裏の回では、4回表に登場した小尾芙佐さんの愛読書、当時の出版や翻訳事情、関連する本などをご紹介します。
連載3回表では、「SFマガジン」1961年2月号に載った中篇「アルジャーノンに花束を」に感動した小尾芙佐さんが、福島正実編集長のところにすっ飛んでいったこと、その十数年後に今度は自分が長篇を訳すことになったことが出てきた。その著者であるダニエル・キイスさんが、現地時間6月15日、86歳で逝去した。
キイスさんの本を訳し、親交のあった小尾さんは、共同通信社配信で追悼文を執筆し「信濃毎日新聞」(6月23日)や「北海道新聞」(6月24日)に掲載された。「S-Fマガジン」9月号にも寄稿している。
今回は、小尾芙佐さんが手がけた本をいくつかご紹介することで、キイスさんのご冥福をお祈りしたい。(以下の本の発行元はすべて早川書房)
『アルジャーノンに花束を』の原著は、中篇が1959年に発表されヒューゴー賞を受賞し、7年後の1966年に長篇となって再登場した。長篇もネビュラ賞に輝いたが、刊行までの険しい道のりは『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』(後出)に詳しい。
主人公チャーリイ・ゴードンは32歳、ニューヨークのダウンタウンのパン屋で下働きをしている。彼は知能が低いが、同僚たちと仲良く過ごしていた。みんなともっと話がしたくて、夜学に通って読み書きを習っていると、大学の教授たちが脳外科手術で頭をよくしてくれることになった。すでにその手術で超知能を獲得した白ネズミのアルジャーノンと競争させられながら、チャーリイの知能もあがっていく。ところが、チャーリイの頭がよくなるにつれて、周囲の人たちの態度が変わっていく。チャーリイ自身も、以前の同僚たちの笑顔は侮蔑的なものだったことに気づき、今まで経験しなかった恋愛感情にも悩まされる。さらに、アルジャーノンに異変が起き、チャーリイはやがて自分もそうなることを、天才的な知能ゆえに理解してしまう。
多くの読者が涙を流した本作は、チャーリイの手記の形をとっているので、最初は稚拙で幼い文章が次第に変化していく。その言葉づかいや文体が、原著の英語でも、翻訳する際の言語でもひとつの鍵となっている。
1992年、初来日したキイスさんは、『アルジャーノンに花束を』の冒頭部分をどう訳したか小尾さんに質問した。小尾さんが、放浪の天才画家・山下清の文章の特性を頭に刻みこんだと答えところ、キイスさんも、チャーリイと同じくらいの知能の少年の文章を参考にしたと返答し、「作者と訳者が期せずして同じことをやっていたんですね」とほっとした顔をなさったという。
後日、小尾さんのもとに小包が届いた。それは、銀細工のねずみのイヤリングで、キイスさんからの手紙には次のように書かれていた。
「妻のオーリアと、あるアート・フェステバルにいき・・・・妻と私は声をそろえて言いました。これはミセス・オビに贈らなくてはと・・・・・これをみるたびに、<アルジャーノン>は、私と貴女の心のあいだに通い合ったもののシンボルであることを思い出して下さい......」
そして、共同通信配信の追悼文を、小尾さんはこう結んでいる。
「私はいまもそれを目の前において、キイスさんの温かな心とさえた目を偲びながら、ありがとう、キイスさん、と心のなかでつぶやいている。」
(「信濃毎日新聞」2014年6月23日より)
小尾さんが「アルジャーノンのこと」という文章を寄せている。
冒頭のチャーリイの「けえかほうこく」をいかに訳したか、ふたりの間で交わされた前述の会話とともに、ねずみのイヤリングがプレゼントされることにつながる別のエピソードも紹介されている。原作者と翻訳者、その家族のあたたかい交流が伝わってくる。
『アルジャーノンに花束を』の作品論としては、巽孝之「天才神話の終焉」が読み応えあり。
