産経新聞大阪版の夕刊文化欄で連載された(2011年5月〜2012年8月)高遠弘美さん「プルーストと暮らす日々」の第19回です。
プルーストと暮らす日々 19
祝日の変動になかなか慣れなくて、いまだに今日は「敬老の日」のような気がする。フランスの祝日で変動するのは「復活祭」(春分の日以降最初の満月の次の日曜日)とそれにまつわる宗教的祭日だけだから、まず迷うことはない。ちなみに、「敬老の日」というのは日本独特の祝日であり、ヨーロッパ諸国にはないと思う。
とはいえ、フランスの小説にはしばしば印象的な老人が登場する。
プルーストの『失われた時を求めて』もそうだ。祖父母や大叔母や親戚の老女、それに社交界の老貴族たち。「私」はそうした老人たちと深くかかわってゆく。
有名なマドレーヌの挿話にしても、病気で寝ている「老人」のレオニ叔母が昔、紅茶に浸して飲ませてくれたがゆえに、過去を思いだす契機にもなる。彼らを描くプルーストの筆はあるときは限りなく優しく、あるときはなかなか辛辣であるが、マドレーヌのところは以下のように書かれている。フランソワーズは叔母の世話をしている女中である。
「少ししてから私は部屋に入り、叔母にキスをする。フランソワーズは叔母のために紅茶を淹れるか、(略)叔母から言われてハーブティーを煎じるかだったが、薬局の袋から皿の上に、必要な量の菩提樹の葉を出して、それを熱湯に入れるのは私の役目だった。(略)もうじき、叔母は枯れた葉や萎れた花を味わうために入れさせた沸騰したハーブティーに、プチット・マドレーヌのひと切れを浸すだろう。叔母はマドレーヌが十分に柔らかくなったら、それを私に差し出してくれるのだ」
一見何の変哲もないようだが、「枯れて萎れた」菩提樹(長寿と忠実さの象徴)をハーブティーにすれば、香りも味も、つまりはその命そのものが忠実に蘇ることに注意しよう。叔母がマドレーヌを入れた菩提樹のお茶は、過去全体を思い出させる力を持つことになる。
プルーストはここでは老人が秘めた見えざる力をこんなふうにとらえて描いたのである。
(2011年9月15日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)