『羊飼いの指輪 ファンタジーの練習帳』は、イタリアの児童文学作家、ジャンニ・ロダーリが、子供たちとともに書き上げた童話集です。特徴はそれぞれ3つの結末が用意されていること。読者はそこから好きなものを選ぶことができます。
ちょっと変わった構成のこの本の作者であるロダーリは、書き方もなかなか個性的な作家。そんなロダーリについて、本書の翻訳者である関口英子さんにお話を伺いました。これがなかなか興味深いものでした。「言い間違い」から生まれた物語ばかり集めた奇想天外な本の話から、あのコントグループ「ラーメンズ」の話題まで登場します。そして最後は、ロダーリの素敵な詩をひとつ紹介してくださいました。
------ロダーリは、イタリアでは本当によく知られた作家なのですね?
関口 はい。イタリアで子供がいる知り合いの家にいくと必ずといっていいほどロダーリの本があります。それも一冊ではなく何冊も。大人がロダーリの物語を語り出すと、子供がその先をいえるくらい親しまれています。
エイナウディという大手出版社があるのですが、そこでは、ロダーリは児童書だけでなく一般書としても短編選集が編まれています。子供から大人まで広く浸透している作家ですね。
------イタリアのファンタジー作家というと、私たちが知っているのは、イタロ・カルヴィーノです。ロダーリ理解のきっかけとして、カルヴィーノとロダーリの共通点と違いを教えていただけますか?
関口 共通点は、民話をヒントに現代版のお伽噺に書いているところだと思います。カルヴィーノの作品に『マルコヴァルドさんの四季』という物語があります。これは私が岩波書店で新訳させていただいた本なのですが、主人公は現代のイタリアのどこかの町に住んでいる、しがない労働者のおじさんです。その主人公を通して、民話にも共通するものの見方、価値観、生き方などをカルヴィーノはメッセージしていきます。
同じようにロダーリも民話や昔話を使った物語を書いています。そして、昔話風の王様を主人公に設定しつつ、現代社会が垣間見えるような物語を展開していく。この『羊飼いの指輪』でもそんな物語が入っていますよね。このように、自分の中にたくさんの昔話や民話の要素を取り入れて、現代を意識しつつ作品としてまとめるというのが、二人の作家の共通点です。
違いは、書き方ではないでしょうか。カルヴィーノは、きちんと構成を固め、情景なども緻密に描きこんだうえで、物語を展開していきます。それに対してロダーリは、ストーリーをあらかじめ決めないで、ひとつの言葉から連想されるイメージを出発点にして書き出している感じがします。さらに、言葉遊びをしたり、子供たちの意見もいれたりして、即興的な感じで書いているんですね。ですから、中には辻褄があわない物語なんかもあったりして、「なんでこうなるの〜」と思わずいってしまいたくなる結末の作品もあります。
------『羊飼いの指輪』では、ロダーリの即興的な書き方のたたき台になるような物語が集められていますね。
関口 そう、これからいくらでも色をつけられる物語の原型みたいな話が並んでいます。古典新訳文庫に入っている『猫とともに去りぬ』で、ロダーリが好きになり、今回の作品を読んでみると、物語があまりにシンプルなので「あれ?」と思う人がいるかもしれません。この本は、書かれているものだけしか読み取れない人にはつまらないけれど、自分で物語を膨らますことができる読者には、すごく楽しめる作品なのです。
訳していて思ったことは、作家なのにあえて完成品ではないものを読者に披露できるロダーリは、さすがだなということでした。
------本書の「解説」で関口さんは、ロダーリと、イタリアのレッジョ・エミリア市の幼児教育「レッジョ・アプローチ」との関係を書いています。世界的に注目されている、この幼児教育について、もう少し教えていただけますか。
関口 レッジョ・アプローチは、就学前の子供たちのために行われる幼児教育です。ポイントは子供の想像力をとても大切に扱っているところ。たとえば幼稚園や保育園にはアートディレクターと呼ばれる人がいて、子供たちと一緒になってものをつくっていきます。そのアトリエにあるのは紙やクレヨンだけではなく、自然にある木や葉っぱ、そして廃材があり、子供たちはそれを使って遊び、ものをつくっていく。美術の先生がいて、「絵はこう描くのよ」と教えるのではなく、あくまでも子供の中からわき上がってきたものを大切にしているのですね。
