産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第27回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 27
最近、ビルの高層階や旅先などで携帯電話の通話が途中で切れてしまうことがある。家の電話もインターネット電話にしてから突然相手の声が聞こえなくなったりする。以前は国際電話もしばしば途切れたものだった。不便に思いながらもそういうとき私が思い出すのはやはりプルーストの一節である。
一八九六年の夏、パリ近郊のフォンテーヌブローに滞在していたプルーストは初めて電話機なるものに接する。プルーストは離れていても声だけが届く電話に一種の神秘性を見いだし、その経験を習作『ジャン・サントゥイユ』と『失われた時を求めて』第三篇「ゲルマントのほう」で小説化した。『ジャン』と比べると神話的イメージをまとわせた「ゲルマント」の電話の描写のほうが格段にすばらしい。
「眩惑にみちた闇の扉を見張っている守護天使」たる交換手を通じて、語り手は祖母の声を聞く。
「しばし沈黙があって、突然あの声が聞こえた。よく知っていると思ったのは間違いだった。(略)祖母の声は顔の表情に助けられずに全くそれだけで私のもとに届いたので、釣り合いが変わってしまっていた。そのせいだろうか、私は祖母の声がどんなに優しいかを発見したのである」
だが、祖母の声はかすれてゆき、やがて聞こえなくなってしまう。
「『何か話して』と私は言った。しかしそのとき、私を一層ひとりにして、祖母の声は突然聞こえなくなってしまった。(略)電話機の前にひとり立ちながら私は『お祖母さん、お祖母さん』と空しく繰り返していた。あたかもひとり残されて、死んだ妻の名を繰り返して呼ぶ、あのオルペウスのように」
冥府まで亡妻を探しに行ったギリシア神話に登場する楽人オルペウス(オルフェ)に自らを重ねて、やがて訪れる祖母との永遠の別れの予感を、当時普及し始めた電話という通信手段を通じて描くこの場面は読むたびに心打たれる。初読のときから忘れられない一節である。
(2011年11月17日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)