2011.11.18

岸美光講演会「トーマス・マンのイローニシュ(アイロニカル)な立場」第一回レポート

2011年10月28日、東京・赤坂のドイツ文化センターで「トーマス・マンのイローニシュ(アイロニカル)な立場」というタイトルの講演会が行われました。これは『詐欺師フェリークス・クルルの告白』を翻訳した岸美光さんが、本書を通してマンを語るという3回連続の講演、その最初の会でした。

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同センターの図書館に約60名の聴衆を集め、始まった第一回のタイトルは「クルルの保守的な発言とトーマス・マンの政治的な立場」。『クルル』を読むと、主人公の行動や発言に読者は違和感を覚えるのではないでしょうか。クルルの詐欺行為やその保守性を知っていくと、マンの政治的立場を理解している人ほど、「なぜ、このようなテキストを書いたのか?」と思うはず。その疑問を使って、作家の立ち位置を見ていく試みです。

まず、岸さんは『ヴェネツィアに死す』と『クルル』を対比させるところから始めます。前者は悲劇的で荘重な文体、後者は喜劇的で軽快な小説、と比較していき、そして決定的な違いを語ります。それは『ヴェネツィア』には戦争の影が色濃くあるのに『クルル』にはまったくないこと。

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そこから、この作品が現実から離れたマンにとっての「一種の遊園地」ではなかったかという考えを提示。マンはそこで「遊び」を展開していたのだと語ります。といっても、大作家マン、様々なテクニックを使って小説を書くという「遊び」です。

では、なぜクルルは、詐欺師というキャラクターなのか?

この作家の大きなテーマに、「市民である者が脱線して芸術家的な傾向を帯び、その行動が詐欺的な様相を呈してしまうこと、そうした人間の内面的な苦しさを描くことがある」。そのマンが、ここでは他ならぬ「詐欺的行為」を自由に描くことに意味があったのではないかと岸さんはいいます。そして、大テーマから解き放たれた作家の遊びとして書かれていった、クルルの行動や発言が吟味されていきます。

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こうして、「遊園地のクルル」を通して、現実には「ファシズムに抵抗する作家」として生きたマンの姿を浮き彫りにしていく講演会でした。

さて、次回は11月25日、タイトルは「トーマス・マンのパロディーというスタイル」。
マンは『クルル』を、自分のある作品のパロディーとして書いています。この方法をどのような意図で用いたのかを、岸さんが解明していきます。きっと、マンの「遊び」がまた違った意味をもってくるのでしょう。楽しみな第二回です。
[文 : 渡邉裕之・文筆家]

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第2回 トーマス・マンのパロディーというスタイル
2011年11月25日(金)18:30〜

『クルルの告白』は、ゲーテの自伝的作品『詩と真実』のパロディーとして書かれている。このパロディーの文体、重層的な物語構造を、マンはどのような意図で用いたのか。詐欺師を主人公にしたアイデアとともに探る。

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