ドストエフスキーの作品のなかでも特異な傑作が、この『死の家の記録』です。この作品はたしか大学生の時に初めて読み、30代のなかばに再読しました。そしてヤナーチェクのオペラも観ようとDVDを買ったのですが、なんというか音楽に入っていけなかった記憶があります。
さて、ここに登場する囚人たちの異様さには驚くばかりです。
たとえば、父親を殺し下水溝に隠していた罪で監獄送りになった放蕩息子である囚人。彼は父親の思い出話で、自分の家族は代々体が丈夫だという話をし、「たとえば俺の親父だって、死ぬときまでまったく病気ひとつしたためしはないんだからな」と言ってのける。なんと無神経な! あるいは、幼い子供を単に楽しみのために殺すことを好んだと噂される怪人ガージン。こいつは大酒飲みで、その凶暴なまでの酒乱を抑えるのに、皆が袋叩きにして半殺しにしなければ収まらないほどだという。怪人恐るべし。また、ペトローフという、一見普通で、他の囚人たちとなにも面倒事を起こさないように思える付き合いをする囚人がいます。がしかし、彼こそ囚人の中でも一番向う見ずな、恐れ知らずの、どんな規範も受け入れない人間だろうと「私」は思ってしまう......。
そうかと思えば、監獄にいるのが不思議なくらい純粋な心を持ち、聖書でロシア語の読み書きを習い覚えてしまう、兄思いのイスラーム教徒のアリ。そして監獄で"唯一の人材(金貸し)"であるユダヤ人イサイ・フォミーチの滑稽さなどは、なんとも心が和みます。善良な囚人もいるのです。
芋の子を洗うような、という形容以上にグロテスクにも感じられる入浴のシーンも印象的ですし、プロの俳優顔負けの熱演で喝采を浴びる役者と、役者と一体となって盛り上がる見物の囚人たちからは、解放感や高揚感が伝わってきます。映画『塀の中のジュリアス・シーザー』でも見事な舞台が演じられていますが、いつも監視されている囚人たちにとって、たとえ「役」になりきっているとはいえ、人間性そのものが現れ出ているのではないでしょうか。
この作品は、まさに"人間離れ"した奇人、変人たちのショーウィンドウであり、その異様さは抑制の効いた訳文だからこそ際立っていますが、ここに描かれているのは「人間そのもの」と言っていいと思います。そう思ったところで、ふと考えました。自分はどの囚人のタイプか、と。そして、自分のまわりにいる連中は、はたしてどの囚人に似ているだろうかと。考えるにつれて怖くなりますね。
<怪物>たちの息づかいがリアルに感じられる新訳です。ぜひ、この機会にお読みください。(担当者N)