産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第54回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 54
フランスには日本のいわゆる居酒屋がない。ゾラに同名小説があるではないかと言われても、原題はすでに死語だし、そのような店が一般的かといえば違うというほかない。会社帰りに、あるいは学生のコンパで飲み交わす日本の「居酒屋」のような店は、ほとんど存在しないだろうと思う。
ただ、レストランやカフェで酒を飲むことはもちろんある。しかしそういうときに日仏の違いを感じるのは話す声の大小である。
フランスでは大声を出して喚(わめ)きながら飲むということはあり得ない。みな小声で話すから、たとえ喧嘩(けんか)めいたことになっても、周囲に聞こえて、店から「出ていってくれ」と言われたという光景にお目にかかったことは一度もない。
ところが先日、所用で出かけて帰る途中、疲れて家の近くのカフェで休んでいるときのことである。にわかに騒がしくなり、何があったかと思ったら、どうやら口論をしているふうである。私がとくに耳がいいわけではないからか、言っていることの半分も聞こえてこない。要するに何を言っているかわからないのだ。ああプルースト、と私は思った。
第二篇「花咲く乙女たちのかげに」で、語り手は大女優ラ・ベルマの舞台を見にゆく。何しろ観劇は初めてなので、あらかじめ想像することが多すぎて、語り手は十分に舞台を愉(たの)しむことができない。それどころか、前座芝居が芝居とは思わず、ただ舞台に出てきた男たちが喧嘩をしていると誤解する始末だ。そのときの比喩が面白い。
「小さなカフェで喧嘩をしている二人の男たちが何を言い合っているのかはボーイに聞かないとわからないものだが、千人を超える観客が入っているこの劇場で、一言一句聞き取れるくらい大きな声で怒鳴っているところからして、相当怒っているらしい」
カフェの喧嘩の内容はプルーストですらわからなかった。私がわからないのも無理はない。それほどに、フランスでは大声を発することが少ない。
日本の居酒屋がもっと静かならどれだけ心地よいだろうか。
(2012年6月7日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)