産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第26回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 26
パリという街は見どころが多くて、訪れるたびに新たな魅力を知ることになるのだが、中でも古本探しは私のパリには欠かせない貴重な時間となっている。
プルーストの本もそう。
『失われた時を求めて』の底本として信頼のおけるプレイヤード叢書は、一九六〇年以降毎年、図版資料を中心に編んだ各作家の「アルバム」を、同叢書を三冊買った人に無料で配っているが、増刷はしないから時間が経つうちおのずと稀覯本に近くなる。
『アルバム・プルースト』が出たのは一九六五年。私が大学に入る五年前のことだった。大学院に進んでから随分探したのだが、どうしても手に入らない。
セーヌの河畔には「ブキニスト」と呼ばれる古本売りの屋台がある。個性ある店主がいかにもパリらしい雰囲気を醸し出す。
有名ではあるけれど、高いだけでろくな本はないと聞いていたので敬遠していたのだが、あるとき、しらみつぶしに探してみようと思い立った。
左岸のどの店にもない。右岸に渡ってもしばらくは「ありません」の連続である。諦めかけた頃、一軒のガラス戸棚に収められている『アルバム・プルースト』に出会った。値段を訊くととてつもなく高い。
値切るための慣用句を繰り返してもびた一文まける気配がない。そこで私は泣き落としに出た。プルーストが好きでパリに来たこと、ただ旅行者なので自由にできる金が少ないこと、これで帰ったらいつパリに来られるかわからないこと等々。
熱弁をふるったつもりの私を見て冷ややかに店主が言った。「何も旅行者のために商売してるわけじゃない。欲しくても金がない相手には売らないだけさ」
こう言われたらぐうの音も出ない。私はなけなしの懐中をはたいてそれを買った。そのとき私は学んだのだ、言い値で買うべきものが世の中には存在するということを。
私が拙訳に図版を入れることを思いついたのはまさにこの本をいつも見ていたからだった。ブキニストに教わったプルーストと言えようか。
(2011年11月10日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)