2015.02.03

〈あとがきのあとがき〉アランが注目する「芸術作品を生み出す現場」を通して、 哲学や暮らしを考える
『芸術論20講』の訳者・長谷川宏さんに聞く

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『芸術論20講』は、『幸福論』などで知られるフランスの哲学者アランが語る、芸術に関する講義が並んでいる本です。

20本の講義でアランは、このようなメッセージを伝えます。  芸術作品は、前もって頭の中で考えられたアイデアなどでは作れないと。

では、どう生み出されるのか?

たとえばアランは職人仕事に注目します。あるいは庭園術を見ておこうと語りかけます。ポイントは、職人仕事の中にある素材や技術の制約や、庭園術の要である自然への服従を注意深くみつめていることです。

芸術論を語るのに、なぜこのような一見地味な事柄を語ろうとするのか?

ここには斬新なコンセプトをもって登場してきたアーティストや、新時代を切り開いた芸術作品ばかりが目立つ、いわゆる「20世紀の芸術」とは違った、「もうひとつの芸術」があります。

アランの斬新かつユニークな芸術論について、本書を翻訳した長谷川宏さんにお話を伺ってきました。

長谷川さんは、長年哲学の研究を続けてこられ、ヘーゲルの著書の「わかりやすく且つ深い」新訳によって日本の哲学書翻訳の世界を更新させた方です。(『精神現象学』 ヘーゲル著、長谷川宏訳、作品社、1997年)

しかし、こうした業績をもつだけの研究者ではありません。哲学することと、暮らしの中で考えることの接点を、ただ考えるのではなく、運営する塾を地域に開くという実践によって模索してきた哲学者です。

アランの芸術論と、長谷川さんの暮らしに対する考えを、続けて聞くことのできるインタビューとなりました。この組み合わせによって、アランが語る「もうひとつの芸術」の世界や、その基盤にある共同性の意味を深く感じ取ることができるのではないかと思います。

インタビューの入り口は、本書『芸術論20講』と、その前に書かれた芸術論『芸術の体系』との関係性と違いを見ることから。

アランが第一次世界大戦に従軍し、戦火の合間に書き綴った芸術論が『芸術の体系』です。長谷川さんは、この文庫でその新訳を2008年に出版しています。

『芸術論20講』は、その講演版ということになっているのですが、実はそれだけではないようで......さあ、インタビューを始めましょう。

アランは、なぜこのような芸術論を語ったのか

──まず『芸術論20講』と、『芸術の体系』の関係性と違いを教えて下さい。

長谷川 内容でいえば、『20講』は『体系』を踏まえた20本の芸術論の講義を集めたものです。『体系』で語ったことを修正したりしてはいません。が、語り方は変わっています。

アランという人は、「改めて語る、読む」ということについて、とてもユニークな考えをもっている人なんです。彼はスタンダールやバルザックが好きで、繰り返し同じ小説を読んでいたといいます。そんなアランに、こんな有名な言葉がある。

「スタンダールの『パルムの僧院』と『赤と黒』がどちらがよいかと聞かれると、とても難しいけれど、新しく読んだ方が少しよいように思える」

──あっ、なんかいい言葉ですね。

長谷川 要するに書物に接する時、過去に読んだとしても、その時々、新鮮な気持で一冊の書物に接し改めて考えたい、そういう態度を大事にするのがアランです。それは語るという行為でも同じで、新たな経験の中で語り直すことを大切にしている。

『体系』は、第一次世界大戦の従軍生活の中で書かれており、『20講』の方は、自分が非常勤講師をしている学校の女子学生相手の授業で話したことです。状況が違えば、アランはそれに即して考えますから、語り方が大きく変わったのです。

──内容はどうなんでしょう? 「訳者あとがき」では、担当編集者と『体系』では「ダンスについて話すことが多かったが、今回は建築についてことばを交わすことが多かったように思う」と長谷川さんは書いておられます。このエピソードから、2冊の違いが語れますか?

長谷川 できるかもしれない。それぞれの魅力的なところを語り合ったのではないかな。普通、芸術論が扱うジャンルというと建築、彫刻、絵画というのがパターンです。僕が訳に加わった『美術の物語』(天野衛、大西広らとの共訳 ファイドン)を書いた美術史家のエルンスト・ゴンブリッチの芸術観はその典型ですね。しかし、アランは違う。ダンスを最初の方にもってきて語ったりする、しかも村の人たちが集まって踊るようなダンスが、どうして美しいかを分析する。やはり一番読ませるところなんだな、そこを元々バレエが大好きな担当編集者と語り合ったわけです。

それで今回の『20講』で一番面白いのは、建築論ということになる。それもオーソッドクスな建築論ではなくて、建築と庭園を同じ枠組みの中で論じていたりする。これが非常に面白い!

