オルダス・ハクスリーが、1932年に発表したディストピア小説『すばらしい新世界』。時代は自動車王フォードにちなんだ「フォード紀元632年」という未来。フリーセックスとソーマと呼ばれる快楽薬の配給により実現した、誰もが人生に疑問を抱かない楽園のような社会が描かれます。しかし、その世界を構成する人間たちは、受精卵の段階から孵化器で「製造」されていました。さらに、そこでは階級ごとに選別され、体格、知能などが決定されていたのです。
こんな未来社会を描いた『すばらしい新世界』を翻訳した黒原敏行さんに、今回はインタビューしてきました。ディストピア小説というとすぐに思い浮かべるジョージ・オーウェルの『1984年』 (スターリン体制下のソ連を連想させる全体主義国家によって分割統治された近未来世界を描いた小説)との比較、引用されるシェイクスピアの戯曲について、そして黒原さんが愛している幻想小説の話もうかがってきました。
インタビューは、黒原さんと担当編集者Oとの会話から始まります。
------(担当編集者O) 黒原さんには、この文庫では最初にコンラッドの『闇の奥』を訳していただきました。次に何をお願いしようかと思って、いくつか候補をあげたんです。ロード・ノベル的なものから怪奇ゴシック小説まで、色々ともっていったのですが、黒原さんがなかなかノッてくれない。それで、別に企画していたこの『すばらしい新世界』のお話をちょっとしたところ、「それは興味がある」とすぐに反応してくださって......そこだったか!と私としては意外だったんですよ。黒原さんは、この小説のどこに興味をもったのですか?
黒原 以前に私は、アメリカの現代作家ジョナサン・フランゼンの『コレクションズ』 (ハヤカワepi文庫)という小説を訳していて、これが『すばらしい新世界』の本歌取りをした作品でした。その小説の「訳者あとがき」(新潮社・単行本の)に、「現代アメリカのディストピア的状況」を描いているとは書いたのですが、ハクスリーのこの小説が下敷きになっているとは思ってもみなかった。後で、気づいて、すごく恥ずかしい思いをして。そんなこともあったので、『すばらしい新世界』にすぐに反応したんです。
------どんなふうに本歌取りがされているのですか?
黒原 『コレクションズ』は、現代アメリカの家族の物語です。クリントン政権時代、アメリカはITバブルにわき、唯一の超大国として繁栄を誇っている。ところが、この家族は恵まれた白人中流階級なのに、メンバーはみな何かしらの鬱屈を抱えています。
この物語に、アスランという薬が登場する。服用すると、気分が明るくなるという薬で、家族の何人かがはまるんですね。昔だったら、家族の軋轢は精神分析で解決ということになるんだけども、彼等はそんなところに行こうともせず、当たり前のように、薬を呑む。すると悩みはたちまえ消えてしまう。さらにこの小説では人格を変えてしまって病気を治す医療技術まで開発中です。これは、明らかに『すばらしい新世界』の未来社会の人々が服用している薬、ソーマを下敷きにして書かれていると思います。
また、『コレクションズ』に出てくる次男は、大学で文学理論を教えている男で、現代社会を痛烈に批判する。でも学生たちには見向きもされない(笑)。それどころか「ひとりで文学書を読みふけるなんて古い。コンピュータのネットワークで繋がり、その関係性の中で助け合うこともできる、この社会のどこがいけないの?」と学生たちにいわれる始末。このハッピーでどこか気持ち悪い共同体主義も、『すばらしい新世界』の幸福で不気味な共同体から影響を受けて書かれているはずです。
------あらためて読み、どんな感想を持ちましたか?
