アフリカ文学の父、アチェベ。この作家が、1950年代、アフリカ諸国の独立期に書いた小説が『崩れゆく絆』。約60年前の小説ですが、「アフリカ文学の古典」とされていることが納得できる作品です。骨太の構成に、時代を経ても風化しないだろう、登場人物たちの魅力。古典の風格をもった小説なのです。
物語は一人の農民の男を主人公に、19世紀後半、ナイジェリア地域にある共同体が植民地支配によって変化していく様子を描いたものです。ヨーロッパ社会は、まずキリスト教として共同体に入ってきます。そのプロセスを追っていくのですが、主人公の父子関係などを通して書くことで、単純な植民地批判ではない、人が共同体の中で生きることの意味をしっかり掴んだ普遍的な小説になっています。
この『崩れゆく絆』を訳したのが、粟飯原文子(あいはら・あやこ)さん。若いアフリカ文学研究者です。
本書の特徴である詳細な訳注についてや、ビアフラ戦争の問題が絡むアチェベの最終作品に関しての話が展開されます。
また、アフリカ文学は知らない世界ですから、他のアフリカの作家についての話も聞かせていただきました。さらには、アフリカの音楽や映画についても!(粟飯原さんに教えていただいた素晴らしい音源とリンクしています)
このインタビュー、読んでいただければ、新しい世界が開けると思います。どうぞ、お楽しみ下さい。
──「訳者あとがき」には、粟飯原さんと『崩れゆく絆』との出会いがさりげなく書いてあります。もう少し詳しく教えていただけますか?
粟飯原 私は英文学科の出身で、ヨーロッパの19世紀の小説を愛読していました。学部生だったころのことですが、英文学史の専門書を読んでいると、20世紀の章で、インドやカリブの作家、そしてアフリカの作家が紹介されていました。アフリカ人作家の名前で最初にあがっていたのが、このチヌア・アチェベだったのです。
読んでみようということで取り寄せたのが、ハイネマン社というロンドンの出版社と、パリにあるプレザンス・アフリケーヌ社のアフリカ文学シリーズでした。そして私は『崩れゆく絆』を初めて読み、「あとがき」に書いたように「この小説に受けた衝撃と感動に突き動かされて」アフリカ文学を学ぶことになったのです。
先の二つの出版社がある都市が示すように、非常に矛盾した状況ですが、アフリカ文学を勉強するなら、ロンドン、パリあるいは北米の大学で、ということになります。そこで私はロンドン大学の東洋アフリカ研究学院に留学することを決めたのでした。
──「あとがき」を読んで印象的だったのは、訳注を付ける作業に関する文章でした。「自分で決めたにも関わらず、訳注を大量に付すことに関して、大きな不安を感じずにはいられなかった」と書いています。
粟飯原 文学作品にこのような説明と解釈を与えてしまっていいのかという迷いがあったのです。しかし、この本を読んでくださった方々から「やはり訳注があってよかった」という反応がけっこうありました。中には「註によっては、そっちの方に引き込まれて読んだ」というコメントをしてくださった方もいて、やっとその迷いから脱することができました。
──確かに、訳注が面白かったです。アフリカ文化をよく知らないからでしょうね。初めて接する彼らの神話に関するものとか、とても興味深かったです。
粟飯原 91ページに載せた48番の訳注などですね。これは、主人公の息子ンウォイェが好きな物語の一つ、ツバメの一種エネケに関する民話について説明したものです。こうした動物に関する民話や神話はアフリカ各地にあり、主として民族学の領域で調査・研究が行われています。今回、むしろ、イボランドの事情に詳しいナイジェリアの人たちから、民話や神話についての話を聞き、訳注を書いています。
勿論アチェベに関する研究書もたくさん出ているので、それも参考にしています。 しかし、訳注を書くことは大変な作業でした。
当然ながら、文学を創作する際には何らかのリファレンスがあります。アチェベの場合、自分の出身地方で見聞きしたものが基になっているわけですが、必ずしも1対1の対応関係ではなく、複数のものが混ぜられ、練り上げられているのです。ある一つの民話をとっても、複数のバージョンのさまざまな要素を足したり引いたりしているところがあるので、記述するのが非常に難しかったですね。
──神話から食べ物まで、アフリカの様々な事柄、事物に関する訳注を読んでいくと、アフリカは私たちの世界とは違うんだな~と感じました。しかし小説の方は、異質な暮らしを描いているにも関わらず、ものすごく共感できる物語になっています。
粟飯原 アチェベは「これはローカルな物語だが、同時に人間の普遍的な経験を語っている作品である」といっています。読者の立場からすると、その普遍とは、西洋が侵入してくる過程を歴史的に遡って考えてみたいということが大きいのではないかと思います。