──この建築論、感銘しました。アランは「大庭園芸術は自然に服従することによって様式を守っている(中略)庭園芸術ではほかの芸術よりも、しあわせな服従がどういうことか分かりやすい」と書いている。自然への服従を建築論の重要なポイントにし、その服従を幸福と結びつけているところなど、自然を制圧する大建築という考えからなんとか抜け出ようとしている、現代の若い建築家なんかに読んで欲しいと思いました。

長谷川 庭園術が何をするかというと、すでにある地形をどうやって庭として案配していくかということになります。今だったらブルドーザーで土地をガーッと壊して真っ平らな更地にしてしまうけれど、この本が出た20世紀前半のヨーロッパでは技術的にそれは無理だった。絵画だったらまっさらな紙の上でアートしてしまうけれど、庭はすでにあるものをどう生かしていくかを考えるしかない。その制約にアランは注目する。「自分の構想」が生かせるものではなく、「自然が望むもの」を生かして作っていくこと、それこそが素晴らしいと考える。この建築論には、アランの芸術論の真髄がわかりやすく語られています。

──素晴らしい芸術を生み出すのは「自分の構想なんかではない」というのは、本書のポイントですね。そこで質問です。この「作品の美や強さが、前もって考えている理念によって作られるのではなく、たとえば実作行為の中で生み出されのだ」という考えを、アランが強調するのは、どういう意図があるんでしょうか? それと、その考えは、当時の20世紀前半のヨーロッパ社会に於いて、どんな意味があったのでしょう?

長谷川 2つの問題は深く繋がっています。

アランが『体系』を書いていた第一次世界大戦は、1914年から1918年まで続く戦争で、その中の1917年に書いている。芸術史でいうと、そろそろ前衛芸術が出てくる頃、絵画なら抽象画、建築なら機能主義的なモダニズム建築、さらにはロシア革命と連動する構成主義などの芸術運動も盛んになり始める頃です。

このような新しい芸術の流れが少しずつ目に見えるようになってきた時代ですが、アランはそういう流れには乗らなかったんだと思います。反対に、今まで自分たちが享受し作り上げてきた伝統的な芸術のよさというものを、その流れから守ろうした。そういう意味でいえばアランはとても保守的です。

彼はこう思ったんじゃないかな。芸術作品というのは、そんなふうに自分たちの意志で勝手にできるものではない。若い芸術家が「新しい観念さえあれば何でもできるんだ」というが、そんなことはありえない。「オリジナリティ」を誇ったりもするが、芸術はそんな偉そうなものではないだろうと。

そんな時代の中で、アランの場合は、職人仕事に対する敬意がふつふつとわき上がってきたんだと思います。無名の職人が作り上げてきた、たとえばステンドグラス。ゴシック教会を飾るステンドグラス、この職人仕事の素晴らしさをどう伝えたらいいか。彼は、その職人仕事の中に入り込むような形で語ろうとしました。

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スペインのレオンにある大聖堂のステンドグラス

ガラス一枚一枚を職人は半田の太い線で繋いでいく、決して洗練されたとはいえない線なのだけど、全体としては非常に美しいステンドグラスができあがる。どちらかといえば荒っぽい半田とガラスという素材、そういう制約の中で素晴らしい美しさが表現できることをアランは語ろうとした。さらに、素材や技術が要求してくるものを跳ね返して、自在にものごとを作れるなどというのは、製作条件としてはちっともいい条件ではないと考えた。そのことを語ることで、頭の中で考えてきたことがそのまま実現すると信じている者に対して、「嘘おっしゃい」といいたかったのではないでしょうか。

──しかし、抽象絵画の先駆者カンディンスキー(最初の抽象絵画発表は1910年)の名も、モダニズム建築の代表的学校、バウハウス(1919年設立)、ロシア革命(1917年)と芸術についても、本書では語られていませんね。

長谷川 『体系』でもいっさい触れられていません。アランはけっこう過激な社会主義者で、社会を批判的に見ていましたが、直接否定的な言葉を相手に投げつけるような人ではありませんでした。文章にも品性や節度が必要だと思っていたのでしょう。

アランの芸術論の根本にある共同性

──見えない敵が見えたところでアランの意図もなんとなくわかってきました。さて、本書は語り方や内容も面白いのですが、構成の仕方も魅力的です。『芸術論20講』というタイトルですが、20本ある講義の順番がとても納得がいくのです。

