産経新聞大阪版の夕刊文化欄で連載された(2011年5月〜2012年8月)高遠弘美さん「プルーストと暮らす日々」の第18回です。
プルーストと暮らす日々 18
この時期、パリではそろそろ秋の気配が濃厚になってくる。パリの緯度は札幌よりはるか北になるから当然なのだが、日本ではしばらく残暑厳しい日が続く。避暑地はまだまだ賑わっていることだろう。
箱根、軽井沢、蓼科、那須高原と名前を口にしただけで一陣の涼風が吹いてくるような気がするのは私だけではないと思う。
フランスの地名にもそうした連想を誘う何かが含まれているのは当然だろう。プルーストはそれをきわめて詩的に書く。代表的なのが、まさに「土地の名・名」と題された「スワン家のほうへ」第三章。そこにはまだ見ぬ土地の名前から、突飛とも言える豊かな連想を働かせる語り手がいる。
たとえば、イタリアの古都フィレンツェについてはこんな具合だ。
「フィレンツェ(フローランス)に関しては、驚くほどに芳香の漂う、まるで花冠のごとき町を思い浮かべる場合とよく似ていたが、それはフィレンツェが百合の都と呼ばれ、その大聖堂はサンタ・マリア・デル・フィオーレ、『花の聖母マリア』と呼ばれていたからである」
あるいは、タペストリーと大聖堂で知られるノルマンディの町バイユー。
「赤みがかった高貴なレースをまとって、かくも高く聳え、頂は最後の音節《シラブル》の古色を帯びた金色で照らされているバイユー」
こういうほとんど翻訳不可能な箇所は翻訳家泣かせではあるのだが、名前へのこだわりという点に限って言えば、私たちにも思い当たる節がある。
たとえば「日光」や「鎌倉」や「比叡山」に遠足という前の晩、子どもだった私たちはその名前を何遍も舌の先で転がして、翌日の遠足の愉しさを想像しなかっただろうか。
名前を口にすることで、ある土地の精霊が目を覚ます瞬間をかつての私たちは知っていたはずなのだ。
プルーストを通じて私たちは自分自身の過去の気持ちや感覚を取りもどす。
私の禿筆がそのために役に立つとすれば、これ以上嬉しいことはない。
(2011年9月8日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)