産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第23回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 23
通常の学部の授業以外に、四年前に創設された学部のない大学院で修士・博士の両課程の学生を指導する立場にあるのだが、秋が深まりゆくにつれてそろそろ論文の追い込みにかかった学生と話すたびに、私自身の大学院生の頃を思い出す。
私は偏屈なところがあって、言葉に関してはかなり拘泥するほうである。ふだんはやむなく新仮名新漢字で書いてはいるが、可能なら旧仮名旧漢字で書きたいと思っている。
それには石川淳や吉田健一をはじめ、敬愛する文学者がみなそうしていたことが大きく関係しているだろうが、そもそも亡母がそうだった。母は、学校に提出する書類でも旧仮名旧漢字を使った。加えて私が小さい頃から親しんだのは戦前の文庫本や小説だったから、いつの間にか私も旧仮名をごく自然に身近なものと考えるようになった。旧仮名旧漢字は私にとって「母の言葉」にほかならない。
卒業論文ではその勇気がなかったが、修士論文を書くときは思い切って旧仮名旧漢字で書くことにした。今後、少しなりとも文学に関わってゆくなかで、最初の地歩をゆるがせにしたくないと思ったのである。私は指導教授の岩瀬孝先生に頼み込んだ。
日本文学に造詣の深かった先生のお言葉が忘れられない。「ぼくも旧仮名のほうがいいね。構わないから書きなさい」
かくして私の修士論文「マルセル・プルウスト研究序説」は旧仮名旧漢字で提出された。恐らくほかの先生方は白い目で見ていらしただろうに、岩瀬先生だけは終始弁護に回って下さった。先生がそのとき仰言った言葉はいまなお私の支えである。先生は「文学的魂」という言葉をフランス語にして、私の拙い論文を褒めて下さったのだ。
いったんのめり込んだ以上、プルーストの「文学的魂」に触れるべく努力せよ。
先生はそう仰言りたかったのだろう。今でも苦しいときや行き詰ったときに私はその言葉を噛みしめる。
鬼籍に入られた先生のお言葉に導かれて私は個人全訳を目指す。師恩はまさに限りない。
(2011年10月13日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)