------今年(2011年)の4〜7月、東京・青山のワタリウム美術館で、レッジョ・アプローチを紹介する展覧会「驚くべき学びの世界展」が開催されましたね。
関口 その図録として出版された『驚くべき学びの世界』(ACCESS)という本の翻訳のお手伝いをさせてもらいました。あれは大部分が英語からの重訳で、私が担当したのはイタリア語のところだったのですが、その本を読むとロダーリとレッジョ・アプローチが深く結びついていることがよくわかります。
60年代、各国で社会の変革を求める運動が盛んになりました。イタリアでもさまざまな動きがあったのですが、教育のあり方の見直しもそのひとつです。これまでのように国に教育をまかせていると、子供たちは豊かな人生を送れないのではないか、それだったら自分たちの手で納得のできる教育システムをつくろうではないかというのが、レッジョ・アプローチの考え方の根底にあったんですね。
レッジョ・アプローチでは、ものをつくるだけでなく、文字や言葉を使って子供たちの想像力を伸ばす試みもなされています。たとえば「A」という文字の形から子供たちが連想する絵を書いてみたり、あるいはAで始まる言葉を並べてみる連想ゲームのような遊びです。日本語でいうなら「へ」を書き、その形からにょろにょろした線を描いて「へび」の文字を並べていくようなものでしょうか。
ロダーリも同様に、一つの単語を構成するそれぞれの文字を頭文字にした言葉の集合から、物語を発展させたりといった言葉遊びを通して、子供たちの想像力を伸ばそうという試みをしていました。教えず、一緒に遊んで、その子の内側から出てきたものを大切にするところが、レッジョ・アプローチとの大きな共通点です。
同じ時代、同じような考えをもった一人の作家と一つの教育実践を進める人々が違った場所で活動していて、そして出会ったわけです。そこで生まれたのが、ロダーリの代表作『ファンタジーの文法』です。この本は、レッジョ・アプローチに関わる人たちがオーガナイズした彼の講演会の話をまとめたものなのです。優れたファンタジー論であるとともに、変革の時代を背景にした教育論でもあります。
------しかし、実際の子育ての中で、想像力を伸ばすように子供に接するというのは、なかなかできないことですね。
関口 難しいですね〜。たとえば子供が「言い間違い」をする。親はすぐに「そうじゃないでしょ、正しくはこういうの!」と修正をしてしまいます。
でもね、ロダーリやレッジョのことを知っていたなら、「ちょっと待てよ」と考えることができます。子供が言い間違いをしたのは、頭の中で、二つの言葉が何らかの関連性をもったからです。その二つの言葉の出会いは、それこそ楽しいファンタジーができるきっかけになるかもしれない。親は言い間違いをもっと大切にするべきです。すると子供は、言葉遣いは間違ったけれども、二つの言葉を結びつけた語感とか語呂をもっと楽しんでみてもいいのだなという気持になれます。語感や語呂で遊ぶようになれば、子供の言葉に対する感性が豊かになってくると思うんですよ。
でも、子育ての最中のお母さんたちは、なかなかそんな心の余裕を持てる人は少ないですね。
その点、ロダーリはさすがですよ。子供の間違いからつくったお話を集めた『間違いの本』というタイトルの本を出しています。
たとえば、イタリア語は「h」を発音しません。音がないので子供が文字を書く時に、よく「h」を抜かしてしまう。そこでロダーリは「hたちが、他の国に行ってしまいました。すると残された言葉たちは、いったいどういうふうになるのでしょう」といった短編を作ったのです。
それからイタリア語で猫は「gatto(ガット)」というのですが、子供たちは「t」を重ねることをよく忘れてしまう。ロダーリが考えたのは、猫だったはずなのに「t」を一つなくした「gato」は、どんな生き物になってしまったのかという物語なのです。
このようにロダーリは、子供たちの間違いを積極的に評価し、そこからたくさんの短編を作り、それを一冊の本にまとめているのです。
------ロダーリらしい、とても面白い本ですね!
関口 すごく訳したい本です。しかし、「h」や「t」たちが微妙な発音とともに自由に動きまわる物語ですから、日本語にするには難しすぎます(笑)。
------こうして話を聞いていくと、ロダーリという作家にとって、言葉遊びはとても重要な要素なんだということがわかってきました。そんなロダーリを訳している関口さんも言葉遊びとか大好きなのでは?