たとえばアチェベはこんなエピソードを紹介しています。韓国のとある女子高の一クラス全員から『崩れゆく絆』の感想文が手紙で送られてきた。それを読み進むうちに、アチェベは彼女たちがこの小説を自らの物語として受けとめていると気づいたそうです。つまり、彼女たちは自ずと日本による植民地支配の歴史を想起していたわけです。
一方、私たちがこの小説を読むと、かつて日本が経験した西洋との遭遇が思い起こされるかもしれません。その経験と主人公たちの経験を重ね合わせながら、これは私たちの物語でもありうるのではないか、といいたくなる。しかし、朝鮮半島のことを考えると、私たちには彼等の文化を蹂躙した歴史もあるわけですから、立場はそう単純ではないことに気づきます。日本人にとって『崩れゆく絆』は、自分たちの経験を想起させると同時に、私たちが、共同体を壊したあちら側の人間でもあったことを感じさせる小説だと思います。
ローカルであると同時に普遍的であることは、この小説の本質だと思いますが、普遍的な物語として読まれる理由のひとつとして、家族間、世代間の確執が巧みに描かれている点にあるのではないでしょうか。それに関連して付け加えますが、登場人物と物語の一部はアチェベの家族とその経験がモデルになっているようです。たとえば、アチェベのお爺さんは、コミュニティに宣教師を初めて受入れた人なんですね。そして父親は、幼少期、とても好奇心旺盛な子供で、宣教師のまわりをいつもうろうろしていたといいます。
その流れで入信したという話です。だから主人公の息子ンウォイェのモデルは父親であるとも言えます。さらに父と母の結婚も興味深い。二人の結婚式に立ち会った牧師が、物語では割と肯定的に描かれているブラウン師のモデルなのだそうです。
──今回、粟飯原さんは「解説」も書いています。そこで、アチェベの最後の作品『サバンナの蟻塚』について触れています。約20年間書こうとして書けなかった長編小説だといいます。気になりますね。いったいどういう作品だったのでしょう。
粟飯原 約20年の間、どうして書けなかったのか。これは「解説」でも書きましたが、ナイジェリアで起きたビアフラ戦争(1967-1970年)が大きな影響を与えたのだと思います。この戦争は、一言でいうなら、ナイジェリアの東部州が分離・独立を宣言したことを発端に起こりました。
ビアフラ戦争以前、アチェベは統一されたナイジェリアという国民国家を強く意識して小説を書いていました。しかし中央政府からの分離を掲げたビアフラ戦争をきっかけにして、その意識が大きく揺らいだのです。さらにアフリカの時代状況はどんどん変わっていく。そのような中で、以前のような小説の書き方では現状を描くことができないと思ったのでしょう。そのため、1987年に発表された『サバンナの蟻塚』は非常に複雑な構成と文体をもった作品になっています。
舞台はナイジェリアによく似た西アフリカの架空の国。軍事クーデターで権力の座についた大統領がいます。この国の政治状況とさまざまな問題が、主に3人の登場人物の視点から語られていきます。そしてこの小説では、いくつかの問いかけが行われています。国家とは何か。公正な社会を築くにはどうしたらいいのか。エリート階級と貧しい人たちがどう繋がっていけるのか。こうした困難な問いを模索するためにも、複数の視点は必要だったのだと思います。実は、私の一番好きなアチェベの作品が『サバンナの蟻塚』です。ぜひこの作品も訳したいと思っています。
──さて、この小説をきっかけにアフリカ文学に興味をもった人に、日本語で読めるお勧めのアフリカの小説を紹介していただきたいのですが。
粟飯原 はい。まずはアチェベと同じナイジェリアのイボ人作家による作品です。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェの『半分のぼった黄色い太陽』(河出書房新社) 。これはビアフラ戦争の状況をラブストーリーに沿って描いた小説ですね。素晴らしい翻訳家であり、J.M.クッツェーの訳者としても有名な、くぼたのぞみさんが訳されています。
そのくぼたさんの翻訳では、非常に難解なテクストですが、『デイヴィッドの物語』(大月書店) もお勧めです。南アフリカのゾーイ・ウィカムによる小説で、南アの解放闘争の内幕、矛盾と痛みに満ちた複雑な闘争の過程を描きだしています。
それから「古典」的な作品としては、河出書房新社の「現代アラブ小説全集」の一冊『北へ還りゆく時/ゼーンの結婚』(黒田寿郎・高井清仁訳)に入っている『北へ還りゆく時』があります。スーダンの作家タイーブ・サーレフの作品です。ヨーロッパと故郷のはざまにとらわれた主人公の自我の危機をめぐる物語、そんなふうに解釈できるかと思います。ところで、スーダンはアラビア語圏のアフリカの国なので、この小説はアラブ文学の範疇にも入ってしまうんですね。
──粟飯原さんは、英語やフランス語でアフリカ文学の作品を読んでいるわけですが、作家や作品はどのように知っていくのですか?
