お待たせしました、南條竹則さんの翻訳の新作です。
今回の作家は、フィッツ=ジェイムズ・オブライエン、19世紀中期のアイルランド生まれのアメリカの小説家。
24歳でロンドンからニューヨークに渡り、新聞・雑誌に小説や評論を発表。そして南北戦争勃発を機に北軍に入隊。その戦争で受けた傷がもとで34歳の若さで亡くなりました。
オブライエンがどんな作家なのか、このインタビューの南條さんの言葉から想像してみて下さい。......ドイツ・フランスのロマン派の味わいに、SF的な要素という組み合わせ......この取り合わせ、不思議です。いったいどんな作家なのでしょう。
さあ、オブライエンという独創的な才能を発揮した作家を南條竹則さんに語っていただきましょう。
──このフィッツ=ジェイムズ・オブライエンという作家は、一般的には知られていない作家だと思います。日本の幻想文学ファンは、どんな認識なのですか?
南條 大瀧啓裕さんが訳して『失われた部屋』(サンリオSF文庫)と『金剛石のレンズ』(創元推理文庫)の2冊を出していますから、それを読んでいる人でファンになった人もいたでしょう。しかし作品も少ないしマイナー作家だと思われているようです。
欧米でも本格的な伝記は一冊しか出版されていません。フランシス・ウォールによる『フィッツ=ジェイムズ・オブライエン』ですが、それが出たのが1944年、もう60年もたっているのにそれだけですから、やはり向こうでもマイナー作家という認識なのでしょう。また、評価の定まった作家であれば、定本作品集が大学出版局などから出るものですが、オブライエンの場合は、好事家が作品集を出しているという段階です。まだそのような扱いの作家なのです。
──実際に読んでみると、もっと知られていい作家だと思いました。
南條 ロマンティックな文章を書く人です。基本はロマン派の作家ですね。アイルランド生まれのアメリカの作家ですが、ホフマンやテオフィール・ゴーチェのようなドイツ・フランスのロマン派の味わいがある。色彩感が豊かで夢があって......しかし、そこにエドガー・アラン・ポーのような理知的な志向、SF小説の元祖といわれるような科学的要素が組み合わさっている。この取り合わせは、他にはありません!
──今、この短編集を出した理由は?
南條 オブライエンを私は非常に気に入っていましたから、古典新訳文庫の仕事を引き受けた時点から、短編集を出したいとは考えていました。ただし大瀧さんの翻訳もあったし、私が訳す必要は当分ないと思ってたのです。しかし、たまたま必要があって、大瀧訳の『金剛石のレンズ』を探すと品切れになっていたことに気づいた。『失われた部屋』はもうすでにないサンリオSF文庫ですから、読者はオブライエンを読もうと思っても入手困難......それだったら、訳そうということで、考えたのがこの短編集なのです。
──作品選択の基準を教えていただけますか。
南條 先に話しましたが、オブライエンはSF小説の先駆者といわれていました。科学的な発想で奇想天外な物語を作るという傾向がありましたから。しかし、ここでは、そのイメージから離れたゴーストストーリー的なものを多く選んでいます。ファンタジスト、怪奇小説作家としての側面に焦点を絞って編纂したつもりです。
──いくつかの作品についてのコメントをお願いします。表題作の一つ「ダイヤモンドのレンズ」は、ダイヤモンドを使った顕微鏡を完成させた研究者が、覗いてみた水滴の中に完璧な美をもつ女性を見いだすという物語です。
南條 これは極微世界の描写が素晴らしい。顕微鏡を覗く前の部分までは、まあ、エンターテイメント系の作家なら誰もが書けそうですが、覗いた後の描写が格別です。この作家でしか描けないよいうな色彩豊かな世界、そこに美女が待っています。
──これは他の作品にも共通していることですが、幻想場面の描写がこけおどしではなく、しっかり丁寧に書き込まれているんですね。この描写力の素晴らしさと、それから、現代の小説では味わえない、昔の文章の質感を強く感じました。
南條 台詞まわしとか、非常に大時代ですよね。私はこういうの嫌いじゃないんですよ。
短編集の最後に入れた「ハンフリー卿の晩餐」は、O・ヘンリーを思わせる貧困に陥った夫婦の人情劇ですが、そこで語られる夫と妻の会話も芝居がかっています。しかも19世紀の芝居みたいにレトリックをたくさん使った長ゼリフが出てくる......このあたりの大時代な味わい、私はこの人のそういうところが好きで、楽しく訳せました。
──もうひとつの表題作「不思議屋」は、19世紀、ニューヨークの貧民街を舞台にしています。そこに店を出す謎の商人が、人形の群れを遣って殺人を行おうとする物語です。
南條 「ロボット物」の古典といわれている小説ですね。勿論ロボットという言葉はまだ使っていません。自動人形がテーマになっていると点で、後のロボット小説とつながりがあります。
──そういったSF的なところも面白いのですが、この小説で非常に魅力的だったのは、貧民街の描写です。
南條 このあたりは今、非常に難しい問題に触れてしまいますね。最初、私は日本語の言葉の規制をいっさい気にせず原作のニュアンスに忠実に訳します。しかし最終校正の時は、やはり「これはだめだ」と手直しを求められる。
