「光文社古典新訳文庫」を、良質な古典作品がかかる劇場に見立て、毎月新刊を紹介。その時々の街の話題と一緒に。[文 : 渡邉裕之・文筆家]
〈今月の新刊〉
『死の家の記録』(ドストエフスキー 望月哲男/訳)
2月の新刊のドストエフスキー『死の家の記録』(望月哲男訳)を紹介したい。
1849年、ドストエフスキーは、初期社会主義者のメンバーとして逮捕され、死刑判決が下されたが突如減刑される。そしてシベリアへ送られた。本書は1850年から54年までの4年間を過ごした、西南シベリアのオムスク要塞監獄での経験を基にして書かれたものだ。
今まで読んできたドストエフスキー作品の中で、「一番面白い」と思って読んだ。彼の小説の場合は、この人物の発言はどんな意味があるのかとどうしても深く考えてしまうが、この作品に出てくる者は、現実にいた人の記録を基にしているせいか、極端にいってしまえば意味もなく登場し、その発言の意味を考えようとする前に退場し、もうそれから一切登場しなかったりする。
しかも、登場している間の存在感が半端ではないのだ。実際の人物がすごかったのか、ドストエフスキーのデッサン力が強力なのか判断はつかないが、ダークな色彩ながらも奥底に熱気を感じさせる人間たちがぞろぞろと出てくる。
読者は文豪の筆力で描かれたスケッチを順番に見ていけばよい。罪とか罰とか神とか考えないで。この読書体験は格別だった。だから「一番面白い」と思った。
出てくる囚人たちがとにかく魅力的だ。たとえばペトローフ。彼は絶対行うべき自分の義務であるかのように毎日「私」に話しかけてくる不思議な人物だ。そして囚人のくせにそうとは感じさせない雰囲気をもっている。
「まるでこの男が一緒に監獄に暮らしているのではなく、町の、どこか遠くにある別の家に住んでいて、ただニュースを聞いたり、私のもとを訪れたり、皆の暮らしぶりを眺めるために、何かのついでにちょっと監獄に立ち寄っただけのような気がしたものだった」とドストエフスキーは書く。
このようにとりとめもない感触の人物だが、一方で「いったん何かの考えが頭に浮かんだら、たとえどんなことでもためらいはしない。ひょっとその気になれば、あなただって斬り殺しかねません」といわれている男なのである。
この両面をあのドストエフスキーが書く。とりとめなさと突如の強力な殺気を正確に描写する。やはりそれは、面白い。
しかし、その巧妙すぎるデッサンが続くことで、不思議な笑いの世界へと展開することもある。降誕祭週間の祝日、囚人たち自らが囚人たちのために行う芝居が上演されるのだ。あのドストエフスキーが、その素人芝居をしっかり見て、劇評というのか、深く芝居を考察している文を書くのだが、なんだか感慨深く......そして笑えるのだ。
あまりにも達者に演技をする囚人たちに感嘆し「わがロシアでは果たしてどれほどの力と才能が、しばしば何の実も結ばぬままに、自由を奪われたつらい境遇の中で、むなしく滅びていくことだろうか!」と思わず考え込んでしまう大文豪......なんだか、笑える。
この素人芝居の一日は、開幕前の会場の様子、役者の演技、物語の展開、それを見て笑いころげる観客たちの姿も克明に描写される。ここは、『死の家の記録』の最大の盛り上がりの場面だと思うのだが、強烈な祝祭のバイブレーションが活写されている。この場面を読むだけでも価値がある作品だ。立ち読みでもいい(けど、買ってください)、触れていただきたい。
しかし、『死の家の記録』が描くシベリアの監獄は、奇妙な場所だ。何かの犯罪を行った人間と、当時のロシア政府が治安を維持するために強制的に連れてきた反政府主義者や敵性外国人などが一緒に監獄にいる。そして管理がずさんなのか、様々な囚人があまりにも渾然一体となっていて、監獄ではなく、まだ19世紀になかったはずの強制収容所、そのような施設と同じような場所になっている。
本作は、20世紀に書かれた収容所文学に大きな影響を与えた作品といわれているらしいが、それは、ドストエフスキーが入れられたシベリア・オムスク要塞監獄が、収容所的な施設だったからだろう。
シベリアの収容所ということで思い出した映画がある。
ヴィータリー・カネフスキーというロシアの映画監督の『動くな、死ね、甦れ!』(1989年)という作品。この映画を紹介したい。
第二次世界大戦直後のシベリアの強制収容所がある地域に生きる少年少女を中心に、そこに暮らす人々の姿を描いた劇映画だ。
映画の冒頭、収容所の建物らしいものが映し出され、兵隊に監視されて歩く男たちの行列が見える。そこに「土佐の〜高知の〜播磨屋橋で〜」という日本語の歌声が流れていく。日本兵士が抑留されている場所なのだ。主人公の少年少女が住む集落も近くにあり、いくつかの施設(さまざま労働を強いる場所)と様々な人々が混じり合って「地域全体として収容所的な空間」になっている、それを描いているところがこの作品の特徴だろうか。
監督のカネフスキーの略歴を見ると、1935年、強制収容所があったソ連極東地域で生まれている。興味深いのは無実の罪で、映画大学在学中に逮捕され7年間の獄中生活を送っていることだ。出所後、46歳で映画第一作を発表、ブランクを経て53歳の時につくった第二作目がこの『動くな、死ね、甦れ!』だった。この作品がカンヌ映画祭で注目され、カネフスキーは監督としてやっと世界的に知られるようになる。
以上のような人生でカネフスキー自身が経験しただろう抑圧、屈辱、暴力がふんだんにちりばめられている映画だ。
ここでは、2009年11月、東京・渋谷のユーロスペースで開催された「ヴィータリー・カネフスキー特集上映」の公式HPがあったのでリンクを張っておく。
随分前に、私がこの『動くな、死ね、甦れ!』を、渋谷の映画館で観た時、観客席には立川談志さんがいた。シベリアの収容所を「人間の業」として観る視点もあるだろうなとその時、私は思ったのだった。そうだ、このドストエフスキー『死の家の記録』のあの素人芝居の場面、立川談志さんはきっと好きになると思う。