2012.04.19

〈あとがきのあとがき〉「温泉郷でブラックウッドを翻訳す」 南條竹則さんに聞く

『秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集』 ブラックウッド/南條竹則訳

本書『秘書綺譚』の帯には「『恐怖の王道』ここに降臨す。」のコピーが。そして「怪奇小説最大の巨匠」の文字も見えます。

そう、怪奇幻想小説ファンには、「待ってました!」と思わず声をかけたくなる重鎮ブラックウッドの登場でした。

そして翻訳家の名前を見て、再度よろこんだ方も多いのでは。幻想小説の作家でもある南條竹則さんが、ブラックウッドの短篇から選んだ傑作集なのです。

今回の「あとがきのあとがき」に登場する南條竹則さんは、ご存知のように、文学だけでなく温泉や中華料理もこよなく愛する方。ブラックウッドの話の前に、まずは温泉郷の話が展開されます。

──「あとがき」で、本書の翻訳を山形県の赤倉温泉でおこなっていたと書いておられます。南條さんが温泉でどんな日々を過ごしているのか、とても興味があります。

南條 赤倉温泉での私の一日を紹介しますと、たとえば朝起きて食事をし、二度寝してから岩風呂に入ります。そして仕事をするとすぐお昼に。旅館を出て「クラブ食堂」という店に行きます。ここにはアスパラ麺をつかったラーメンがある。この地域はアスパラガスの産地なんですね。うどん粉にアスパラを練り込んだ手打ちの麺がとてもおいしい。それから戻って仕事ですね。夕方になると晩飯を食べお風呂に入って読書をし、後は寝てしまうという生活です。

私の場合、執筆はパソコンも多少使いますが、基本は手書き。翻訳は机に向かって書きますが、小説は寝て書く。風呂に入ると頭が覚醒するので、出たら湯冷めしないようにすぐ布団の中に入って書きます。

使っている筆記具は、ぺんてるの硬質筆ペン。それを使ってプリントアウトした原稿に仰向けになって文字を書き込んでゆくんです。

翻訳の場合は完全に手書き。こちらは仰向けにならず(笑)、座って筆ペンで原稿用紙にすらすらすらと書いていく。なぜ手書きかといえば、意識が途切れないから。パソコンは「変換」しますよね、そうすると「言葉の命」が切れてしまう。手で書くと長い文章に対応できるのです。

──ブラックウッドの言葉に対応することは大変なことですか?

南條 この作家は、決して上手な書き手とはいえません。文章家として問題がある。たとえば形容詞を一つでいいのに二つも三つも並べるようなところがあります。日本語にしたら同じ言葉になってしまう形容詞が並んでいるので、訳している時、どうしてもつづめてしまうんですね。しかし、あまりに切ってしまうのも問題なので、校正の時に戻したりする。その作業がけっこう辛い。

同じ怪奇幻想小説の作家、アーサー・マッケンなどはふつうに訳せば、それがそのまま読める日本語になるのだけれど、ブラックウッドは手強いですね。

彼の文章の欠点は、しっかりとした文章修行をしていないことからきていると思います。イギリスの名家の御曹子だったブラックウッドは、子供の頃に文章の鍛錬をせず、アメリカでジャーナリストになりました。そこで身につけたのはジャーナリズムの文章だったんですね。だからどうしても文章が粗い。

しかし、この作家がやっかいなのは、文章に問題があるのに内容が信じられないくらい面白いことですね。

今回の本に入っている『転移』なんてすごいでしょ。地面と人間が対決するなんてことは、はっきりいってブラックウッドしか思いつかないですよ。

──あの作品には本当に驚きました。そしてやはりブラックウッドの魅力に取り憑かれてしまいました。そこでですが、南條さんは「解説」で「ブラックウッドにはまだ訳されていない重要な作品が多くある」という気になることを書いておられるのですが。

南條 そうなんです、翻訳は決して少ない方ではないのですが、取りこぼされている重要な作品もあるんですね。たとえば『The Human Chord』という小説。私は仮に「人間和声」と訳していますが、これはユダヤ教の神秘思想に出てくる「力の言葉」をテーマにしたものです。

その言葉は、ユダヤ教の神であるヤーウェの御名です。それを発音すると驚異的な力が生み出されるといわれています。しかし、あまりに偉大な御名であるために一人では発音できない、集団でしなければいけないという設定になっている。

そこでこの小説の魔法使いは、合唱のようにソプラノ、アルト、テノール、バスといった声域の違った人たちで、ヤーウェの御名を発声するというアイデアを考えたんですね。

『The Human Chord』では、田舎に住んでいるカバラの研究者が、テノールの声をもつ秘書を新聞で募集するところから物語が始まります。

主人公は募集に応じた青年で、彼はその研究者の屋敷に行くんですね。なんとそこにはソプラノの声をだす美女と、アルトのおばさんとバスの男が待っている(笑)。

そして物語の最後では、テノールの主人公が入って完成したグループが、あの「力の言葉」を発声してみるという壮大な実験が行われるのです。

──(編集者Nが横から)面白そうですね〜! ぜひ、翻訳して下さい。

南條 翻訳っていう仕事はけっこうたいへんなものなんですよ、だからすぐに「うん」とはいえません(笑)。先程、私は翻訳は手書きでといいましたね、しかし原稿用紙に書いたところで作業は終わったわけでありません。ゲラの校正がある。特に私の場合は、校正でものすごく文章を変えますからたいへんです。最初のゲラは真っ赤になる。誤字などを直すだけの校正になるのは第三稿くらいからでしょうか。その頃になると、最初の原稿とはかなり違ったものになっている。これが私の仕事のスタイルなのです。

イギリスの古書店で買った30冊のブラックウッド本を読む

──南條さんの翻訳スタイルが見えてきました。では、「解説」はどのように書いているのですか?