関口 好きですね。でも、私が子供の頃から言葉遊びに親しんでいたかといえば、まったくそうではありませんでした。私の家は厳しい家で、「成績はよくなくてはいけない」という考えの親に育てられましたから、言い間違いなどもってほか、あまり言語感覚を磨くことはできませんでした。
ですから、大学に入ってイタリア語を習って初めて言葉の世界の面白さに目覚めたくらいなのです。
ロダーリに出会ったときには、「言葉遊びってこんなに奥が深いんだ」と、新鮮な感動でした。
最近気付いたのですが、ラーメンズの小林賢太郎さんも、なんの脈略もない単語を集めて、その組み合わせの妙を楽しんでみたり、ひとつの単語のアナグラムから別の物語へと発展させたりといった、言葉遊びの要素を大切にしたひとり芝居をやっていて、これって、ロダーリのしていたことと同じではないかと思ったのです。初めてラーメンズを見たときには、「ただのお笑いじゃないの」なんて思ったのですが、いつのまにか小林賢太郎さんの「言葉術」にはまってしまいました(笑)。
------ロダーリの話にラーメンズが出てくるのには、びっくりしました(笑)。
関口 似ているんですよ、ロダーリと小林さんの、言葉の世界で、思いっきり遊んでしまおうという感覚が。ちなみに、小林賢太郎の言葉遊びには、教育学者の斉藤孝さんも注目しています。
たとえば、小林さんの作品に、3つの舞台が置かれていて、3つの話がそれぞれ平行して展開していくというひとり芝居があります。わかりやすく説明すると、一つの舞台でお鍋が「カタカタ」鳴っていると、そのオノマトペが変化していって「カッタンカッタン」になり、別の舞台で電車が動き出す物語が展開するというような感じでしょうか。
単語の音を結びつけたり変化させたりしながら、別の世界へと物語が展開していくのはロダーリの得意技でもあります。
また、地名へのこだわりも共通しています。小林さんの言葉遊びの世界では「戸塚区(トツカク)」という言葉が「トツカクトツカクトツカク」とつながってドラムでリズムをとる音のようになっていき、それがいつのまにか「タカツキタカツキ(高槻)」......と変調していく。ロダーリもお話の中にわざと変な地名を出してきたりします。地名の響きを楽しんで言葉遊びにしてしまうというのも両者が共通するところなんですね。
ロダーリとラーメンズの小林賢太郎は似ている! こう主張しているのは、世界中で私だけだと思います(笑)。
------関口さんは、古典新訳文庫で先にも話に出た『猫とともに去りぬ』を訳しておられます。あれは非常に評判のいい作品ですね。
関口 おかげさまで、たくさんの人が読んでくれています。ネットで「ロダーリ」という名で検索した時のヒット数が、『猫』を出した以降、ものすごく増えました。それと読者層も変わりましたね。前はロダーリを読んでいる人というのはイタリア好きか、子供の頃、『チポリーノの冒険』が好きだった人という感じだったのですが、『猫』以降はいわゆる「女子たち」が多くなってきました。
そのことを示すのが、講談社から出版されたロダーリの『パパの電話を待ちながら』。その帯の文章が、江國香織さんなのです。 昔だったら考えられないことですよね。児童文学の作家ロダーリが、『猫』が光文社の大人の本のラインナップに入ったことによって、江國さんの小説を楽しむような女性たちにも読まれる作家になったのです。非常にうれしいことです。
------そうですね。では最後に、これからのお仕事について教えていただけますか?
関口 いくつかの予定がありますが、ロダーリでいえば、岩波書店から彼の童話集を出します。これは今回の『羊飼いの指輪』がファンタジーの練習帳なら、ロダーリ流の「現代版お伽噺」の完成版ともいうべき作品集です。物語の原型に、作家ロダーリがしっかり色を付けてつくった物語を集めたものです。
それから、出版社はまだ決まっていないのですが、ロダーリの詩集を出したいなと思っています。彼の詩の中には、「自分たちの手でこんな世界をつくっていこうよ」といった強い意志を示したものがいくつかあります。それを色々な本からピックアップして1冊の詩集に編み、出版したいと計画しています。
------そうした力強い詩は、今の日本に必要かもしれません。何か一つ紹介して頂けますか。
関口 はい。「間違いのない国」という詩を紹介しましょう。
(聞き手/渡邉裕之)