2013.11.10

〈あとがきのあとがき〉音楽をこよなく愛する者が、音楽とカバラをテーマにした驚異の小説を訳す ──『人間和声』の訳者・南條竹則さんに聞く

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怪奇小説の巨匠アルジャーノン・ブラックウッド。彼のファンに強く翻訳を望まれつつも、長い間未訳の状態が続いていた噂の長篇小説『人間和声』が、遂にこの春に発刊されました。

主人公の青年ロバート・スピンロビンは、ある日、一風変わった求人広告を見つけます。フィリップ・スケールという引退した牧師が秘書を求めているのですが、採用の条件は「テノールの声とヘブライ語に関するいささかの知識」という奇妙なものでした。

スケール師に会ってみると、彼は「音」に関する研究をしており、そのためにある音域と特性の声を持つ人間が必要なのだといいます。

実はスケール師、言葉の持つ神秘の力を研究しているのでした。それは、天使の名を発音すれば、天使を呼び出すことができるというもの。さらに、彼は造物主の名を唱えようと計画していました。そのためには、単独の声ではなく和声で、その名を唱える必要があるのです。バス、テノール、アルト、ソプラノ......スピンロビンはテノールのパートを受け持つために招かれたのでした......。

抜群のアイデアの物語です。訳したのは怪奇小説ファンにはおなじみの南條竹則さん。お話を伺ってきました。南條さんの深い深い音楽愛、それがきっかけで翻訳の世界に入ったことなど、非常に興味深い話を聞かせていただきました。

──『人間和声』を初めて読んだ時の印象を教えて下さい。

南條 22歳くらいの頃に読みましたが、強烈な印象を得ました。主人公のロバート・スピンロビンが、フィリップ・スケール師の屋敷に行きます。そこがお化け屋敷のような状態となり、スケール師が小さくなって主人公の部屋に来るシーンがあるでしょう。あの場面が怖くて気持ち悪くて......。

そして、いよいよ問題の発声が始まる。その最終パートの畳みかけるような展開はすごいと思いました。

──音と光の大嵐が巻き起こるなど、大スペクタクルシーン続出のクライマックスです。

南條 ただし、こけ威しのクライマックスではありません。ブラックウッドのように、本当に心の目でこうした超常現象を見てきた人でなければ、書けないものになっている。そして一番最後に、カタストロフィーが収まり、きれいな音色が流れてきます。ああいった美しいシーンは、普通の作家では書けないでしょう。

──クライマックスの展開に、深い意味をもたせていますね。

南條 読者に感動をただ提供しているのではなく、メッセージを送っている。このあたりのことを考えると、私はSF作家のH・G・ウェルズとの共通性を感じます。二人とも芸術性よりもメッセージを大切だと思っている。だから『人間和声』を19世紀のウェルズ以来のSF小説として読むことも可能です。

──今回「解説」で南條さんは、ブラックウッドの12篇の長篇小説をそれぞれ紹介しています。

南條 それも読者にメッセージを伝えようとした作家であることと関係しています。「解説」にも書きましたが、本来怪奇小説は短篇という形式に適したものです。しかし、ブラックウッドは「幻視の人」。現実世界の向こう側にある神秘的な領域を見、それを読者に伝えようとした。この壮大な幻想を表現するには、長篇という大きな器が必要なんですね。

──12の長篇の中には、違ったものもありますが、オカルティストとして真剣にメッセージしている作品が多くありますね。また、ブラックウッドの全長篇を知ることができる、この「解説」はありがたいです。

南條 さすがに12の長篇を読むのには、ほとほと疲れました(笑)。翻訳するより大変な作業でした。

音楽愛、そして中学3年生が声楽曲の訳詞を発表

──この作品のポイントは、名前や文字が霊力をもつという神秘主義の概念に、音楽の和音という要素を導入したところです。そしてブラックウッドもかなりの音楽通らしい。そこでお聞きしたいのですが、南條さんはどんな音楽がお好きですか?

南條 私は交響曲が好きで、シベリウスなどをよく聴きます。若い頃は、渡邉暁雄や山田一雄が指揮する東京都交響楽団を聴きに、上野の文化会館によく行きました。

60年代の頃の話ですが、当時私はイギリスのジョン・バルビローリという指揮者が好きでした。そのバルビローリが1970年の大阪万博に来るというのです。少年の私はとても期待していたのですが、その一ヶ月前に心臓発作で彼は亡くなってしまったのです。実に残念でね......。私は『魔法探偵』(集英社)という小説を書いています。それは、魔法を使って主人公が失せ物を捜しに70年の万博に出かけていくという話なんですけど、そこに万博会場で指揮するバルビローリを登場させています。

──噂で聞いたのですが、翻訳の仕事を始めたきっかけは音楽関係からだとか?

南條 ああ、中学生の頃の話です。私は、フレデリック・ディーリアスというイギリスの作曲家が好きだったのです。彼の声楽曲が日本では出ていないので、輸入版を買ってその詞を読んでいたんです。今ならただ読むだけですが、中学生だから辞書を引いて対訳をノートに書いていました。

当時、三浦淳史先生という音楽評論家の方が、ディーリアスについて「ステレオ芸術」や「レコード芸術」といった雑誌に書いていました。私はディーリアス・ファンとして手紙を出し、三浦先生と知り合うことになったのです。それがきっかけで、ノートに書いていた訳詞を、東芝EMIがレコードを出す時に使うことになったのです。

これが私の活字になった初めての翻訳の仕事です。中学3年生の時でした。

この声楽曲は『海流』という作品で、アメリカの詩人ホイットマンの『草の葉』の詩を唄ったもの。私はアメリカ文学なんて、あまり好きではありませんが、そんなこともあって、ホイットマンだけは気に入っているんですよ。

──出版の世界での翻訳デビューは、いつなんでしょうか?