長谷川 最初の方にダンスについての講義があって、それから音楽、詩、見世物と続いていく。アランが考える芸術の基本のひとつは「からだ」なんですね。たとえばダンスは頭でアイデアを作ってやるというよりは、「からだ」がある均衡をもった状態になり、自身にとって心地よい状態になることがすごく大切で、それができることが作品として、あるいは人に見えるものとしての素晴らしさに繋がっていくと考える。そして、音楽や詩、見世物もその範疇の芸術としてある。

しかし後半に出てくる、建築、彫刻、絵画は、それとは少し違って自分の中にある観念が比較的実現しやすい芸術として捉えている。

それはまた「共同作業」という視点からも分けられているんです。たとえば絵画、19世紀くらいから絵を描くことは、「共同作業」から脱していった、一人でキャンバスに向かって描くようになってしまったんですね。

音楽だって今は一人コンピュータで作るようになってしまったけれど、アランが考えている音楽の基本は民謡みたいなもの。何かみんなで仕事をしていて誰かが「オ〜」と唄いだすと、あっちから誰かが「ア〜」と声を重ねる、そこでハーモニーが生まれたりリズムが刻まれたりする。アランが考えている音楽はそういうものです。 ダンスも同様で、普通の暮らしの娯楽として、あの人とこの人が踊りだすと気持いいという、一種の「共同作業」として捉えている。

芸術の美は、実作行為の中で生み出されるといった時の実作行為は、まずは集団的な作業なんだとアランは考えていたのではないでしょうか。その「共同作業」から個人の作業へ移行していく、すると作品も観念でコントロールできるようになり、抽象度が高まっていく。ダンス、音楽、詩、見世物、そして衣装が入り、建築、彫刻、絵画へと繋がっていく構成は、その「共同作業」から個人の作業への流れとも呼応しているんです。

──アランは、「共同作業」を大切なものとして考えていたのですね。

長谷川 みんなで踊るとか唄うとかは、作り上げていく過程が共有できるけれど、建築、彫刻、絵画などは製作過程が見えにくくなっていく。人々が働く姿がある種の芸術行為であり、そこからできるものが芸術なんだというのが、アランの芸術論の根っこにあるのだと思います。

──「共同作業」といえば、長谷川さんはいくつかの研究会や読書会をやっておられる。そのひとつの「美学の会」が、この『20講』を訳すきっかけとなったことを、「訳者あとがき」で書いていますね。

長谷川 僕は、アカデミズムの外で哲学を勉強し続け、同時に小学生・中学生相手の塾をずっと長くやってきたわけだけど、その塾を会場にして地域の人たちと読書会をしてきました。他にも別のところで行っている研究会などが幾つかあって、その一つが、もう15年くらい続いている「美学の会」なんですね。

僕は1997年に『新しいヘーゲル』というヘーゲルの思想を紹介する本を講談社新書から出しています。ある大学の市民大学講座で、その本を基にして講義を一年くらい続けたんですが、そこで受講者の人たちとグループを作りました。僕の講座というのは、勧進元を離れて会が続いていくというのが多いのです。もう講座じゃないんだから講師料なんかいらない、「研究会にしましょう」ということになる。初めは僕が訳したヘーゲルの『美学講義』(作品社)を読むことにしたんです。それで「美学の会」という。参加者にたまたま芸術の仕事に携わる人が何人かいた。画家、写真家、劇作家、ピアニストとかね。勿論哲学に興味をもっている参加者もいたけれど、なんとくなく読む物も芸術系のものを意識的に選ぶということになっていった。その中の一冊がアランの『芸術の体系』というわけです。

──「そこで何度となくアランの分かりにくさが話題となった」と「あとがき」で書いています。

長谷川 そう、確かにわかりにくい。そこでフランス語原文に還っていったりするんだけど、合わせて『芸術論20講』の関連箇所も読むようになっていたんです。するとそこから新しい光が射してきて、わかりにくさを解きほぐしてくれる。こうして読むことが、本書の翻訳につながっていったわけです。

哲学の思考回路と暮らしで考えることの接点

──先ほど、大学とは離れて哲学研究をしつづてきたこと、塾も長く続けてきたことなどの話が出ました。塾は大学を出てから始めたのですか?