黒原 とにかく笑える作品でしたね、笑えるまで作者ハクスリーが登場人物を突き放しているところがいいなと思いました。主人公バーナード・マルクスは、この「理想的な社会」から疎外されていて、読者としては感情移入できるかなと思っていると、ちょっと立場がよくなった途端、嫌な奴になってしまう。野蛮人ジョンも、ディストピアへのアンチテーゼを体現する男として出てきたのだなと期待していると、変な狂信者みたいになってしまう......ディストピアを批判すべき人物たちがヒーローにならず、カッコ悪さを含め描かれているところがいいなと思いました。
同じディストピア小説なら、悲劇的なジョージ・オーウェルの『1984年』の方が物語として面白いという感想も多いでしょう。主人公が体制に挑戦し破れていく、光と影がくっきりとある『1984年』の方が、感情移入できるし、ドラマチックです。やっぱり笑えるものより、シリアスなものの方がインパクトが強いですからね。
でも、今の世の中を見ていると『すばらしい新世界』の方が、リアリティがある感じがすると僕は思うんですよ。
------参議院議員選挙の投票日である7月21日、自民党が圧勝しました。これで「個より公益」を打ち出した改憲への道は確実に一歩踏み出し、『1984年』みたいな全体主義的な社会がやってくるといっている人は、かなりいますが。
黒原 たしかに国全体が貧しくなってくると、強圧的な全体主義の色合いが強くなってくるのかもしれません。でも、よほど貧すれば鈍するの状況にならなければ、『1984年』的なことにはならないような気がするんです。
「君が代を歌え、口元を監視しているぞ!」という動きは実際に出てきたけれど、『1984年』のようにビッグブラザーが監視する社会が現実化するとは思えません。むしろ、もっとソフトなディストピアになるんじゃないかと。たとえば国歌を、若者が好むようなもっとカッコイイものにして「みんなで力を合わせよう! それが僕らの生きる道だあ〜」とか唄って(笑)、サビで「きみのためならボクは死ねる〜」って、Jポップ風に(笑)。これから全体主義的になるとしても、そういうソフト路線で展開する気がします。
サッカー・ワールドカップ予選のときに「DJポリス」というのが話題になりましたね。サッカーを見て興奮した若者たちを、渋谷の街で上手な言葉を使ってうまく誘導していた警官です。あれを見て、あっ、これは『すばらしい新世界』に出てきたぞ!と思いました(笑)。DJポリス氏はもちろん創意工夫をして仕事をして立派だと思うのですが、ああいったソフトな管理は気になります。ハクスリーは、1930年代に書いた小説で、現代のソフト型管理社会を描くことに成功していると思いますね。
------次に、翻訳者の大事な仕事の一つ、註をつけることについてお聞きします。この小説のタイトルは、シェイクスピアの『テンペスト』に登場する人物の台詞「O brave new world 」からきています。そして作品の中でも、たくさんのシェイクスピアの作品の言葉が引用されていて、この文庫では、それがどの戯曲からの引用なのかが註で示されています。この作業はどう行ったのですか?
黒原 まずは松村達雄さん訳の講談社文庫の註でチェックし、そこで落としているものもあるかもしれないので、フランス語訳でチェックしました。どんな本を訳すときでもフランス語訳があるときは買って参考にするのですが、このフランス語訳にはハクスリー本人が序文を寄せていて「シェイクスピアの言葉はイギリス人ならわかるが、フランスの方にはわからないところもあるだろうから註をつけた」といったようなこと書いている。註を書いたのは作家本人ではないかもしれないけれど、ハクスリーが目を通しているはずだと判断し、この本を使って引用をチェックしていきました。さらに、その註でも落としているものはあると考え、読んでいてこれはアヤシイなと思うものは、グーグルで検索しました。すると、二カ所くらいみつかって、これでほぼ完璧ではないかと思ってます。
------黒原さんは、シェイクスピアは好きなんですか?
黒原 好きですね。どうせ註をつくるなら楽しもうということで、翻訳作業をしている期間は「シェイクスピア祭り」と称し(笑)、小田島雄志先生訳の戯曲をかたっぱしから読んでいました。それと、BBCが1980年代にシェイクスピアの全戯曲を映像化したシリーズがあり、DVDのセットを買っていたので、英語字幕を表示して見ました。翻訳作業は終わりましたが、まだ祭りは続行中です(笑)。
------好きな戯曲は?
黒原 若い頃は『ハムレット』が好きでした。「僕って何?」という感じに共感したのでしょうか(笑)。20代の頃は芝居をそこそこ見ています。『ハムレット』もデレク・ジャコビというイギリスのシェイクスピア俳優が来日公演をした時に見ました。BBCのDVDのハムレットもデレク・ジャコビですね。
私が20代だった80年代は演劇ブームで、素人劇団もたくさんあって、その中でシェイクスピアもやるところもありました。まあ、今でもあるでしょうけど。『十二夜』を上演したある素人劇団のことは今でもよく覚えています。役者は一人を除いてみんなド素人でしたが、やはり作品がいいせいか、とても楽しめて、『十二夜』が大好きになりました。
ほかに好きなのは、そうですね、『お気に召すまま』とか『真夏の夜の夢』とか、喜劇が多いですね。
------外国文学愛好者の中で、黒原さんは、今、とても注目されています。きっかけは『すべての美しい馬』(早川書房)などのコーマック・マッカーシー作品の仕事でしょう。読んだ人は非常に鮮烈な印象をもったと思います。マッカーシーもすごいが、この日本語もすばらしかった。『すばらしい新世界』の翻訳でも、その魅力は発揮されていると思いますが、黒原さん、その日本語をどう獲得していったのか、少し教えて下さい。小さい頃は、どんな本を読んでいたのですか?
