翻訳について書かれた本は、いつも変わらぬ人気があります。大きな書店ではコーナーができるほどです。そのすべてではありませんが、翻訳出版を手がける編集者として、気になる内容のものには、ほぼ目を通してきました。しかし、本書ほど教えられるところの多い本は近来稀だと言っても過言ではありません。タイトルが『翻訳教育』であるのもむべなるかな。読み終えると、著者の野崎歓さんの該博な知識に裏打ちされた、翻訳論、文学論、さらには文化論が、楽しみながら身につくように構成されています。残念ながら外国文学の人気が低下して久しいことは否定できない事実です。しかし本書を読むと、海外の作品を読まないことは本当に惜しいことだと痛感させられます。
野崎歓さんは東京大学でフランス文学を講じている大学教師ですが、同時に練達の翻訳家として、たくさんの訳書を世に送り出してきました。光文社古典新訳文庫でも『ちいさな王子』(サン=テグジュペリ)『赤と黒(上・下)』(スタンダール)『うたかたの日々』(ボリス・ヴィアン)の3作品を翻訳されています。
2006年9月の古典新訳文庫創刊にあたって、『星の王子さま』の翻訳をお願いするために、東大の駒場へ伺ったときのことは今でもはっきりと覚えています。野崎さんがその時「『星の王子さま』というタイトルはあまりにも童話的に過ぎて原題のニュアンスから離れている。もし新訳をするなら『ちいさな王子』と、原題に近づけたタイトルにしたい」と熱っぽく語っていたのが印象的でした。
書物の世界が目の前に開け始めたころ、とりわけ翻訳書のたぐいに親しみ出したころを思い返すと、渚の記憶が一緒になってよみがえってくる。
野崎さんは新潟で生まれ、少年期を過ごしました。ですから原風景とでもいうべきものが日本海なのでしょう。しかし、なぜか演歌に出てくるような冬の暗い日本海ではなく、野崎さんの日本海は「夏の光は美しく、焼けつく暑さすら嬉しく、そして海の水はさわやかだった」という、いささか地中海的なイメージに彩られた海なのです。この海がヘミングウェイ『老人と海』へ誘い、次に運命的ともいえるカミュの『異邦人』との邂逅へと導くのです。カミュの描く太陽と浜辺が強烈な実感をともなって感受される瞬間があったのです。そしてカミュの諸作品は「自分がいま、これまで読んできた本とはまったく異なる何かと出会っている」という感覚をもたらすのです。
カミュの「世界は美しい。そしてすべてはそこにある」という文章は、野崎さんを震撼させました。その時の感動が行間から立ち上ってくるようです。しかし、ふと考えてしまうのです。いまどきの少年たちはカミュを読んで、こんなふうに心動くことはあるのかなあと。きっとそういう少年はいるはずだとは思うのですが......。
野崎さんが大学で担当した「翻訳論」の講座を受講した学生のなかには、翻訳書を根本的に否定してかかる学生がいたそうです。これは、翻訳は原典の劣化コピーであるという、ある種の単純な誤解から生じたものだと言えますが、この国に根強く存在する、翻訳に対する一般的な偏見でもあるように思えます。
翻訳文学の読書によってもたらされた「異郷」の感覚は、少年期の野崎さんを虜にしていきます。ほどなくしてフランス文学者・堀口大學の訳詩集『月下の一群』との出会いにより、ポール・ヴァレリィやアポリネール、ジャン・コクトーといった作家たちの詩に魅了されていくことになるのです。これがなんと中学生の時といいますから、その早熟ぶりには驚かされます。
『月下の一群』の「あとがき」にあった次のような言葉が、野崎さんに決定的な影響を与えたのだと知ることは楽しいことです。
美しい詩章は美しい恋人のやうに、愛すべきものだ。私は愛人の新鮮な肌に触れるときのやうな、身も世もあらぬ情念(ヴォリュプテ)をこめて、愛する詩章に手を触れた。それがこれ等の訳詩である。
