先日、ロシア文学者の亀山郁夫さんにお会いする機会がありました。その時偶然この本の話になり、亀山さんが「あれは本当にいい本だね」とさらりと言われたのが、とても印象に残りました。
実は僕にとってもこの本は、何度も読みなおしている愛読書といってもいい存在です。翻訳は筑摩書房のチェーホフ全集を個人全訳した松下裕さんが手がけています。この本の著者、イワン・スイチンは19世紀末のロシアに近代的な出版社を立ち上げ、さまざまな出版事業に生涯をかけて挑み続け、さらには大部数を誇る新聞も発行していた出版人です。しかしながら訳者の松下さんが解説でも書いているように、ロシア文学史には、決して登場することのない人物でもあるのです。
外国の出版人の書いた自伝は、かなりの数が出版されています。しかし、そのほとんどが比較的最近の欧米の出版人のものです。われわれはロシアの帝政末期の出版事情について、知る機会などありませんし、はっきり言ってそんな必要があるのはごく限られた専門家だけでしょう。しかし、本書に描かれたロシアの近代化を担った伝説的な出版社の創立から終焉までの歴史は、まさに波瀾万丈。登場人物もチェーホフ、トルストイからニコライ2世、そしてあの怪僧ラスプーチンまで驚くほど多彩です。ですから一般の読者が読んでも十分楽しめる内容だと思います。
スイチンは、1851年に農民の出自を持つ、地方の書記の家に生まれました。12歳の時に毛皮の行商を手伝う仕事につき、15歳の時にモスクワの書店で働き始めます。最終的にはロシアで最大の出版社のひとつを経営するまでになりますが、農民の出身だということで多くの屈辱的な差別に苦しめられました。しかし1934年に83歳で亡くなるまで、その長い生涯を通じて、篤実な性格と驚くべき忍耐力をもって、感動的ともいえる業績を残しました。
農奴が解放されてそれほど間のないロシアでは、出版物による知的な娯楽などまだ大衆には無縁の時代でした。そんな時代に少年スイチンは、モスクワの書店で働き始めるのです。どんな困難に直面してもへこたれず、真面目に働き続けて、主人の厚い信頼を勝ち得た彼は、やがて独立を果たします。その書店を出版社にして事業を広げていくのです。
大衆に広く読まれる本を手がけることによって、急速にスイチンの出版社は成長していきます。その発展を支えた当時のロシアの大衆小説家たちのリアルな肖像も大変興味深いものです。かれらは盗作をなんとも思わず、高名な文学者の作品を「面白く書き直して」持ってくるのです。なんとも乱暴な話ですが、あるとき一人の少年が買ってくれといって持ってきた原稿は、なんとゴーゴリの原稿の引き写しでした。印刷所の校正係が神学校出の教養ある男で、印刷寸前に気づいたので、世に出ることはまぬかれました。スイチンは原稿料をすでに支払っていたのですが、静かに10ページほどの書き直しを少年に要求しただけで、あえて叱りもしませんでした。
さまざまなジャンルの出版に手を広げながら、スイチンは、絶えず厳しい検閲と全力で戦います。権力機関と丁丁発止のやり取りをする一方、難しい仕事を次々と成し遂げていきます。圧力がかかれば、政府に影響力のある人間のツテをたどって皇帝に嘆願もします。彼のエネルギーはほとんど無尽蔵と思えるほどです。本書の語り口は人柄そのままに温厚そのものですが、事業家としては、アマゾンを率いるジェフ・ベゾス顔負けの凄腕ビジネスパーソンだといえるでしょう。しかし彼の出版に対する情熱は、金銭に向けられたものではありませんでした。
スイチンは、まさに啓蒙家として、事業を拡大していったのです。児童文学、視覚教材、産業教育、そして軍事百科事典まで、あらゆる書物の出版に邁進し、すべてを事業化していった過程は、見事の一言に尽きます。その根源には、前述したように自分の出自である農民にたいする限りない共感があり、民衆にたいする義務感とでも言うべきものを持っていました。
彼のモットーは、「とても面白い本を、とても安く」提供することでした。だから大衆向けの廉価版でプーシキンとゴーゴリをそれぞれ10万部ずつ合計20万部売ったとき、彼は快哉を叫ぶのです。当時はトルストイですら、プーシキンやゴーゴリなどのロシア文学が、大衆には無縁なものだと考えていたのですから。
さて、この本のもう一つの読みどころは、スイチンと作家たちとの心温まる交遊です。スイチンは当時のロシアの文学者のほとんどと面識があったといいます。本書ではとりわけトルストイとチェーホフの生きいきとした姿が、スイチンの目を通して鮮やかに描かれています。
「文豪」トルストイがスイチンの店で気さくに行商人たちと交わす会話など、まさに抱腹絶倒と言えるでしょう。行商人たちのなかにはトルストイが高名な文学者であることを知らない者もいます。彼らは冬の行商に出る前に、商品を仕入れにやって来るのです。トルストイはこういう時に、ぶらりと訪れるのがお気にいりで、行商に出かける農民たちと長いこと話し込んでいたといいます。トルストイ自身が農民風の格好をしていたので、行商人たちは相手がどんな人物であるかまったく気づかずに気楽に話しかけることもあります。商いはどうかと尋ねるトルストイにこんなふうに答えるのです。
「まあまあで、ぼちぼちってとこで。で、おまえさんは、なにかい、商いを習いたいのかい。じいさん、きょうだいよ、遅かったね、もっと前に来なきゃあな」
トルストイに「じいさん」と呼びかけるので、店の勘定係が気を遣い「このかたがトルストイなんだぞ」と注意しますが、もちろん彼らはいっこうに気にしません。
「じゃあどうして百姓みてえななりをなすってるんだね。それとも旦那の身なりにあきちまったのかね。わしらにくれりゃァ、そいつを着たのによ」
そう言われたトルストイは腹の底からおかしそうに笑ったといいます。彼は行商人のこういう話が大好きだったのです。そして、あんたの本は賢い人が買っていく。だが、もっと怖い話を書いてくれとせがまれたりもするのです。
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[文 : 翻訳編集部 編集長・駒井 稔]
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