産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第31回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 31
狭い部屋に本や資料が山積みになっているせいで、書斎はまるで倉庫状態である。必要なものがすぐに出てこない。そろそろ年末なので、思い切って大掃除をした。部屋の隅から、埃をかぶったままのステンドグラスが大小二枚出てきた。二十年以上前に、大聖堂で有名なパリ近郊の町シャルトルのステンドグラス工房で買ったものである。重さはそれぞれ数十キログラムある。いつか家を建てる機会でもあれば使おうと思っていたのだが、いまだマンション住まいなので、まさに死蔵というほかない。窓辺に飾るのは地震を考えるとはなはだ危険ということもあった。
シャルトルの大聖堂は「シャルトル・ブルー」と言われる青を基調にしたステンドグラスで知られ、とくに薔薇窓は息をのむほど美しい。大聖堂のすぐ脇にある工房に飾られたステンドグラスの見事さに思わず財布の紐をゆるめてしまったのだが、私にステンドグラスのすばらしさを教えてくれたのはやはりプルーストだった。フランスで実物を見る前から私はプルーストを通じてステンドグラスに憧れていたのだ。切れ目のない長い文が続くところではあるけれど、『失われた時を求めて』からいくつかに分けて引いてみよう。
「どのステンドグラスもごく古い時代に作られたものだったので、何世紀もの間つもりにつもった埃が、あちこちで古色蒼然たる銀色のきらめきを発し、あたかも硝子で織ったすべすべしたタペストリーが横糸がすり切れるくらい古くなりながらも依然として輝いているようにも見える」
ステンドグラスを通る光は「燃え立つように赤い幻想的な雨」となって人々の上に降りそそいだかと思うと、教会の床に「ガラスでできた勿忘草の黄金色に光り輝く絨毯を一気に敷きつめ」たりもする。
比喩を多用し、細密画のように眼前の現象を繊細かつ大胆に描写してゆくプルーストの筆遣いには圧倒されるばかりである。今も部屋の隅に置かれたままの二枚のステンドグラスがプルーストの言う「太陽の一瞬の微笑み」を映し出す日を私は夢見ている。
(2011年12月15日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)