産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第43回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 43
日本ではそれほどではないけれど、ヨーロッパでは昔からあまたの書簡が文学として読まれてきた。フランスではとくにサロンが盛んになった十七世紀頃から、書簡そのものが文学として珍重されるようになった。文学史上有名なセヴィニェ夫人の書簡集はプルーストの愛読書で、作品でもしばしば言及されている。
昔、学部学生の頃、大学図書館の書庫に入って、当時おもしろいと思った作家の原書に触れてはまだ訪れたことのない国の文学に思いを馳(は)せていたのだが、啓蒙思想家のヴォルテールには度肝を抜かれた。
作品全集五十五冊もさることながら、書簡集は大判で百七冊もあったのだ。私の語学力ではどんなに精励しても一度通読するだけで最低二十年はかかるだろう。
時あたかも、一九七〇年からプルーストの書簡全集が刊行され始めていて、出るたびに揃(そろ)えていたものの、遅遅として進まず、結局二十一冊で完結したのは一九九三年だった。ヴォルテールを思えば、二十三年で二十一冊なら何とか通読できる。それに今では六百数十通を精選した一冊本の書簡集もある。研究ということを離れてもプルーストの手紙は文学として読んで愉(たの)しい。
一九〇三年、プルーストは、自分が書こうと思っている文学論をどういう形式で書けばいいのか二つの形式を説明した上で、敬愛する詩人のノアイユ伯爵夫人に尋ねる。一九三四年に出た「プルウスト研究 第二巻」所収の河盛好蔵訳で引いてみよう。
「どちらの方がお気に召すか云つて頂けますか。非常に疲れてゐますので自分の決めるべきことを無精して全く申し訳ないのですが、こんな途方もない厚かましいお願いをすることが私の言ひわけになつてくれます。と申しますのは、あなたは我々の最大の作家ですから、こんな些細(ささい)なことでご迷惑をかけるのは許し難いことですが、同時に正にそのためにあなたの御意見が掛けがへのないものになるからであります」
礼節と敬意を失わず、しかも言いたいことを書く。まさにお手本のような書簡ではなかろうか。
(2012年3月15日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)