この「あとがき」がいかに深く脳裏に刻まれ、血肉と化したのかを知ることは、本書を通じて、繰り返し語られる翻訳への愛を理解する鍵になると思います。
さて、河出書房新社の「文藝」誌で、本書に収録された文章を連載していたのと同時期に、前述したボリス・ヴィアン『うたかたの日々』は翻訳されました。『翻訳教育』には当時の「翻訳漬け」の日々が綴られています。
『うたかたの日々』にはラストシーンで重要な役割を担うハツカネズミが登場しますが、翻訳を進めるうちに、その性別の問題が浮上するのです。既訳のうち新潮文庫版『日々の泡』(曾根元吉訳、単行本は1970年刊)はメスとして、いっぽうハヤカワepi文庫版『うたかたの日々』(伊東守男訳、単行本は1979年刊)はオスとして訳出されています。また、伊東守男訳を熟読して漫画化した岡崎京子さんの傑作『うたかたの日々』(宝島社、2003年)でも、当然ながら、男言葉で話すハツカネズミが描かれています。
ハツカネズミの性別を確定するために、野崎さんは懊悩しますが、フランス人の友人のアドバイスもあり、最終的には確信をもってメスとして描くことを決断します。こういったエピソードは、正解というものを見つけにくい、翻訳の難しさを表わす典型的な例だと言えるかもしれません。新訳が以前の訳を乗り越えて進化を遂げていく過程で、翻訳家を襲う共通の苦しみだと思います。
また、この『うたかたの日々』に触れた部分を読んでいると、われわれ編集者が原稿の催促ばかりしていた時期に、野崎さんご自身に大変なご苦労があったことを知ることができる記述もあって、粛然と襟を正しました。
『文体練習』で知られる小説家のレイモン・クノ―(ヴィアンの兄貴分だそうです)が「現代の恋愛小説中もっとも悲痛な小説」と表現したこの素晴らしい作品は、野崎さんの新訳で21世紀のわが国に見事に蘇りました。ちなみに昨年、2013年の秋にミシェル・ゴンドリー監督の映画化作品が封切られ、それをきっかけとして、いくつかイベントへの出演をお願いしました。ジャズ界からは菊地成孔さんが参加し、野崎さんと熱くこの作品を語っていただいたのが昨日のことのようです。この時の模様はYou Tubeにアップされていますので、興味のある方は是非ご覧になってください。
野崎さんのご専門は『火の娘たち』で知られるジェラール・ド・ネルヴァルという19世紀のフランス人作家です。驚いたことに、ネルヴァルはパリ大学医学部の学生だった頃、19歳でゲーテの『ファウスト』をフランス語に翻訳しているのです。しかもこのネルヴァル版『ファウスト』が現代でもフランスで広く読まれているという事実には言葉を失いました。
それだけではありません。ゲーテ本人がネルヴァルによる仏訳を熱心に読んだうえで、実に見事な出来栄えだと言って誉めているのです。ゲーテの賛辞はこれにとどまりません。本書にはこんな引用があります。
「『ドイツ語では』と彼はいった、『とても「ファウスト」をもう読む気がしないさ。だが、こういう仏訳で読んでみると、全篇があらためてじつに清新で生気に満ちた印象をうけるね。』」(エッカーマン『ゲーテとの対話』山下肇訳 岩波文庫)
これは衝撃的でした。ゲーテはヴォルテールの作品をはじめとするフランス文学との骨身を削るような格闘の日々を経て、作家として自身の表現を獲得しました。そのゲーテの代表作『ファウスト』が、フランス人のネルヴァルによって仏訳され、ある年月を経て再びゲーテ自身を魅了したことは、翻訳という作業が持っている不思議な可能性を暗示しているのではないでしょうか。ちなみにネルヴァル本人は20年後にこのことを知ったのだそうです。
もうひとつのネルヴァルに関する重要なエピソードは、『火の娘たち』に収録されている「ジェミー」という短編が、実はオーストリアの作家が書いたものを大胆にカットして仏訳した、いわば「超訳」であったことです。ある時期にはオリジナルでないという理由から全集から外されることもあったそうですが、野崎さんはこの作品をネルヴァルの「創作」として捉えています。
