2012.01.19

「新・古典座」通い — vol.5  2012年1月

「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。 
[文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈今月の新刊〉
『純粋理性批判7』(カント 中山元/訳)
『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』(ブラックウッド 南條竹則/訳)

『純粋理性批判』から、保坂和志さんのことなど

cover141.jpg今月の新刊、一冊目は『純粋理性批判7』。これでカントの『純粋理性批判』は、完結となる。前の六巻までは、第一部の「超越論的な原理論」にあたり、超越論的な分析論と弁証論が書かれていた。そしてこの七巻で、いよいよ第二部「超越論的な方法論」に入ることになる。

第二部は、純粋理性批判の「訓練」「基準」「建築術」「歴史」の四つの章に分かれている。訳者である中山元さんは「解説」で次のように書いている。
「カントの本文にはあと第三章「純粋理性の建築術」と第四章「純粋理性の歴史」があるが、(第二部の)最初の二章のような難しさはない。むしろここまで読み進んでこられた読者の方々には、この二つの章はもはや解説の必要もないほどに自明なものになっていることと思う」(カッコ内、引用者)

そう、カントの考えを理解していれば、これらのテクストは自明なことがらとして読めるのだ。第一巻からここまで読むことができた読者の何割かがそれを経験できる。

残念ながら私はそうならず、だから想像でいうのだけど、「解説の必要もないほど自明」というのは、カントの考え方を使って考えられるということだろう。

あたりまえのことだが、哲学の面白さは、ある哲学者の考えを知るのではなく、哲学者の考え方を自分でも使えるということ。それを会得している人が哲学ができる人だ。

私はそれができる人に、不思議な縁で会ったことがある。小説家の保坂和志さんだ。

......ということで、申し訳ありませんが、『純粋理性批判7』の紹介は難しいので、ここで保坂さんについて書かせて下さい。文学好きが哲学に近づくヒントになる話だと思うので。

不思議な縁は、まずTという人物から始まった。彼とは私は若い頃に友達となり、ある時から二十数年、まったく会っていなかった。そんなある日、たまたま保坂さんの小説『季節の記憶』(講談社)を読んでいた私は、その小説の中でTを「発見」してしまうのだ。

「蛯乃木」という男が登場人物として現れ話しだすのだが、これがどう考えても、かつての友人Tなのだ。不思議なのは、話している内容は小説に沿ったものであり、まったく私が知るものではなかったことだ。また外見や仕草の描写で、そう思ったのではない。勿論、Tと保坂さんが知り合いであることもまったく知らなかった。なぜ私が「これはTだ!」と思ったのか。それは蛯乃木が、まるでTが考えるにように喋っていたからである。

この『季節の記憶』事件の数年後、私はばったり街頭でTと出会い、この話をし、その後、話をTから聞いた保坂さんが面白がって、三人で会うことになった。

なんのことはないただの呑み会に終始したのだが、私には納得したことがあった。

酒を酌み交わしながら三人で自分が見た夢の話になり、Tがそれを話そうとすると、保坂さんが「いいよいいよ、俺が話すから」といって、Tが既に保坂さんに話している、彼のとてもくだらない夢を本当に嬉しそうに、そして事細かに描写しながら語るのだ。

その姿を見ながら私が思ったのは、「はあ、この人は、人の話し方や身振りでなく、無意識を含め考え方の物まねができる人なんだ。そしてそのことが大好きなんだ」ということであった。保坂和志という小説家は、日常的にそれを繰り返し行い、ある人物特有の思考回路を正確に言葉で作りあげることができるまでになったのだ。だから、彼の書く小説の中で、私がまったく知らない話をしていても、その思考回路はTだと確信できたのである。

この飲み会以来、私は人の話し方や身振りではなく考え方の物まねができるように意識するようになったが、やはり思考模写はできない。保坂さんは哲学書をかなり読んでいて、哲学者についての文章も書いているが、思考模写にたけているから、そんなこともできるのだろう。つまり哲学者の考えを自分でも使えるということだ。

彼なら、この『純粋理性批判7』の第二部第三章と第四章は「解説の必要もないほどに自明なもの」として読めるんだろうな。

さて、私の『季節の記憶』事件は、保坂さんの小説論『小説の誕生』(新潮社)にも、彼の言葉によって書かれている。興味ある方は読んでみて下さい。第6章「私の延長は私のようなかたちをしていない」に登場する「渡辺さん」は私です。不思議なのは、私は決してそんなことを語ったことはないのだが 、さも私、渡邉裕之が考えそうなことを「渡辺さん」が語っているところだ。


