2012.02.23

高遠弘美さん–産経新聞夕刊(大阪版)連載 第39回「プルーストと暮らす日々」

産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第39回をお届けします。

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プルーストと暮らす日々 39

パスティーシュというフランス語がある。先行作品の特徴を生かしてそれを模倣する文学的営為を指す場合もあれば、当の模倣作品をいうこともある。一般に「模作」と訳す。

プルーストはこのパスティーシュが好きで、『愉(たの)しみと日々』にもすでにフローベールの模作がある。その後も模作は続けられ、一九一九年には『模作と雑録』という書物さえ刊行されている。

文学的にいえば、模作は模倣された作品との重層的な世界を作り出す一種の引用と考えることもできる。『失われた時を求めて』最終篇「見いだされた時」の冒頭近くには、ゴンクール兄弟の有名な『日記』の「未発表」部分を語り手が読む場面があるのだが、引用されたゴンクールの『日記』はすべてプルーストの筆になる模作だった。

模作は読んで愉しい。とくに模倣された作家の筆遣いを知っている場合にはなおさらである。

されど、翻訳者からするとこれほど厄介なものはない。プルーストの地の文と変わらぬ一本調子で訳したら意味はないし、さりとて、ゴンクールならゴンクールの文体を日本語で過不足なく表現するのは至難の業だからである。

それは模作だけではなく、引用の場合も事情は変わらない。品格ある古典の台詞の引用を現代の散文で訳したらそれは不自然といわれても仕方がないだろう。

私が第六篇「消え去ったアルベルチーヌ」で引用されるマスネー作のオペラ『マノン』の台詞を以下のように訳したのは、リズムも響きもすばらしい原詩のニュアンスを生かしたかったからである。
「あなあはれ、囚(とら)はれと思ひし身をば逃れしも/ぬばたまの夜ともなれば、必死の羽音(はおと)/硝子(がらす)の窓に響かせて、戻らんとする鳥のあるかな」

プルーストの翻訳者としては、引用される詩人や小説家を読み込むだけではなくて、日本の古典の文体や呼吸に親しむ必要がある。

すべての読書はこのプルーストの翻訳をよりよいものにするため。最近はそんな気がしている。
(2012年2月16日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)

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