産経新聞大阪版の夕刊文化欄で連載された(2011年5月〜2012年8月)高遠弘美さん「プルーストと暮らす日々」の第14回です。
プルーストと暮らす日々 14
下訳という言葉がある。多くは大家が、自分が訳すべき原書を弟子や後輩に最初に訳させる草稿を指すのだが、かつてはそういうことがしばしば行われていた。
私も大学院生の頃、先生方の下訳を何冊かしたことがある。
今から思うとある種の徒弟制度的慣行というしかないけれど、不思議なことではなかった。だが、いつの間にか下訳をさせる翻訳家がいなくなった。いや、いまだにいるかもしれないが、それは一部にすぎないだろう。ほとんどの翻訳家は自分で汗を流して一行一行日本語にしてゆくと思う。
私の場合も、最初の翻訳からいまのプルーストにいたるまで、翻訳はむろんのこと、資料調査や注作成で誰かの手を煩わせたことは一度もない。最初から私の訳は私がしたものであり、それゆえに、プルーストをひとりで訳す仕事が私のライフワークにもなる。
下訳が少なくなった結果、何が変わったか。私の勝手な感想を言えば、おそらく単純な誤訳が激減した。大学院に存学か修了したてではやはり語学力に問題がある。勘違いが少なくないのだ。細かなミスを日本語を見て残らず修正するというのはおそらく大家でも難しかったのではなかろうか。
下訳が広く行われていた背景には、読者の側の権威主義もある。無名の翻訳家より世間で名を知られた訳者のほうがいい翻訳をするはずだと頭から決めつける傾向があったからである。最近、古典作品の「新訳」が盛んになされているのは、読者が権威主義から脱したこととも無関係ではないだろう。
翻訳家は、原著と日本語の橋渡しをする。自分で訳してこそ、責任を持って著者と読者を結びつけることができる。
その一方で----矛盾することを言うようだが----私は下訳を任せて下さった先生方に感謝している。かつて師と仰ぐ作家の方が私に仰言ったことがある。
「ぼくもずいぶん下訳をしたけれど、あれはいい勉強になったよ」。その意味からすれば、私は下訳を通じて翻訳の要諦を学んだのかもしれない。
(2011年8月11日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)