産経新聞(大阪版)の夕刊文化欄で連載中(毎週木曜日掲載)の高遠弘美さん(『失われた時を求めて』『消え去ったアルベルチーヌ』の翻訳者)「プルーストと暮らす日々」の第64回をお届けします。
プルーストと暮らす日々 64
私事にわたって恐縮ながら私の母は七月十六日、父は九月十六日が命日である。今日はちょうど真ん中の八月の月命日ということになる。墓参りに行きたいところだが、パリにいる身ではそれも叶わない。せめては月遅れのお盆に合わせて、『失われた時を求めて』で描かれる肉親の死について紹介してみたいと思う。
プルーストには弟がいたが、作品の語り手は一人息子である。両親も亡くなったはずだが、その死は描かれない。実際には一九〇五年に最愛の母親が他界したあと、プルーストはほとんど精神を病み、長期のサナトリウム生活を送ることになる。だが、作品中で両親の死が描かれることはなかった。肉親の死が描かれるのは祖母の場合に限られる。ところが祖母の死を心から実感する章が『失われた時を求めて』の白眉とまで言われることがあるのだ。
祖母が死ぬのは第三篇「ゲルマントのほう」第一章である。「死は中世の彫刻師のように、若い娘の姿で祖母を横たえていた」。だが、語り手が祖母の死を実感するのは第四篇「ソドムとゴモラ」第二部「心情の間歇(かんけつ)」の章である。 語り手は二度目のバルベック滞在をする。その到着第一夜、困憊(こんぱい)しきった語り手は靴を脱ごうとする。その瞬間、語り手は胸に押し寄せるものを感じて涙を禁じ得ない。前に祖母と一緒にはじめてバルベックに来たときの思い出が一気に蘇ったからである。そのとき、その瞬間だけの肉体的姿勢を伴って、祖母が自分に注いでくれた愛情の何たるかを語り手はようやく理解する。
祖母は最初のバルベック滞在の折に、そうして身をかがめて語り手の靴を脱がそうとしてくれたのだ。そのとき、祖母が自分に注いでくれた愛情を根底から理解した語り手は祖母が永久に去ったことを知る。
思えば肉親の死というのは、そのときはただ悲しみに暮れるだけだとしても、何かの機会に喪失感が全体的に蘇る。プルーストはそれをこの章でみごとに描いた。この作品を翻訳した井上究一郎はここを作品の「根幹をなす」章だと位置づけている。私もそうだと思う。
(2012年8月16日 産経新聞(大阪版)夕刊掲載)