黒原 子どもの頃はほとんど読書をしていなくて、本格的に読み出したのは高校生になってからです。『カラマーゾフの兄弟』『罪と罰』に『戦争と平和』。日本でいうと夏目漱石に、谷崎潤一郎の初期の作品などに夢中になりました。谷崎は『少年』とか『刺青』、『秘密』、『痴人の愛』。いわゆる悪魔主義という奴ですね。
本をあまり読まなかったのが急に純文学を読み出したわけは、ありがちな話だけど疎外感ですね。小中学は同じ地域だったのが、高校になったらいろんな所からやってくる人たちと一緒になる。気が小さいから溶け込めなくて、それで本の世界に逃げ込んだんです。
それから和歌山の田舎から東京の大学に入りました。いちおう仏文科で、ボードレール、ランボー、ロートレアモンといった詩人の作品が好きでした。フランス文学は、私が大学生になった頃は、ヌーボーロマンのブームも既に去って、その後大きなムーブメントや突出した作家もいなくて、ちょっと寂しい感じがしましたね。
当時、というのは70年代後半ですが、海外文学で新しい話題というと、ラテンアメリカ文学の翻訳書が本格的に刊行されはじめたことでしょうか。国書刊行会のラテンアメリカ文学叢書なんか、私も読もうとしましたけど、白状すると、ちょっと歯ごたえがありすぎて、その面白さがわかりませんでした。少し味わえるようになってきたのは中年になってからですね。
何年か前に、個人的に「フリオ・コルタサル祭り」をやりまして、まあ、そうたくさん読破したわけでもないですが、面白いですね。コルタサルにボルヘス、そのほか、いわゆる幻想小説という奴ですか、最近でもそういうのを読もうとしています。
------コルタサルは、短編『南部高速道路』(『悪魔の涎・追い求める男他八篇』(岩波文庫)所収) がいいですね。
黒原 あれは面白いですね! 何車線もある高速道路で車が渋滞して、何日も何週間も動かないからそこで寝泊まりすることになり、村ができてしまう。まあ、こういう、ホラをだんだん膨らませていくのは、落語の『愛宕山』とか、わりとある趣向だなと思いながら読んでいくんですが、ラストが圧巻なわけです。詳しく話すと未読の人に悪いので、抽象的にいいますが、幻想が消えていくときになって、とても愛おしいものに感じられて、このわりとよくあるホラ話だと思っていたことが、自分のなかで大事な何かとしてしっかり存在していたのだなと気づく。つまり、その時点で、私のなかで幻想が事実に勝利するわけです。
事実と幻想がある場合、なぜか私は幻想に勝利してほしい。でも幻想はどうやって事実に勝利できるのか。それには技が必要ですよね。ただペガサスやらユニコーンやらが出てきて、魔法が使えて、という幻想は、子供だましでばかばかしい。コルタサルはあの手この手を使いますね。視線の動きを使って人間と山椒魚を入れ替えてしまったり。やはり戦略や仕掛けがなければ、現実には本当に勝利できないのだと思います。僕が好きな作家は、現実に勝利する言葉をもった人です。
------そういうことを考えている黒原さんが、あの独特な文章を書くコーマック・マッカーシーに出会ったのですね。
黒原 『すべての美しい馬』 は、1940年代のテキサスで、馬が大好きで、カウボーイとして生きていくことを夢見る少年の物語なんですが、最初のところで主人公が幻を見るシーンがあります。インディアンが移住していくところ、彼等の旅の行列を描写している息の長い濃密な文章がある。それを読んだ時に、ぐっと掴まれました。「これ、日本語にしたい!」と思ったんです。
マッカーシーは、リアルなことしか書かないのだけど、それがいつしか幻想性を帯びてくる、そこには戦略と仕掛けがしっかりある。現実に対して幻想が勝利する言葉をもった作家なのだと思います。
------黒原さん自身は、現実と幻想の関係はどうしているんですか?
黒原 ......唐突な質問ですね。現実が嫌で嫌でしょうがないです(笑)。もう自分だけの世界に閉じこもっていたい! 最近、愛読しているのは森茉莉ですね。『贅沢貧乏』 『甘い蜜の部屋』 に浸っています。いい年して小説で現実逃避か!と笑われそうですが。実はここに来る前、千駄木の森鴎外記念館に寄ってきました。そこに、森茉莉用の陳列ケースがありまして、原稿などが入ってるんですよ。それをじっと見たりして、2時間以上もいてしまった(笑)。
------(担当編集者O) 世界はやはりどんどん管理社会になっていますし、憂鬱になるのはわかります。
黒原 話は戻りますが『1984年』にはならないような気がします。オーウェルはビッグブラザーが監視する社会を描いていますが、今はそれとは違った監視社会になっている。たとえば生徒に体罰をしている教師を撮影した映像がYouTubeにアップされるようなことが起きる。これは権力による監視ではない。住民の安全のために設置している商店街の監視カメラのことなども考えると、『1984年』とはまったく違った監視社会だとわかる。でも、こういう市民のための監視というのが全面的にいいことなのかどうか。何か真綿で首を絞められるような窮屈さがありますよね。このあたりのリアリティを、『すばらしい新世界』はうまく描いていると思います。
------(担当編集者O)エドワード・スノーデンによって暴露されたネット監視のことから『1984年』は最近話題によく上るようになり、本も売れているそうです。しかし、『すばらしい新世界』の方がよりリアルだし、いま読む価値がある! と声を大にしていいたいですね。
(構成/ 渡邉裕之)