シェイクスピアであれゲーテであれプルーストであれ、どんな偉大な文学者も「(誰々に倣って)」書き始めたのだし、文学は文学から生まれるのではないか。そう認めてしまえば創作の観念はぐっと自由度を増し、幅の広いものになる。
翻訳が実は「創造」なのだということをあらためて考えさせられる、きわめて本質的な指摘だと思います。
ところで、日本で『ファウスト』の翻訳で知られる人物といえば、なんといっても森鷗外です。鷗外は大作『ファウスト』を訳すにあたって、第1部を3カ月、第2部を3カ月、合計わずか半年で訳しきってしまったそうです。それだけではなく、既に多くの日本語の訳書があった第1部を訳すにあたって「原文を素直に読んで、その時の感じを直写」するという姿勢を貫き、既訳をいっさい参照しなかったといいます。「作者がこの場合にこの意味の事を日本語で言うとしたら、どう言うだろうか」という鷗外自身の問いかけに、彼の翻訳への姿勢は集約されるでしょう。
恥を忍んで告白すると、実はいくつかの翻訳で『ファウスト』を読んではいましたが、鷗外訳だけは敬遠していました。勝手に漢文調の難解な訳文を想定していたのです。ところが、本書の引用で読んでみた鷗外の訳文は、言文一致体で、とても平易で読みやすいのには驚きました。いまさらですが、本書を読んだのをきっかけに早速、鷗外訳に挑戦してみようと思っています。まさに「翻訳教育」の成果ですね。
続いて野崎さんは鷗外の『渋江抽斎』という史伝ものの代表作に言及します。この作品に登場する渋江抽斎の4番目の妻である五百(いお)という女性こそ、『舞姫』のエリスや『山椒大夫』に登場する安寿(あんじゅ)を超える、鷗外作品の究極のヒロインである、と野崎さんは考えます。
『渋江抽斎』は晩年の鷗外が江戸時代の資料をこつこつと蒐集し、史実をもとに書き上げ、新聞小説として世に問うた作品です。鷗外は、学者であった抽斎と五百の遺児である保(たもつ)という男性から、さまざまな資料の提供を受けていたのだそうです。新聞連載という形式を巧みに利用した映画的技法や、五百という女性の近代的な性格に言及しながら、野崎さんがとりわけ強調しているのは、五百像の造形が、鷗外による資料の「翻訳作業」からなされたということです。つまり保の作品以前の言葉(メモ、覚書の類い)を見事な「訳文」に仕立て上げたのは、ほかならぬ鷗外だということなのです。この小説が持つ文学的価値が、むしろ保の提供した資料に依拠しているのではないかという議論もあったようですが、野崎さんはこれに疑問を呈します。
保経由で得た情報を、鷗外はすべて想像裡で生き直した。あるいはそのとき鷗外という偉大な翻訳マシーンが活発に作動し始めたのだ。想像力をかきたてられながらも、しかし保によって提供された「原作」への忠実を心がけ、自分の敬愛してやまない学者と彼を取り巻く人々をめぐる物語にひたと寄り添い続けた。
『渋江抽斎』という作品は、生涯翻訳を続けた作家である鷗外だからこそ書きえた作品であるという結論には、深く納得させられました。
最初に述べたように、翻訳について書かれた書物はたくさんありますが、『翻訳教育』は、青年時代から絶えず「異文化」について考え続けてきた野崎さんの、翻訳文学への熱烈なオマージュです。本書では、一見ばらばらに見える興味深いエピソードが、ふんだんに紹介されていますが、最終的には翻訳というテーマで見事に統一されています。紙幅の都合で(これはネット上での文章ではありますが)、ここでそのすべてを紹介することはできませんでした。特に音楽(家)について書かれている、面白いエピソードの数々に触れることができなかったのが残念です。
翻訳に関心のある人はもちろんのこと、文学や表現に関心のあるすべての人々にお勧めしたい一冊です。
[文 : 翻訳編集部 編集長・駒井 稔]