──それが今の日本の言葉の現実なんでしょうね。しかし「不思議屋」を読んでいくと、貧民街が物語を発生させる優れた装置であることがわかり、「ロボット物」があるように「貧民街物」という物語のジャンルがあったことを思い出しました。
南條 そういうアンソロジーがあるとするなら、貧乏文士を描いたジョージ・ギッシングの『三文文士』が入るだろうし、ロンドンの貧民街イーストエンド出身の作家、アーサー・モリスンの『チャイルド・オブ・ジェイゴ』もいいですね。これはジェイゴと呼ばれる貧しい街の物語です。ヒューバート・クラッカンソープの『残り火』なんかもいい。
私が編むとしたら、漫画家の川崎ゆきおの『路地裏の散歩者』を入れるかな(笑)。大都市の片隅を独自の視点で描くこの漫画家の大ファンなんですよ。
──川崎ゆきおの名前が出てくるとは! 確かに日本の「貧民街物」を考えた場合、「ガロ」系の漫画を無視することができませんね。貧乏と幻想が結びつく多くの作品がありますから。
さて、オブライエンのこの短編集を読んでいくと、この貧民街もそうですが、19世紀中期のニューヨークの街角の光景や風俗が時々現れてきます。これは私たちがまったく知らなかったニューヨークだったので、とても新鮮でした。
南條 そうですね。オブライエンが書いた『トマトゥー』という小説があります(本書未収録)。これはトマトゥーというニックネームをもつ少女の物語です。物語の筋は大したことがないのですが、ニューヨークのスターテン島を舞台にして、そこの情景をよく書き込んでいます。この都市の知らなかった様子を見ることができます。
──この短編集には、『手品師ピョウ・ルーが持っているドラゴンの牙』という作品も入っています。中国を舞台にしたマジカルストーリーなんですが......これは欧米のファンタジーなどで時に見られる「中華物」というジャンルの作品ですね。
南條 このジャンルで有名な人に19世紀末に活躍したサックス・ローマーという作家がいます。ロンドンのチャイナタウンを舞台にした一連の小説を発表しています。怪人フー・マンチュー博士の生みの親ですね。
──フー・マンチューで、「中華物」の魅力がなんとなくわかってきました。白人俳優が中国人を演じる時に生ずる独特なエキゾチズムというのでしょうか、それが小説として展開するのが「中華物」ですね。
南條 解説に書いたのですが、「おおむねほんの少しの中国的な要素に、西洋人の抱く東洋幻想がたっぷりと混ぜられたカクテル」ということです。しかし、この小説では「ほんの少しの中国的な要素」が現実の中国、当時の清と関係をもっているところが面白いのです。
たとえば登場人物の大臣の名前が、1850年に起きた太平天国の乱の指導者の一人の名前に似ています。
その他、作中の固有名詞には漢字に復元できるものもあり、作者は、チャイナタウンあたりの中国人に協力してもらったのではないかと想像してしまいます。
私もこの小説に登場している名前を調べるのに、近所の広東人や福建人の知り合いに聞いたりしましたけど(笑)。ただ客家(ハッカ)語の発音は調べませんでした。
──さて、南條さんにはブラックウッドの『人間和声』以来、久しぶりに「あとがきのあとがき」に登場していただきました。ということで、近況を教えていただけますか。
南條 今年はなんといってもチャールズ・ラムの『完訳エリア随筆Ⅰ正篇[上]』を5月に、『完訳エリア随筆Ⅱ正篇[下]』を8月に、国書刊行会から出したことがトピックです。
──チャールズ・ラムというのは、19世紀前半に作品を発表していたイギリスの作家、名文家として知られていて、その代表作が『エリア随筆』となる......ということですが。
この「訳者あとがき」を読むと、国書刊行会の編集者に翻訳を勧められても、ずっと断っていたと書いています。その理由として「エリア氏(ラムのこと 引用者註)の長文癖と典故のおびただしさを考えると、とても手を出す気にはなれない」と記していますが。
南條 しかし、結局は翻訳をすることになってしまった(笑)。引き受けた理由のひとつが、知り合いの藤巻明さん(立教大学教授)が注釈をつけてくれることになったからです。
──この本は注釈の数とボリュームがすごいですね。『エリア随筆』での注釈の意義を教えて下さい。
南條 本文を読んだだけでは100%わからないところがあるんです。ラムは博識な人で古典の引用が多いのですが、それだけでなく、友人や身内が文章に出てきて、楽屋落ちみたいな冗談も書く、これは事情を知らなければ完全には楽しめません。
しかし注釈を付けるといっても、19世紀前半のことをよく知らない私などが書いても隔靴掻痒になってしまいます。その点、藤巻さんは19世紀前半の文学を専門としてしている。しかもラムの生涯の親友である詩人サミュエル・テイラー・コールリッジの研究家です。彼がこの仕事をしてくれるということで、私も『エリア随筆』の翻訳をする決心がついたのです。そしてやっと今年、正篇が完成することができました。
来年以降は、『エリア随筆続篇』をやはり上下巻で出すことが決まっています。
──大仕事ですね。今回は忙しいところ、ありがとうございました。
(聞き手 渡邉裕之)