産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第58回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 58
私の住んでいるのはセーヌ左岸でも大衆的で親しみやすい町なので、どんな恰好(かっこう)をして歩いていても気にならない。もともとお洒落とほとんど縁のない私にはぴったりの町である。
ところで、必要に応じて右岸の高級な店の建ち並ぶ界隈(かいわい)に出たりすることがないわけではない。そういうとき、せめて服装には気をつけるようにしている。先日、知人夫妻と右岸のマドレーヌ寺院近辺のちょっぴり高級な店で食事をした。プルーストが二十七年間住んだアパルトマンもすぐ近くにある。そのとき、私の目についたのは何よりも靴だった。メトロやバスに乗っている人たちの靴は私も含めておおむねくたびれている。ところが、そういうレストランで食事をしている客の靴はみなぴかぴかに磨いてある。
『失われた時を求めて』にはじつに印象的な靴のエピソードがある。第三篇。余命わずかと診断されたスワンは、仲のよいゲルマント公爵夫人にそれを打ち明ける。だが、公爵夫人は別の晩餐会(ばんさんかい)にゆくところだった。スワンの告白に一瞬心動かされた夫人だったが、公爵から「八時の約束に遅刻はできない」と言われて馬車に乗ろうとする。そのとき、赤いドレス姿の夫人の靴が黒いことに気がついた公爵は、遅刻などかまわないから履き替えるように命じる。「時間はたっぷりあるから。八時半には着けるよ。赤いドレスに黒の靴では行けないからね」。スワンは黒い靴でも決して変ではないと言うが、公爵は耳を貸さない。それどころか、靴を履き替えて戻ってくれば夫人はまたスワンと話すだろうから、その前に帰ってくれと頼む。はては重篤のスワンに対して「医者の言うことなんか聞いてはだめです。我々より長生きをしますよ、あなたは」とまで言うのだ。
このエピソードは、外見や社交的つき合いを何より大事にし、親しい人間の間近に迫った死すらまともに扱わない社交界なるものの一面をみごとに突いている。このとき、靴はただの靴ではなくて、さりげなく階級を象徴するものとして機能していると言えるだろうか。
(2012年7月5日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)