『アルジャーノン、チャーリイ、そして私』ダニエル・キイス 著 小尾芙佐 訳本が好きな幼少期、親の期待で医学部に進み、学費を稼ぐためにさまざまなバイトをし、船に乗り込んで「にわか船医」になり、ひょんなことから編集アシスタントとして採用され、妻オーリアと出会う……。「アルジャーノンに花束を」の中篇が完成するまで、そして長篇に書き直すまでの苦悩の日々が綴られた、創作ノートであり自伝。主人公チャーリイは、キイスの分身なのだと気づかされる。そして、次の言葉が目に飛び込んでくる。
「初老にさしかかり......自分がなぜ書くか、なぜ、できるかぎり書こうと思っているか理解できた。私がこの世を去ったあと、私の短篇小説や長篇小説は、小石が水に落ちたように、大きく波紋をひろげつづけて多くのひとびとの心に触れるだろうという願いがあるからこそ私は書いているのだと。」
『心の鏡 ダニエル・キイス傑作集』稲葉明雄・小尾芙佐 訳1950〜1960年代に発表された中編・短編を編んだ日本オリジナル作品集。
小尾さんが訳した「エルモにおまかせ」「限りなき慈悲」「ロウエル教授の生活と意見」「心の鏡」「呪縛」「ママ人形」とともに、1960年度ヒューゴー賞受賞の中篇版「アルジャーノンに花束を」(稲葉明雄訳)が収録されている。
『五番目のサリー』 ダニエル・キイス 著 小尾芙佐 訳いつも地味な色の服を着ている茶色の目と髪のサリー(29歳)の心の中には、4つの人格が存在している。楽天家のデリー、教養あふれる画家ノラ、女優志望のベラ、男を憎み黒い服しか着ないジンクス。多重人格の苦しみと治療の過程を追ったフィクション。
この作品のあと、キイスは、多重人格を扱った『24人のビリー・ミリガン』(堀内静子訳)、精神の解離を扱った『クローディアの告白』(秋津知子訳)などのノンフィクション作品を発表していく。
本を読んで涙したといえば、小さいころは『フランダースの犬』や『ああ、無情』だった。ところが、ずっと忘れていた本のことを、急に思い出した。『ポールのあした』。申し訳ないことに、著者の名前は覚えていない。足の長いポールのイラストは、おぼろげに覚えている。
何十年かぶりに調べてみると、著者は山下喬子さん、絵は桜井誠さん、1965年に講談社から発行されている。国会図書館のデータには「横浜や渋谷などを舞台に黒人混血児の悲哀を施設その他の実地見聞に基づいて描く (日本図書館協会)」とあった。
私が読んだのは、出版されてから何年か経っていたと思うが、混血児というと、テレビで見たエリザベス・サンダース・ホームが思い浮かんだ。『ちびくろサンボ』のバターとホットケーキは美味しそうで大好きだったし、空気でふくらませるダッコちゃん人形がヒットしていた時代。今では差別語となった黒人への呼称も、普通に使われていた。
涙腺が刺激されたのは、かわいそうという気持ちと、不条理への憤りだったのだろうか。
同じ頃、泣くではなくワクワクしたのは、『宿題ひきうけ株式会社』(理論社)だ。著者の古田足日さんも、今年6月8日に86歳で亡くなられた。『おしいれのぼうけん』(童心社)のほうは昔に読んだ記憶がなく、子どもに読み聞かせるときに初めて出会った。
ちなみに、『ポールのあした』は、青少年読書感想文コンクール第11回(1965年)の課題図書になっていたので、小学校の図書室にあったのだろう。課題図書より何年か遅れて私も感想文を書き、区の文集か何かに掲載された。うれしかったけれど、ポールに申し訳ないような居心地の悪さも感じた。
同じ年の課題図書には、ケストナーの『サーカスの小びと』(高橋健二訳、岩波書店)も入っていたが、ご縁がなかった。
『ポールのあした』に涙した小学生は、その後、古典作品からはますます遠ざかり、『あしたのジョー』に夢中になる。
(構成・文 大橋由香子)
大橋由香子(おおはし ゆかこ) プロフィール
フリーライター・編集者。月刊「翻訳の世界」(バベル・プレス)やムック「翻訳事典」(アルク)等で翻訳者へのインタビュー取材を手がけてきた。光文社古典新訳文庫の創設時スタッフでもある。著書『同時通訳者 鳥飼玖美子』『生命科学者 中村桂子』(理論社 )『満心愛の人』(インパクト出版会)ほか。