ブラックウッドの読後感から、九州の恐怖体験へ

cover142.jpgもう一冊の新刊は、イギリスの怪奇小説作家ブラックウッドの『秘書綺譚』である。幻想怪奇小説好きにはたまらない傑作短篇集だ。そして翻訳が南條竹則さんと知れば「これは読まなければ」と思う人もいるだろう。

南條さんの言葉を通して見る、ドリトル先生や中華料理、温泉、英国の楽しさを知っている私などは、ブラックウッドもとても味わい深い物語として読めるだろうと期待してしまった。南條さんの楽しさを知らない人は、たとえば『ドリトル先生の英国』(文春新書)を、読んでみて下さい。また、中華料理や温泉についての話は、このサイトの「あとがきのあとがき」インタビューで近々お聞きしようと思っています。

そして期待通り、南條訳ブラックウッドの『秘書綺譚』は面白い。そして怖い。

印象的なのは、特定空間での恐怖体験の物語が多いところだ。「空家」という短篇では殺人事件がかつてあった空家に現れる幽霊との遭遇、「壁に耳あり」には、下宿屋の隣の部屋で行われる荒々しい幽霊たちの惨劇、表題作「秘書綺譚」では、秘書が上司の命令で行った先の邸宅で、そこの主人と召使いの驚くべき変身を目撃する様が綴られる。

ここでとりわけ伝えておきたいのは読後感である。小説の言葉を追って読者は恐怖を体験するのは当然なのだが、読後、あの空家、部屋、邸宅が頭の中に残り続けるところが独特だ。そして「まだあの恐ろしい場所はまだあるのだろうな」と何故か思ってしまうのだ。これはもう、「怪奇小説最大の巨匠」ブラックウッドの筆力のなせる技なのだろう。

さて突然だが、実は私には、「あの場所はきっとまだあるのだろうな」と思う恐怖体験がある。いきなりだが書いてしまおう。

私はオカルト雑誌の記者をしていた時代があり、それこそ河童のミイラ、念写をする超能力少年、幽霊屋敷などの取材を何回もしている。その中で、今でも記憶に残っているのが、南九州のある辺境の町で起こった幽霊騒動だ。もう20数年前の話だが、その雑誌編集部にある人物から「自分が住んでいる町の国道で、戦国時代の武者姿をした幽霊たちが出現した」という話が持ち込まれた。

そこで私とカメラマンは取材に出かけたのだが、到着したその町がとても不思議なところだった。武者姿を象った古びた石像がいたるところに林立しているのである。情報を持ち込んだ人物によれば、それはこの土地の合戦で殺された武士の墓石らしい。そう話をしてくれる人物も誠に不思議な雰囲気で、辺鄙な町には似合わぬフランス帰りのインテリ青年だった。

彼の紹介で、幽霊に出会った人物に話を聞くことになった。こういう雑誌をやっていると、さもインチキ臭い人物からその姿通りの眉唾ものの話を聞くということが多くなる。が、その人は本当に真面目そうな役場勤めの方だった。そんな人から聞く、近くにある国道で遭遇した武者たちの行列の話はやけにリアリティがあった。「夜の国道を車で走っているとライトに照らされた向こうに集団の影が......」聞いているうちに冷や汗が出ていた。

 

その後、カメラマンと一緒に私は、夜遅く、件の国道に立ち撮影を行った。時はバブルの時代であったはずだが、この南九州の闇は中世のもの......闇の深さが尋常ではなかった。

仕事を終えると急に恐ろしくなってきた。何が怖いのかはわからない。カメラマンも同じらしく、二人急いで宿にひきあげ主人に塩をもってこさせお互いにふりかけあうような始末。次の朝、案内の人物との話も早々と切り上げ私たちは這々の体で帰京したのだった。

それから数年後のことである。私は案内をしてくれたあの人物が、ある出版社から16世紀の日本に訪れたキリスト教の宣教師をテーマにした書物を発表したことを知る。「ああ、あの青年はやはりそれ相応の研究者だったのだ」と納得したのだが、それも束の間、数ヶ月後、本の回収騒ぎが起きる。内容すべてがある大学の研究者の論文のまる写しだったことが判明したのである。

風の噂によれば、あの男はパリの日本人留学生が起こした猟奇事件の際、やってきた新聞・雑誌関係者たちと同じ留学生として出会い、甘い汁を吸い、マスコミをいいように使う術を覚えてしまったのだという。

