産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第36回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 36
若い頃、無人島にただ一冊だけ本を持っていっていいと言われたら何を選ぶかという話が何かの雑誌に載っていて、本好きの私もひとしきり空想をめぐらせたものだった。
『万葉集』や『広辞苑』を挙げる方もいてなかなか興味深かったのだが、さて私はということになると、自らの学力は棚に上げて、やはりプルーストを選ぶだろうと思いつつ、いったいどの巻を選べばいいかという点が悩ましくて、結局決めることはできなかった。
それから二十年近く経った一九九九年、私はフランス中部の町リヨンに滞在することになった。リヨンで最初に買った本が刊行されたばかりの一冊本の『失われた時を求めて』だった。
『広辞苑』を一回り小さくしたくらいのソフトカバーの本で厚さ六・三センチ、二千四百一ページに及ぶ。プレイヤード叢書(そうしょ)もそうだが、インディアペーパーというのか、辞書や聖書などで使われるような紙で読みやすく、しかも、どのページを開いても左右にきちんと分かれるので、何かで押さえる必要がない。
かつて『珍説愚説辞典』という分厚い本を訳したとき、今は亡き種村季弘先生がお礼状で「昼寝の枕にする」と書いてきてくださった。閑中読書の喜びをこれほど的確に表す比喩も少ないだろう。
この大きさではベッドで横になっては読めないから、文字通り「昼寝の枕」にするか、机上に広げて繙(ひもと)くしかないけれど、どこにいてもプルーストがあり、どのページを開いてもプルーストが読めるというのは、無人島うんぬんに関わりなく、人生の道連れとして理想的な一冊に思われた。
しかし、プルーストの個人全訳に取りかかった二〇〇九年からは少し事情が変わってきた。先日、第二巻目の翻訳を出したが、それでもこの本で言えば、三百四十一ページまでにすぎない。昼寝の枕、閑中読書は過去の幻。いまや、一冊本は未訳の部分を具体的に示す残量計となった。何とか最後までたどり着くために、せめても自らを鼓舞する一冊にしたいと思っている。
(2012年1月26日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)