SF小説の金字塔が2013年になってぐっと面白くなってきた! オルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』の魅力を担当の傭兵編集者Oがたっぷり紹介します。
本書はSFの金字塔として知られていますが、世界が進む方向性を(80年前に書かれたとは思えないほど)的確に予測し、そこに潜む危険性を見事に提示している作品であり、まさにいま再び読まれるべき作品であると断言できます。
また、ユーモアに満ちあふれる筆致、魅惑的な登場人物、そしてスタイリッシュでさえある社会情景の描写は、古典であることを忘れさせるほど現代的です。いまだに世界中で熱狂的なファンがいて、本作がたびたび引用されるのは、本書が鋭い洞察と批判精神に満ちているのみならず、胸躍るような読書体験を提供してきたからに他なりません。
あらすじ
舞台は26世紀ロンドン(フォード紀元632年)、資本主義と科学によって輝かしい発展を遂げた人類は、幾度かの激しい紛争を経て、ようやく安定した社会を築き上げていた。遺伝子の選別と胎児の工場生産で構成する合理的な階級制度、手軽に多幸感をもたらす快楽薬ソーマの配給、そして幼少期からのフリーセックスの奨励......生産と消費のサイクルの中に生きる意味を(睡眠学習で)与えられ、誰も人生に不満を抱かない社会。「家族」は汚く卑猥な関係とされ、神は大量生産の始祖「フォード様」にとって代わられていて、人々は幸せに暮らしている。しかし、何の問題もないように思えるこの世界においても、そのあり方に疑問を持つ人々がいた。それはひょんなことから劣等感を抱えてしまった男、あるいは優秀すぎる男、そして未開社会からやってきた「野蛮人」だった。そして、騒動を巻き起こす彼らを呼びつけた「世界統制官」は、驚くべき真実を語るのであった......
ディストピア小説の系譜
ユートピアの対極にある反・理想郷(暗黒境)のことを「ディストピア」といいますが、このようなディストピアを題材にした小説というのは、海外文学においてはひとつの伝統となっています。映画化されることもしばしばです。
『すばらしい新世界』は両世界大戦に挟まれた激動の時代、1932年にオルダス・ハクスリーによって書かれました。その後の冷戦の年代にジョージ・オーウェルが『1984年』で反共産主義的な暗い世界、暴力で統制される世界を描いたのに対し、ハクスリーが資本主義と効率化の行き過ぎにアンチを唱えるような作品を書いていたというのは、注目すべき点でしょう。また、未来における「人間性の喪失」というのはディストピア小説に共通するテーマですが、ハクスリーが持ち込んだ科学的視点はなかでも特筆すべきものであり、最新の科学技術の可能性を評価しつつ「持続可能な(サステナブル)」な世界を描いているといえます。ゆえに、2013年の今、もっとも現実に近い作品であることが明らかになってきたのです。
そもそも『すばらしい新世界』って?
『すばらしい新世界』はもともとシェイクスピアの『テンペスト』に出てくるセリフ。本書の登場人物ジョンは、未開の集落から来た「野蛮人」ですが、幼少の頃から愛読している『シェイクスピア全集』をほとんど諳んじており、たびたび自分の感情をシェイクスピアからの引用で表現しています。当然この言葉には、表面的には何のキズもなく見える未来世界に対する、著者の痛烈な皮肉が込められていることは言うまでもありません。でも、実は物語のなかでジョンが最初に「ああ、すばらしい新世界!」と叫んだのは、文明社会への感想を述べたのではなく、美しいレーニナの姿に一目惚れしたときなんですよね。人が恋するとき、そこは「すばらしい新世界」となるのかもしれませんね。
なぜいま『すばらしい新世界』なのか?
本作には、現代に考えるべきあらゆる論点が詰め込まれています。「いまのありかた」を未来に延長していくと何が可能か、何が起こるか、ということの未来シナリオと考えれば面白いでしょう。
『すばらしい新世界』が与えた影響
実は映像化作品にめぼしいものがないのが本作。世界の価値の二面性を映像だけで伝えにくい、奔放な性の表現が難しいなどの理由があるのかもしれません。とはいえ、最近では1998年にアメリカのテレビ映画になりました。(Brave New World)。この作品ではスタートレックのスポック船長でおなじみのレナード・ニモイが、ムスタファ・モンド役を演じており、これはなかなかに渋くてカッコいいです。ほかの配役は若干マイナーですが、エンタメ化するためにストーリーに改編があり、ラストなどは「なるほど」と思わせるものになっています。
また、音楽では世界的人気の英国メタルバンド、IRON MAIDENの2000年発表のアルバム名がまさにBrave New World。収録されている同名の曲は、静→動→静、という鉄板の展開で、トリプルギターの競演も必聴。O Brave New World! とシャウトせずにはいられない、ライブの定番曲になっています。 アルバム・アートには、よく見ると未来のロンドンが描かれており、本作へのリスペクトを感じます。
また、本作はエンタメ分野のみならずデザイナーや社会学者などにも大きな影響を与えており、ビジネス書など思いもよらぬところでしばしば引用されます。人間の行動がどう変化するか、それをどう社会が支えるか、あるいは社会の変化で人間の行動がどう変わるか、といったことを研究している人々にとって、『すばらしい新世界』におけるハクスリーの未来の描き方はひとつのモデルであるといえます。
著者について オルダス・ハクスリー Aldous Huxley
[1894-1963] 作家。祖父、長兄、異母弟が著名な生物学者、父は編集者で作家、母は文人の家系というイギリス屈指の名家に生まれる。医者をめざしてイートン校に入るが、角膜炎から失明同然となり退学。視力回復後はオックスフォード大学で英文学と言語学を専攻し、D・H・ロレンスなどと親交を深める。文芸誌編集などを経て、詩集で作家デビュー。1921年の長篇『クローム・イエロー』が好評を博し、以後『恋愛対位法』『ガザに盲いて』など11本の長篇を執筆。独自の考察に基づくユートピア世界を描いた作品も多く、とくに1932年刊行の本書『すばらしい新世界』はSF、ディストピア小説の傑作とされる。その他、膨大な数のエッセイ、旅行記、伝記などもある。今年は没後50年にあたる。