産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第34回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 34
フランスではたとえば結婚可能な年齢は一八〇三年のナポレオン法典以来、男子が十八歳、女子が十五歳だったのが、二〇〇六年に男女ともに、民法や刑法上の成年と同じ十八歳となった。日本とは違って成人式というものはないけれど、生まれてから成年に達するまでの時期をあらわす言葉はいくつもある。中には言葉が違うだけで、実際に示される年齢は大差ないというものまであって、本当は何歳と考えたらいいのかはっきりわからないことすら起こりうる。
とはいえ、『失われた時を求めて』の主人公の「語り手」ほど年齢が曖昧模糊としている場合は少ないかもしれない。
作品ではほとんど年齢が記されていないので、あるプルースト学者が歴史的事実などと照らし合わせて作成した作品の「年代記」によれば、ある日、叔父宅を訪ねた主人公が、帰り際にたまたま居合わせた「薔薇色のドレスを着た若い女」の差し出した手にキスをするのが何と八歳の時。
一家の友人であるスワンが来訪する晩は、母親から「おやすみのキス」をもらえないのでひとり悲しんだあげく、スワンが帰って、両親が寝室のある上階に上って来るときまで待ち伏せをするといった大胆な行動に出るのが十歳ということになる。
家族の知人の結婚式に出た語り手がはじめてゲルマント公爵夫人を見かけて「たちまち恋に落ちた」のは十二歳のことだった。
こうしたエピソードが単純に綴られているだけならいささか早熟すぎる子どもの物語かと思われそうだが、作者はさまざまな出来事を、人間や社会に対する深い哲学的考察や皮肉やユーモアや芸術論などとからませて織りなしてゆく。
読者はいつの間にか、年齢によって語り手を具体的に想像するといった一般的な小説の読み方から離れ、いわば「年齢不詳」の語り手に導かれるまま自在に小説の錯綜した時間の海を揺曳している自分に気がつくだろう。プルーストを読んで私たちが自らの過去の時間を思い出すのは、そうした語り手の存在と無縁ではない。
(2012年1月12日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)