噂だから真実はわからないが、それを知った私は「ああ、自分たちもやられたのか......」と思ったのだ......が、あの幽霊騒動、話の中でおかしい部分をひとつひとつ潰していっても事実らしいものとして残るものがある。たとえば、あの純朴な役場の人が語った話の細部。「夜の国道を走っているとライトに......」

それを思った時、もう数年もたっているのに恐怖が蘇ってきたのである。その感覚を言葉にしてみると、「南九州のあの町には、まだあの国道が今でもあるのだ」ということだった。

私はブラックウッドの『秘書綺譚』を読んで、久しぶりにあの恐怖を思い出したのだ。 

何にしても、この短編集の特定空間系恐怖物語の読後感は独特です。ぜひ体験していただきたい。


俳優座の「カラマーゾフの兄弟」について

その劇場に入ると、客席に昔テレビで見た、脇役だが子供心に気になっていた人たちの顔がちらほらと見える。そうか、舞台の俳優たちだったのだ。子供の私は、空き地や工場の裏庭にある異世界から帰還しテレビの前にいたが、「あの悪役も別の世界をもっていたのだ」となんだか変な感慨に耽ってしまった。

先日私は、東京・六本木の俳優座で同劇団の「カラマーゾフの兄弟」を観にいってきたのである。原作は、古典新訳文庫にも入っているドストエフスキーの長篇、脚本は八木柊一郎さん、演出家は中野誠也さん。

ここでは古典新訳文庫の既刊本関連の話題として、この芝居について書こうと思う。

観た後の感想を率直にいうなら、「あの長大で、ある意味で錯綜している小説をよくまあ上手にまとめたものだな」ということだった。

脚本が実にうまい。三男のアレクセイ(松崎賢吾)の恋人となる車椅子の少女リーザ(若井なおみ)をナレーター役にして物語をまとめていくところなど、これはプロの構成の仕方なのだと関心してしまった。ただし上手にまとめ前へ前へと物語をスムーズに進ませるため、ドラマの進行にとっては非常に面倒なキリスト教をめぐる問題がほとんど触れられていなかった。

そのことによって、キリスト者アレクセイと幼くして死んでいく少年イリューシャ(保亜美)との交流がただのお涙ものの調子に。また同じ理由で、イリューシャの友人である少年たちとアレクセイが心を通わせる最終場面の味わいが薄れてしまったように思う。

このラスト、原作でも『カラマーゾフの兄弟』はやはり未完の小説なのだということを感じさせる、とってつけたような印象がある。しかし、小説全体が神の問題を含め数々の重たい問題を徹底的に考えつくしたものなので、このある意味で軽いシーンで終わるのもいいなと思わせてしまうところもある。軽いからこそ、重た気なドラマでは出せない「希望」が醸し出されているからだろう。この芝居は、まとめのうまさ故に重要な問題をこぼし、原作のあの微妙なラストの味わいを薄れさせてしまったようだ。

またラストのラスト、アレクセイを「アレクサンドル二世暗殺事件を導いた者」としてとらえていくのだが、これも神の問題を踏まえていないためにとってつけたような印象になっていた。

架空の物語が、現実の事件に直接繋がるところで大団円というのは芝居でよくあるドラマトゥルギーだが、私はあまり好きではない。あまりに大雑把にいうので申し訳ないが、70年代以前の演劇でいえば、演劇青年の政治コンプレックスの噴出に見えるし、70年代以降のものであれば、野田秀樹の作品が示しているように、言葉の戯れの無限定を現実の事件によって無理矢理押さえ込む手技だけが見えて、どうも好きになれない。

 

テロルへの疾走は、やはり信仰の問題への深い潜り込みがないと納得できないものだと思う。

終演後、私は俳優座の1階のパブへ。そしてロビーにいる、子供の時に気になっていた人たちの顔を見ていた。そのロビーにはいなかったが、かつてのテレビの忘れ得ぬ脇役たちの中には蜷川幸雄さんや、この芝居の演出家、中野誠也さんもいたはずだ。

俳優座の「カラマーゾフの兄弟」は1月22日まで上演されている。
http://www.haiyuza.net/
また2月8〜12日、新国立劇場で小野寺修二カンパニーデラシネによるダンス/パフォーマンス「カラマーゾフの兄弟」も上演される。
http://www.nntt.jac.go.jp/dance/20000460_dance.html