雑誌「ニューヨーカー」の名物コラムニストであり人気イラストレーターでもあったジェイムズ・サーバーの短篇集『傍迷惑な人々』。
タイトル通り、勝手な思い込みや妄想で周りの人を巻き込んで騒動を起こしてしまう人たちがたくさん登場する作品集です。
そして、こうした人たちを観察しエッセイに描くサーバー自身もなかなかヘンな人物で......そう、実に味わい深い作品が集められています。今回は、この『傍迷惑な人々』を訳した芹澤恵さんにお話を伺います。どんなふうに本書の編纂をしたのかといったメーキング話、そして芹澤さんが翻訳家になるまでのことを話していただきました。
------まず、サーバーの魅力はどこにあると思いました?
芹澤 誰もが感じると思いますが、やはり「ヘンなところ」でしょうね。私も最初は、登場人物が奇天烈な行動をしたり、とんでもない妄想をしたりする、そんなところばかりおもしろがっていたんです。しかし、読んでいるうちに違った魅力も見えてきました。「あとがき」でも書いたのですが、行間からなんとなくうかがえる「含羞」がいいんですね。そこがチャーミングなんです。
本書に入っている『伊達の薄着じゃないんだよ』という、服装に関するエッセイで、「ぼく」が間違ってコートの裏地の破れ目に手を突っ込んでしまうシーンがあります。こういうことは誰もがしてしまうことなんですが、サーバーは「自分が不器用だから、そうなってしまう」という調子で書きます。そこに照れがちらりと見えていいんですね。さらに、こんな些細なことを「すごく大変な恥をかいてしまった」とまとめるところ、そのあたりに、大人の男の人のカワイラシサを私は感じてしまいます。
そしてサーバーのセールスポイントである「ヘンなところ」も、決して特別変わっているわけではないんです。尖んがったヘンだと、読む人が距離を感じてしまいますよね。だから変わっているけど極端に尖らない、しかし読者が油断をしていると、過激に怪しく妄想を暴走させていく、そこがこの作家のうまいところなんだと思います。
------『傍迷惑な人々』は、新たに編纂した短編集です。どのように作品を選んでいったのですか?
芹澤 このお話をもらって、担当の編集者の方とどんな本にしようかと相談しました。ちょうどその頃に、この本の「解説」を書いていただいた翻訳家の青山南先生が訳した『サーバーおじさんの犬がいっぱい』(筑摩書房)が出たんですね。
サーバーは犬シリーズで有名な作家だから、私たちも犬が出ている作品を集めようなんて気持ちもあったのですけど、その本のおかげで、「犬はやめましょう」ということになったのです。
それで次は、犬以外の動物も考えました(笑)。毒のある教訓で終わる物語を集めた「現代版イソップ」みたいなものを彼は書いていて、「それもいいね」なんていってた時もあります。だけど、だんだん動物の周辺にいる変な人たちが気になってきた。
サーバーで有名なのは、この本にも入れた『虹をつかむ男----ウォルター・ミティの誰も知らない別の人生』。これは平凡な日常生活をしながら、同時に頭の中で戦場や病院を舞台にした「別の人生」を生きてしまう男の話なんですけど、こういう妄想が勝手に展開してしまう人たちのことを紹介できないかと思い始めたんですね。
それでヘンな人達が出る作品をピックアップしていき、いくつかのカテゴリニーに分けていったんです。「家族の中のヘンな人」それから「「仕事仲間のヘンな人」「妄想が暴走してしまった人」、そして「ヘンな人としての自分」。こういった感じで章立てをし、それからサーバーのもう一つの顔であるイラストレーターとしての自分を語る文章は、読んで欲しかったので、「自分」のカテゴリーに入れて一冊の本にしました。
------ユーモア小説の翻訳ならでの苦労というのはあるんですか?
芹澤 苦労ってことはないですが、ユーモア小説は細部で人を笑わせるような仕掛けがあるんで、それを見逃さないように注意しています。
------「ジェイムズ・サーバーはありもしないことを、いかにも本当らしく書くことがうまい。まじめくさった口調で、にこりもしないで冗談を言うというのに似ている」と、芹澤さんは「あとがき」で書いています。その例として、あの『虹をつかむ男』の妄想に出てくる拳銃の名前を挙げていますが、それも人を笑わせるための細部の仕掛けですね。
芹澤 そうです。「ウェブリー・ヴィカーズ」という名で最もらしく書かれているんですが、 実はウェブリーとヴィカーズは別々の銃器メーカーで、サーバーが勝手に会社を合併させているんですね。しかもヴィカーズの方は、大型の重機関銃で知られているメーカーなのです。
------それを知っている読者は、大型重機関銃をイメージさせる拳銃ということで笑えるということなんですね。こうやって教えてもらっても、私たち日本の読者は笑えないんですけど、こういう情報はうれしいんです。何故なら、ユーモア小説って、登場人物の名前や出てくる会社の名前がちょっとふざけていたりするじゃないですか、サーバーも同じことをやっているのかと思うとうれしくなります。
芹澤 私は銃器のメーカーが架空であることだけは調べていたんですが、大型重機関銃の会社のことは、編集者の方が調べてきて教えてもらったんです。素晴らしい編集者ですね。
では、そのことを読者にどう伝えようかと考えました。通常、古典新訳文庫の場合、訳注はページの隅に入れておくんですが、これは説明文のボリュームが大きくなってしまったので、「あとがき」に入れさせてもらったのです。
------「あとがき」で、この銃の名前の他にも、サーバーの「芸の細かいところ」をいくつか教えてくれて、とても楽しめました。それから、この本はタイトルがいいですね。『傍迷惑な人々』。「残念な人」の流れというのかな、ぐっときました!