南條 大学生の時ですね。早稲田の幻想文学会が「金羊毛」という同人誌をやっていました。70年代中期の話ですが、神田の三省堂の近くに三省堂アネックスという書店があって、そこは幻想文学系の本を平積みにするようなところだったのです。その書店で学生の私は「金羊毛」を見つけ、手紙を出し幻想文学会に入れてもらったのです。

当時私は、『幽霊船』という作品を書いたリチャード・ミドルトンという作家が好きで、自分でいくつか訳していました。その翻訳を4本、それに解説を付けて「金羊毛」2号に出したのが最初ですね。

仕事としては、国書刊行会から矢野浩三郎監修の『ラブクラフト全集』が出た時に、翻訳者の一人として参加したのが、たぶん最初です。

一人で翻訳をした単行本は、アーサー・マッケンの『輝く金字塔』(国書刊行会)が最初です。

『怪奇三昧』と『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』

──さて、南條さんはこの春に『怪奇三昧--英国恐怖小説の世界--』 という本を出しました。

南條 はい、イギリスの怪奇小説の巨匠たちを、それぞれの人生のエピソードを織り込みながら紹介するというものです。これは前に集英社新書で出したのですが、新たな要素を加えて小学館から出し直しました。

第一章はブラックウッド。その他は、アーサー・マッケン、ダンセイニとラブクラフト、M・R・ジェイムス、それにH・R・ウェイクフィールドやメイシンクレア、リチャード・ミドルトンなどをとりあげています。それに付録として、紹介した作家の翻訳を載せたものです。

──それぞれの作家の人生がなかなか面白い。

南條 面白いでしょう! 限られた紙数で人生全体を語るのは難しいので、自分が印象に残ったある一面だけをクローズアップする手法をとりました。

──作家の特徴を捉えた人生の一場面になっているんですね。ブラックウッドの場合は、若い頃に病気になった時のエピソードです。

南條 彼は英国上流階級の家に生まれ、二十歳になると自活の道を探すためにカナダのトロントへ渡ります。それでいくつかの事業を立ち上げるんですが、ことごとく失敗してしまう。それで極貧の状態に陥ってしまうんですね。

そしてある時、病気になる。医者が来てくれるのですが、ブラックウッド青年は金がなくて治療代を払うことができない。ふと、その医者が、かたわらに置いてあった『バガヴァッド・ギーター』というインドの思想書に目をとめる。「この本は、あなたが読むのかね?」というんですね。それに答えて、ブラックウッドは自分の関心のありかを説明する。そんな青年に何かを感じたのか、それから医者は一銭の金も取らず、完全に治るまで治療をしてくれるんですね。

──ブラックウッドはインド思想に少年の頃から心ひかれ、その『バガヴァッド・ギーター』を「もっとも深遠な人類の聖典」と考えていました。その神秘的な聖典に命を救われるというのは、非常にブラックウッドらしいエピソードですね。こうした場面は、ある程度想像して書くものなんですか?

南條 いや、ブラックウッドは『三十路以前のエピソード』という青春の回想記を書いています。それをもとに書きました。この『怪奇三昧』に書いてあることは、作家の自伝や伝記などをもとにして綴ったものです。アーサー・マッケンの話もそうですが、ジョン・ゴーズワースが書いた伝記が当時は入手できず、後に発刊された別の人の伝記をもとにしています。

──そしてこの10月には、ちくま文庫から『中華料理秘話 泥鰌地獄と龍虎鳳』 が出ましたね。中華料理に関する書き下ろしエッセイ集です。どんなことが書いてあるんですか?

 

南條 まあ、いろいろと書きましたが、たとえば2010年に行った上海万博のことです。やはり中国ですから、万博会場でも食べるところは充実していました。四川料理、広東料理など中国の八大料理がずらりと揃っている、と思いきや何か足らない......北京の料理がないのです(笑)。北京料理なんか無視しているんですね。

──万博そのものはいかがでしたか?

南條 さっき話に出た70年の万博では、アメリカは月の石を持ってきたり、ソ連も力強いフォルムが印象的な建物を建てるなど、かなり力を入れていましたよね。この万博ではぜんぜん力をいれていない。アメリカ館もロシア館もかなり貧弱な印象でした。韓国館やサウジアラビア館が立派でしたね。まあ、それぞれの国家と中国との関係性が如実にわかる博覧会の会場でした。

面白かったのは、65歳以上の人専用の入り口があること。通常の入り口は長蛇の列ですから、お年寄りへ優遇の措置です。さすが年長の者に敬意を払う国ですね。

でもね、こんなことをしたら、絶対インチキをする奴が現れるなと思っていました。そしたら案の定、「年寄りを貸します」という商売が出現(笑)。入り口の前でおばあさんをレンタルする商売です。そうすると金を出した者は付き添いで入れるんですね(笑)。

──相変わらす、楽しい旅をしてらっしゃる(笑)。  今日はありがとうございました。今回のインタビューでは、南條さんが音楽をとても愛していることがわかってよかったです。そんな南條さんが、音楽とカバラを題材にした『人間和声』を翻訳してくれたことを、あの世でブラックウッドはとても歓んでいるのではないでしょうか。

(聞き手・渡邉裕之)

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人間和声

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  • ブラックウッド/南條竹則 訳
  • 定価(本体933円+税)
  • ISBN:75270-5
  • 発売日:2013.5.14