2011年11月25日、東京・赤坂のドイツ文化センターの図書館。連続講演会「トーマス・マンのイローニシュ(アイロニカル)な立場」の第二回は、「この図書館の様子を描写してみましょう」という岸美光さんの言葉から始まりました。
今回のタイトルは、「トーマス・マンのパロディーというスタイル」。『詐欺師フェリークス・クルルの告白』の文章の細部にあたり、この作家の姿勢を検証してみるというもの。岸さんは、言葉による会場の描写を自ら行い、そしてマンが「言葉によって世界を写しとることを越え、言葉によって世界を造り出すことを追求する作家」であったことを語っていきました。
その「追求」を表している一例が、下巻のクルルがリスボンで宿泊するホテルの部屋の詳細な描写だと、岸さんが示します。
次に「過去形と現在形の使い分け」の話が続きます。たとえば、古典新訳文庫で岸さんが訳している『ヴェネツィアに死す』では、小説全体は過去形で語られています。しかし、主人公がヴェネツィアからの撤退を決意し駅に行き、手違いで自分の荷物が間違ったところについてしまうという、物語の中で非常に重要な場面で、突然過去形から現在形になります。マンは、そのことによって重要な事象を読者の眼前に突きつけようとしたのでした。
では『クルル』では、どのように使い分けられているのか? 非常に興味深い指摘がなされます。下巻、ポルトガルに赴いたクルルは闘牛を見物します。その牛が入場してくる場面で現在形が出てくるのです。しかし、ただの現在形の使用ではありません。
「小さな扉が突然開かれ、そこから----ここで現在形を用いる、その出来事がありありと眼前に迫って来るからだ----始原の力を具えたものが飛び出してくる、走り出してくる。牛だ」
なんと、自伝の書き手であるクルルが、「現在形を意識的に使った」と書くのです。このことによってマンは、『ヴェネツィア』で使用したような、自らの大切な小説の方法、その真摯さを壊しているのです。この文章について岸さんは「直接的なパロディーではないが、根本には同じ精神が宿っている」と語りました。
そして、この『クルル』という小説がパロディーとして、具体的にどのように書かれているのか、ドイツ語の原文にあたりながらの話が展開していきます。
たとえば冒頭部分については、わざと古めかしい言葉を使っていることを指摘、そこからマンが「この小説はゲーテの『詩と真実』のパロディーとして書かれている」と意味するようなことをいったことを岸さんは話します。さらに、ゲーテの詩やアレクサンドリア詩格という一行十二音節のフランス詩をパロディー化した部分を紹介。ドイツ語の部分は、ドイツ文化センターの読書会などに参加している方たちが読み、その後、岸さんが原文と自ら訳した部分を比較しながら検討していきます。このように今回は、言葉の細部をみつめていく興味深い講演会でした。
次回は12月16日、「トーマス・マンのイロニーという視線」というタイトル。2回の講演を踏まえ、この作家の創作の基本姿勢であるイロニーの視線について語る予定です。いよいよ最終回、ぜひ、ご参加下さい。
マンの創作の基本姿勢であるイロニーの視線。このことを『詐欺師フェリークス・クルルの告白』の読解を通じて読みとり、マンの他の小説のテキストも展望する。
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