産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第49回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 49
パリ暮らしを始めて、一度だけ日本料理店で鮨を食べたことがある。すぐにフランス人で満員になる人気店だったが、店員がみなアジア系で日本語が通じない。参ったのは鮨の盛り合わせにライスが別に添えられていたことだ。パリでは日本食が流行(はや)っているけれど、たいていはこの調子だから、看板に日本語が書かれているからといって決して油断はできない。
やはりフランスではパンを基本にした食事に限る。復活祭のようにほとんどの店が休みのときでもいくつかのパン屋は開いているし、住み始めると贔屓(ひいき)の店もできる。やはり地元の人々が並んでも買う店のパンは美味しい。店頭に並ぶパンは種類も多く目移りがして、どれを買おうかいつも並びながら迷うのだが、結局は「ブリオッシュ」を頼むことが多い。
牛乳とバターと卵を豊富に使った口当たりの柔らかな一種の菓子パンで、形はさまざまあるものの、概して日本のパン屋で売られているものよりも大きくて、私がよく買う店のものは食パン二斤より大きいくらいで上部が山塊のようにでこぼこして尖(とが)っている。朝昼食べてもニ、三日はもつ。ナイフを入れると甘い香りが立ちのぼって、気持ちも何となく浮き浮きしてくる。
バゲットもクロワッサンも好きなのにどうしてブリオッシュを選ぶかと言えば、やはりプルーストの比喩が忘れられないからである。『失われた時を求めて』第一篇「コンブレー」。テオドールはカミュの店で働く青年。
「ミサのあと、テオドールに、いつもより大きいブリオッシュを届けてくれるように言おうと思って、カミュの店に入ろうとする私たちの目の前に見えるのが鐘塔だった。鐘塔は祝別されたとびきり大きなブリオッシュのように、みずから黄金色にこんがり焼け、太陽の光を鱗(うろこ)のように反射させるかと思うと、ゴムの樹液のように滴らせながら、青い空に鋭い尖端(せんたん)を突き刺していた」
太陽の光とこんがり焼けた黄金色に輝く教会の鐘塔のイメージ。ブリオッシュを口に入れるたびに私はこの箇所(かしょ)を思い出している。
(2012年4月26日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)