産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第57回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 57
一九〇六年の秋、前年に最愛の母を亡くしたプルーストは、家の賃貸契約が切れたことや相続問題のからみもあって、オスマン大通り百二番地の集合住宅(アパルトマン)に引っ越すことを決める。プランタンデパートにほど近く、今では一階に銀行が入っている建物である。三ヶ月の改修期間ののちプルーストが住み始めてまもなく、隣で改修工事が始まり、睡眠も静けさも必要な喘息(ぜんそく)患者プルーストとしてはノイローゼになるくらい悩まされる。何しろ工事は朝の七時に始まるのだ。当時の手紙の一節を抄訳してみよう。
「きっと便器や便座を私の部屋に接する形で設置しようとしているのです。職人たちに、私の部屋ではないほうで作業してくれとかもっと静かにできないかとどんなに言っても無駄です。チップをどれだけはずんでも聞いてくれません。隣人の目を覚まし、一緒に陽気な掛け声を唱えさせるのが彼らの儀式のようです、ハンマーで叩(たた)け、やっとこで抜け、とね。まるで信心に凝り固まったみたいで彼らは決してやめないのです」
苦しいときでも滲(にじ)み出るこのユーモアがいい。
さてその後、すでに『失われた時を求めて』に取りかかっていた一九一〇年になって、パリでは歴史的な豪雨が続き、オスマン大通り一帯までもが浸水する。水が引いたあとの処理や修繕工事がまたプルーストを悩ませる。他家の人々や召使いたちが立てる音も気になって仕方がない。さらに前の通りは車もうるさい。夏、パリを離れたプルーストが留守中に命じたのが寝室の壁全面をコルク張りにすることだった。それでやっと静かな環境を得たプルーストは一気に作品執筆に全神経を傾注することになる。
じつは私も近所の改修工事でこのところ悩まされている。三階下なのにまるで隣から聞こえてくるようである。あと二ヶ月続くと掲示に書いてあって、これがずっと部屋で仕事をしている身にはいささかつらい。ただそんなときにプルーストの実生活がほの見える書簡を繙(ひもと)くと、私の悩みも薄まるような気がしている。
(2012年6月28日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)