2012.06.21

高遠弘美さん–産経新聞夕刊(大阪版)連載 第55回「プルーストと暮らす日々」

産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第55回をお届けします。

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プルーストと暮らす日々 55

日本はそろそろ梅雨入りしたということだが、フランスでは、年間降水量も日本より少なく梅雨もない代わりに、思いがけないときに雨に降られることがある。日本で出ている旅行ガイドには傘と長袖はいつでも必需品と書いてあるくらいだ。

昼頃まで晴れていて傘を持たずに出かけると、突然降り出すこともしばしばある。もっとも傘を持って出たとしても、雨が降り出してすぐに傘を差すことにためらいがないわけではない。

第一、フランス人は少々の雨なら傘を差さないことが多いからである。繁華な通りで雨に降られ急いで傘を開くと、視界に入る人々の誰も傘を差していないということがよくある。

これを書いている部屋の窓から見える公園をジョギングしたり散歩したりする人々も、小雨くらいならまず傘を差すことはない。

前に書いたように、雨はフランス人にとって自然の息吹として感じられるところがあるのかもしれない。

病弱だったプルーストが雨について書くとき、その描写が明るい喜びに満ちているのも、そういう心象に繋がっているだろうか。

「一時間ばかり雨と風に襲われて、私は陽気に跳ね回っていたが、ちょうどモンジューヴァンの沼のほとりに立つ瓦葺(かわらぶ)きの小さな掘っ立て小屋の前に来たときは、太陽がまた顔を見せたばかりで、それが放出する金箔(きんぱく)は驟雨(しゅうう)に洗われて、ふたたび空や木々の上や小屋の外壁やまだ濡れている瓦や、雌鶏が歩いている屋根の上できらきらと輝いていた。(略)水面と壁の表面に、空の微笑に応えるかのごとく青白いほほ笑みが浮かぶのを見て、私は熱に浮かされたように、閉じた傘を振りまわしながら叫んでいた」(『失われた時を求めて』第一篇「スワン家のほうへ」)

この少し前にも、語り手が、歓喜のあまり閉じた傘を振りまわす場面がある。

パリの町で俄(にわ)か雨に見舞われるたびに、私はこの一節を思い浮かべて、まさか振りまわしはしないけれど、小雨くらいなら傘を差さずに濡れるのも悪くはないかという気になっている。
(2012年6月14日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)

line_lace05.gif cover110.jpg 失われた時を求めて 1 <全14巻>
第一篇 「スワン家のほうへ I」

プルースト/高遠弘美 訳
定価(本体952円+税)
cover140.jpg 失われた時を求めて 2<全14巻>
第一篇 「スワン家のほうへ II」

プルースト/高遠弘美 訳
定価(本体1,105円+税)