粟飯原 いくつかの方法がありますが、そのひとつにケイン賞という、イギリスの英語圏アフリカ文学賞のチェックがあります。この賞は、ブッカー賞と関係があることから「アフリカンブッカー」とも呼ばれています。ちなみにブッカー賞というのは重要なイギリスの文学賞ですが、ケイン賞もアフリカの作家たちにとって国際的な名声を得るための登竜門となっています。受賞者は確かに注目に値する若手作家が多いので、私は毎年チェックしています。過去の受賞者には、ナイジェリアの作家ヘロン・ハビラや、ケニアの作家ビニャヴァンガ・ワイナイナなどがいます。
それから、ここでぜひ語っておきたいのは、野間アフリカ出版賞のことです。これは講談社の主催で1980年から2009年まで続けられた賞ですが、文学作品や学術書など、アフリカ諸国で出版された図書に贈られていました。文学に特化されているわけではありませんが、受賞した小説はどれも優れた作品ばかりです。ということで、この野間アフリカ出版賞も私は気にしていました。
──そんな賞があることを、まったく知りませんでした! 無知を承知で言わせていただくなら、やはりアフリカ系の話題は新鮮ですね。アフリカの音楽や映画についても教えていただければと思います。粟飯原さんは、アフリカ文学の研究とともに、アフリカ音楽や映画の研究もされている方なので、楽しみにしていました。
粟飯原 私が好きな音楽家だと、マニアックすぎて手に入らないので(笑)、有名どころをまずお勧めします。
マリのスーパー・レイル・バンド。日本でもワールドミュージックファンには有名な、サリフ・ケイタやモリ・カンテが在籍したバンドです。マリ政府がスポンサーになっていたグループで、マリやギニアの民族音楽の伝統に、ラテンやアフロ・アメリカンの音楽の成分を取り入れたようなスタイルです。
ザイール(現コンゴ民主共和国)のフランコ&O.K.ジャズもいいですよ。「ギターの魔術師」と呼ばれるフランコ・ルアンボが結成したバンドです。彼らが演奏したのはコンゴの「ルンバ」ですが、キューバ音楽の強い影響を受けて発展した新しいジャンル、ととりあえずいっておきます。
それから、アフリカ映画には素晴らしい作品が多いのですが、残念ながら日本で見ることができる作品は限られています。割合入手しやすいDVDがあるものということで、まずはエチオピア出身で国際的に著名な監督、ハイレ・ゲリマの『テザ 慟哭の大地』(紀伊國屋書店) 。ドイツに留学していた主人公がエチオピアの故郷の村に戻り、祖国の過去と未来に思いを馳せる・・・そんな作品です。
そして『母たちの村』(エスピーオー) 。セネガルのセンベーヌ・ウスマン監督の作品です。物語は西アフリカの村を舞台に、いわゆる女子割礼をめぐって展開します。アチェベがアフリカ文学の父であるなら、センベーヌはアフリカ映画の父といわれます。数々の素晴らしい映画を作り、小説も書きました。
──ありがとうございました。新たな世界を知るきっかけになりそうです! それでは最後に、粟飯原さんがこれからどんな仕事をしようと考えているか、教えていただけますか。
粟飯原 アフリカの文学作品をこれからもどんどん訳していきたいですね。 また文学だけでなく、アフリカの思想・哲学にも取り組もうと考えています。
カメルーン出身で、南アフリカで教鞭をとっているアシーユ・ンベンベという思想家に、私は注目しています。ンベンベは「ネクロ・ポリティクス(死の政治学)」という概念を提示したことで有名ですが、昨年には『ニグロ理性批判』という著作を上梓しました。彼の仕事を日本に紹介できればと思っています。
(聞き手・渡邉裕之)