを直接見たいのですが、と店員に言った声も、受けとった手も震えていただろう。さぞかし高いだろうと思ったが、状態があまりよくなかったせいか、意外な安値がついていた。
迷わず買って、近くのカフェに座ってページを開くまで、動悸がしていたと思う。目は血走っていたのではなかろうか。その後しばらくしてもう一冊、状態のいい初版を手に入れたけれど、いまだに、最初のものはもっとも大切な本の一冊である。
それを繙(ひもと)くたびに、はじめてプルーストを読んだ人々の心のときめきがよみがえるような気がするのだ。
(2011年7月7日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)