南條 なるべく多くの資料にあたります。私は今から30年くらい前、大学院時代に、ブラックウッドの本を、オックスフォードにあるブラックウェル書店の古書部から30冊くらい一挙に買い込みました。それを出してきて、ひととおり読み、あの「解説」を書いたのです。

──その「解説」で、南條さんはブラックウッドの自然観について重要な指摘をしています。

南條 大いなる自然と小さな人間との関係が、ブラウッドの全作品に通じるテーマだというところですね。自然と敵対する関係、それが物語になると恐怖小説になる。自然と一体となって恍惚境に達する関係。それは神秘小説を生み出します。そして彼の最良の作品は、この二つの領域の接点に位置するものなのだと書きました。

ブラックウッドの『古き魔術』は人が猫になっていく物語ですが、あの作品は、接点に位置する小説の例ですね。

──それからブラックウッドと神智学との関係性についても書いています。その方面に興味をもった読者のために聞きたいのですが、神智学の影響が一番強く出ているのはどの小説になるでしょう?

南條 『Julius Le Vallon』という作品があります。これは大昔、どこかの惑星にいた男女が間違いを犯して、それを償うために輪廻転生を繰り返す物語です。これなんか神智学の思想が全面的に展開される小説ですね。

あとは『The Bright Messenger』。これは『Julius Le Vallon』の続篇で、問題の男女が生んだ子供が主人公の物語です。

神智学の影響が際立って強いのはこの2冊かと思います。

今、温泉旅館で手掛けている翻訳と小説について

──では、今、南條さんが手掛けている仕事について、お聞ききします。まず翻訳の方ですが。

南條 名文章家といわれているイギリスの作家、チャールズ・ラムの『エリア随筆』を訳しています。その紹介をする前に、今、翻訳や小説書きのために籠っている温泉についてお話しましょう(笑)。

今日もそこから東京に出てきて、また数日後に戻るのですが、山形県の最上地方の最上町に瀬見温泉というところがあります。旅館の目の前には最上川の支流、小国川が流れているのですが、とてもきれいな川なんですよ。私が宿泊している旅館の本館の建物は150年くらい前に建てられたもので、じつに風情があります。

この地域はうれしいことに「どぶろく特区」になっていて、どぶろくを自由につくることができます。それで番頭さんが一升瓶をもってきてくれたりします。

料理は川魚がとにかくうまい、アユ、イワナ、カジカ、ハヤ、それからナマズ。最近、友人が遊びにきたので、その夜はナマズ鍋を食べました。

まあ、日常は相変わらずの、朝風呂、原稿、昼は近くの食堂というパターンですね。この温泉郷には寿司屋と食堂が一軒ずつあって、昼にその食堂に行かないと、そこのおばちゃんが病気でもしたかと心配する(笑)。

まあ、5年間かかって訳した『エリア随筆』の最終作業を、そんな温泉地でしているわけです。しかし、この本はいいですよ。既に何冊か翻訳されたものがありますが、今はなかなか手に入りません。私は素晴らしい名文章を素晴らしく読めるようにしようと頑張っています。今年、国書刊行会から出る予定です。

──小説の方は?

南條 『りえちゃんとマーおじさん』(ソニーマガジンズ)という子供向けの中華料理ファンタジーを、私は前に出しています。その続篇をまた仰向けになって書いています。自分でいうのもなんですが、大傑作です!

前作にブタンバランという食い意地のはった妖怪が出てきて、退治されるのですが、その「ブタンバランの逆襲」といったストーリーですね。

──料理ファンタジーの話が出たところで、『中華満喫』(新潮選書)など中華料理の本も何冊も出している南條さんにお聞きしたいのですが、最近、中華で何かおいしいものを食べましたか?

南條 最近ではないのですが、昨年の5月、中国の揚州にいっていろいろと食べてきました。揚州料理というのは、一言でいえば、上海料理の甘くないもの、それは素晴らしい料理でした。

そうそう、そこでとんでもない料理人に出会いました。一丁の豆腐を2万5千本に切るんです! 目の前でやってくれましたが、あまりに細く切っていくので、見ていてもよくわからない、できあがったところで水をかけると、豆腐が糸みたいにばらけていくんです。すごい技でした。

それから杭州に行ったので、そこの料理人にそのことを話すと、「それはそう難しくない」というんですね。中国の料理人はスゴイ(笑)。

──(再び編集者Nが)......あの、やはり『The Human Chord』、読みたいですね。ぜひ翻訳していただけないでしょうか......。

南條 先程申し上げた『エリア随筆』が大変なんですよ。翻訳するとしたら、それを終えてからですね、この本には注釈を何千とつけなきゃいけない。深い教養をもったラムは、多くの書物からたくさんの引用をしながら文章を書いているので、どうしても注釈が多くなってしまう。それで、私はある案を考えまして......。

(と、ここから南條さんの非常に興味深い奇想天外な「ある案」の話が続くのですが、そこは非公開ということなので、このインタビュー原稿もここで終わらせていただきます。

温泉話もそうでしたが、南條竹則さんの日常は非常にファンタジックな日々のようでした)
(聞き手/渡邉裕之・3月浅草にて)


秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集

秘書綺譚 ブラックウッド幻想怪奇傑作集
ブラックウッド
南條竹則 訳