芹澤 古典新訳文庫の場合、短編集だと収録作品のタイトルを並べるという例が多いんです。やってみたのですが、オビに短しタスキになんとかで、どうもよくなかった。それで思いきりオリジナルな題名をつけようということになったんです。章立てをする時に、セクションごとに仮タイトルをつけていて、そこに「傍迷惑な人々」は出ていたので、担当の方と、なんの迷いもなく書名にしました。こうしてタイトルは簡単に決まったんですが、収録する作品の本数を減らすのには苦労しました。随分落としたんです。
------「パート2」もすぐできますね。
芹澤 はい、登場人物は傍迷惑な人ばかりですから(笑)。彼の家族の中にも、とっておきの変人が控えています(笑)。
------話は変わりますが、芹澤さんのまわりで傍迷惑な人はいますか?
芹澤 私がこまった人です。
------何故に?
芹澤 原稿が遅れ気味なんで(笑)。
------仕事の様子が少々伺えたところで(笑)、芹澤さんの仕事について聞かせて下さい。翻訳家にはどのような道筋でなったのですか?
芹澤 高校生の頃、映画の字幕の翻訳をしたいと思ったんです。映画がたくさんタダで見られると思って(笑)。しかし、そんな夢も忘れて大学、そして卒業し就職ということになり、仕事が慣れてきた頃に、自分が本当にやりたいことは何かなと考えてしまった。その時思い出したのが、字幕の翻訳の仕事でした。
それで翻訳学校に行ってみたんです。当時は、今みたいに衛星放送もなかったし、レンタルビデオ店もそんなに多くなかったので、学校の人に「字幕の仕事はほとんどないですよ」といわれてしまったのです。それから「文芸の方へ変えたら」とアドバイスされました。これが今の仕事に入ったきっかけですね。
------それで学校で小説の翻訳の勉強を始めたんですね。
芹澤 最初は当時多く読まれていたロマンス小説の翻訳で勉強をし、次にミステリーの翻訳の講座を。そこで翻訳家の田口俊樹先生に就いて勉強をしました。先生が早川書房の「ミステリーマガジン」で訳した短編を教材にして、翻訳しては授業の時に発表し、生徒同士がああでもないこうでもないと批評していく、そして田口先生が意見をおっしゃるという授業でした。随分鍛えられました。
------仕事はどのように始めたのですか?
芹澤 田口先生に出版社を紹介していただきました。それが東京創元社で、そこから出したキース・ピーターソンの『暗闇の終わり』というミステリーが、私の最初の仕事になります。
------東京創元社では、あのフロスト・シリーズの翻訳もしていますね?
芹澤 はい。R.D.ウィングフィールドが書いたイギリスのフロスト警部を主人公にしたシリーズです。イギリスではテレビドラマにもなり、そちらの主人公は渋いおじさま俳優が演じていますが、原作のフロスト警部は、それこそ「傍迷惑な人」の典型かもしれません(笑)。『フロスト日和』や『夜のフロスト』 などは、たいへん多くの方に読んでいただいて、うれしく思っています。
------人気のフロスト・シリーズは、まだ未訳のものがあるんですか?
芹澤 2冊あります。その1冊を今ちょうど訳しているところなんです。新刊を待ってくださっている読者が多いので、頑張らなければいけません。
------芹澤さんは翻訳の仕事だけでなく、翻訳学校で教えてもいらっしゃる。
芹澤 卒業した学校、フェロー・アカデミーで授業をもっています。自分が教わったように、生徒さんたちに短編を訳してもらって、それを講評するという授業です。短編は短いテクストの中に起承転結があるので教材として使えるんです。
この本に入っている『第三九〇二〇九〇号の復讐』も授業でとりあげました。これは運転免許証の更新を忘れて罰金を払わされた「わたし」が、警察への復讐を妄想するというものです。サーバーらしい妄想の暴走が魅力的な作品です。ここでサーバーはわざと古めかしく、そして少しばかり堅苦しい言葉を使っています。奇天烈な空想の爆発のために、コントラストが強くなる言葉を選んでいるんですね。こうした英語を日本語にするのは難しい作業ですから、勉強になると思って教材に選んだのです。
------今、翻訳家になりたいと思っている若い生徒さんたちはいかがですか?
芹澤 みんなかなり真剣にやっていますが、この時代、翻訳家としてデビューできる人はとても少数だと思うので、みなさん大変ですね。前に比べて出版点数が少ないから、私が先生にしてもらったような、出版社への紹介がなかなかできないんです。
------大変な時代を生きている翻訳家志望の若い人にとって、芹澤恵さんは、あこがれの人なんでしょうね。それでお聞きしたいのですが、翻訳をやってきてよかったことって、どんなことがありますか?
芹澤 実は私、古典新訳文庫のお仕事で「翻訳をやってきてよかった」と思ったんです。私は2007年にO・ヘンリーの『1ドルの価値/賢者の贈り物』という本を訳させてもらいました。私はこの作家が小さい頃から大変好きでずっと読んでいたんです。
翻訳を始めた時、まさかあこがれのO・ヘンリーの小説を訳せるとは考えてもいなかったので、あの本を依頼された時は、「翻訳という仕事を選んだかつての私が、望んだ以上の夢がかなった」と思いました。特に私が大好きな物語、貧しい夫婦のクリスマスの出来事が綴られた『賢者の贈り物』を訳し終えた時は、大げさかもしれませんが「生きてきてよかった〜!」と思ったほどでした。
------確かに、O・ヘンリーの珠玉の名作、『賢者の贈り物』や『最後の一葉』を訳したら、そんな気持ちになるのもわかるような気がします。
これから出てくる若い翻訳家の方にも、そんな風に思える素晴らしい仕事をしてもらいたいですね。
今日は、どうもありがとうございました!
(聞き手/ 渡邉裕之)