「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。[文 : 渡邉裕之・文筆家]
(サイトのリニューアルに伴い、この連載「『新・古典座』通い」の形式も若干変わります。毎月出版された新刊を一挙に1本のコラムで紹介していましたが、一冊毎紹介していきます。既刊本は新刊紹介と合わせたり、また独立した形で扱います。尚、本連載でまだ扱っていない2012年11月の新刊『桜の園/ プロポーズ/熊』(チェーホフ)『仔鹿物語』(ローリングズ)は、近いうちに既刊本として紹介していく予定です)
〈今月の新刊〉昨年12月に刊行されたメルヴィルの『ビリー・バッド』(飯野友幸/訳)を紹介しよう。
ある不幸な水兵をめぐる物語である。この海洋小説について考えようとすると、思い出す資料館がある。
数年前、神戸の街を散歩していた時、たまたま見つけた「戦没した船と海員の資料館」。第二次世界大戦中の日本、たくさんの船員と民間船舶が動員され、結果的に多くの人が亡くなり船が破壊された。その戦没船の記録を遺すために「全日本海員組合」と「戦没船を記録する会」がつくった資料館だ。
どんな記録が保存されているのか、以下のサイトで見て欲しい。
ここにある資料について考えることは、戦争や動員体制を考えるうえでとても大切なことなのだけど、今回は海洋小説『ビリー・バッド』を考えるという視点で見させてもらう。このサイトには「戦没した船の位置」というページがあり、そこから「地域毎の戦没船」という海図へ飛ぶことができる。
その地図から、任意の区域を選んでいただきたい。たとえば水色に塗られたマリアナ諸島付近の水域をクリックし、さらに水色のマーシャル諸島に進み、そしてクェゼリン環礁水域へ。そこには、いくつかの船の名が記されている。その一つをクリックすると、たとえばこんなテクストが、船体写真とともに浮かびあがる。
「生田丸 日本郵船2,968総トン 1944(昭和19)年1月12日、クェゼリン環礁エニエトジ泊地において揚陸と機関修理中、09時43分頃B24九機来襲、超低空爆撃の直撃弾をうけて火災発生、船内爆発により11時29 分沈没。兵1名 戦死」
......亡くなった一人は、具体的にどのようにして戦死したのだろう?
この「戦没した船と海員の資料館」のマップは、今までネットで見つけた(あえてこの言葉を使うが)コンテンツで、私が最も心揺さぶられたものだ。
水没した船の名前をクリックし、現れる写真と文章に遭遇すると、思わず一言呟き途方にくれてしまうのだ。「この人たちは、それぞれどのようにして死んだのか?」
船というものがポイントだ。陸続きの戦場と違った感触を私たちにもたせる。船舶の中にある独立した世界を強く感じさせることによって、その中での死を、私たちの地上の暮らしから遠ざける。
たぶんメルヴィルも何かをきっかけとして、同じように呟くところから、この小説を書き出したのではないだろうか。「一人の水兵は、どのようにしてあの悲劇に巻き込まれたのか?」
しかし、メルヴィルはただ途方にはくれてはいない。水上の世界が日常と隔絶しているからこそ、想像力がかき立てられることを『白鯨』の作家は熟知しているからだ。
そう、物語を書き出すのである。
18世紀末、イギリスの軍艦ベリポテント号に、強制徴用されたビリー・バッドという青年がいた。当時イギリス海軍は、軍艦の乗員不足を補うため商船や港町などから、ほとんど拉致するような方法で水夫を集めていた。このビリー・バッドも無理矢理、商船から連れてこられたのである。新米水兵の暮らしが始まる。誰からも愛される「空のように澄んだ眼をした」青年の日々。しかし、ある事件が起こる。彼がどのようにして軍事裁判にかけられるのか。その流れをメルヴィルは書いていく。
小説の終わりにバラッドが置かれている。タイトルを「水兵ビリー・バッドの悲劇」とでもしたらぴったりのこの詩は、自身が書いたものだが、メルヴィルはこれと同じような悲劇が唄われているバラッドをどこかで聞いたことがあるのではないか。私は(イギリスのバンド、スティーライ・スパンを入り口として)英国民謡を現代的に演奏したトラッドソングが好きになり、たくさん聞いていた時期があったけれど、水夫の悲劇を唄ったものを何曲も聞いたことがある。だから想像してしまうのだ。そのようなバラッドを聞いた19世紀の小説家が「一人の水夫は、どのようにしてあの悲劇に巻き込まれたのか?」と考え、18世紀末の水兵の物語を書いたのだと。
そしてこの小説家が綴った悲劇の書き方は独特だ。登場人物の心理描写や事件の背景を説明する言葉は、何かが過剰でどこかが非常に欠落している。このバランスは、普通の小説ではなかなか感じることができない。独特な感じを、ぜひ味わっていただきたい。
そしてもうひとつ。古典新訳文庫の魅力のひとつに作家の「年譜」がある。なかなか読ませるものが多いのだが、このメルヴィルのものもよかった。まあ、「人の不幸は蜜の味」という奴で、兄の店の火事、倒産、長男の自殺、次男の客死など、けっこうしんどい人生のところが読ませるのだけど......。そう、彼は職業的には小説家の立場を維持できず、税関の検査官の仕事を長く続けていたのですね。そして『ビリー・バッド』は出版されず遺稿のまま遺された。
私は「地域毎の戦没船」という海図と同じように、この「年譜」を見て様々なことを想像してしまった。
最後に、おまけとしてスティーライ・スパンの曲を紹介します。