長谷川 僕はちょっと大学で教えていたのですが、1968年に東京大学でバリケード闘争が始まった。僕は学校側と学生たちとの中間にいるような位置取りから、だんだん学生側に肩入れをするようになった。そして、闘いの火の粉が飛んでくるようなところが好きだったというか(笑)、結局1年くらいバリケードの中で生活しました。ストライキの方はこれ以上続けてもどうにもならんということで、自分たちの方から解除しました。それで今さら大学に戻ることはあるまいと考え、外に出たんですね。友人と二人で塾を始めたのです。一緒にバリケード闘争を闘った嫁さんは「私はもともと東大なんか嫌いだったから」といってさっさと保育士となって働きだした。それが1970年くらいの話です。塾を一緒に始めた友人は途中で離れていったのですが、僕はもう45年間、塾を続けてきたことになる。

そんなに年月がたつと最初に教えた子供ももう50代中頃。今でもつきあいはあって、今年の正月も何人かやってきて呑んで大騒ぎしました。もう掛け替えのない友人という感じです。そして、この塾で何か面白いことをしようと計画する時は、そういう人たちが頼りになるスタッフとして働いてくれる。

──塾で面白いことって、なんですか?

長谷川 たとえば演劇祭。この塾の教室は演劇ができるようになっているんです。

──へ〜!(後で見学したが、教室の裏には楽屋になるスペースがあったり、天井には照明用のバトンが吊るされていたりする)

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演劇祭で上演された「ハムレット」の練習・公演などを記録した
映画「劇・ハムレットが出来るまで」(監督・山本良子)の上映会のチラシ。
赤門塾ホールというのは、塾の教室を転用した劇場の名前。(2004年)

長谷川 小学生、中学生、高校生から大人というグループに分かれて演劇を上演するんです。たとえば子供の方は木下順二の児童劇、大人はシェイクスピアをしたりする。今年は「マクベス」ですね。シェイクスピアは5、6本やっているかな。ほら、ハムレットの写真とか見て下さい、カッコイイでしょ(笑)。このオフェリア、普通の女の子ですよ、それがこんな素敵な格好をして、これ見たら小学生は「あたしもやりたい〜!」ですよ(笑)。

清水邦夫の『幻に心もそぞろ狂おしのわれらの将門』が去年のOBの出し物でした。

──塾で、清水邦夫もやるんだ......。

長谷川 唐十郎の作品だって上演したことがある(笑)。

こういってはなんですが、芝居はけっこうみんなうまい。もう40年もやっているわけですから、ちょっとした劇団です。しかもプロでやっていた人が、面白がって参加してくれたりする......そう、塾の子供の母親が、「お父さんが最近鬱々としているんです。学生の時に演劇をしていたというから、入れてやってくれませんか」と頼んできたりする(笑)。最初はお父さんも恐る恐る参加するだけど、だんだん本気になって元気になる! そして芝居の打ち上げで「実は一時期、もう生きていたくないと思ったこともあって」なんてぽろりといったりする......。

──う〜む、舞台裏もドラマチックですね。......それから、お芝居だけじゃなくて、塾をギャラリーにして美術作品の展覧会などもしているんですね。今、チラシを見せてもらったんですけど、なかなかいい感じのデザインです。

長谷川 みんなでチラシもデザインして、遊んでいるんですね。そして毎年夏の最大の遊びが10泊11日の合宿。諏訪湖の近くの山奥に行って子供たちと暮らす。炊事も全部自分たちでやってドラム缶風呂に入って、広い空間にみんなで布団を敷いて寝る! 楽しいです。

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2013年の合宿の様子。

塾では勉強を教えるからセンセーと呼ばれもしますが、一緒にいろいろと遊んでいると呼び方もオッチャンになってくる(笑)。

こんなことをずっとやっているとどうなるか。塾にいた子供は大きくなります。そして近所に暮らし続けていてくれたら、関係は深くなっていく。それを基に地域の人たちとの付き合いがだんだん濃厚になってくる(笑)。

──そういう暮らしをしながら、ヘーゲルの研究をしてきたわけですよね? 哲学とそういう生活はつながっているのですか?

長谷川 はっきりいって、そう簡単にはつながらないですよ。昼間はヘーゲルを読んだり、言語の問題を考えるのにソシュールなどの本を読む、夕方になって子供たちがやってくると「二二んが四、五五、二十五」などと教えてる。この二つはなかなかつながりません。だけど別のことをやっているとは思いたくない。大学にいなくても学問はできると考え外に飛び出た自分ですから。悩ましい時期がしばらく続きました。

それから時が流れ、塾の様々な活動と哲学の研究の接点らしきものが見えてくるようになった。高校生、あるいは大学生になっても塾に来る子がいて、そういう子供に何か問題を投げかけた時に、向こうからとても面白い答が返ってくる。こっちもそれを受けて改めて問題を考える。こういう思考の回路って、自分の哲学研究でやっていることとそれほど違わないのではないかという感触が掴めるようになってきたのです。そうだな、塾を始めて5年くらいたった頃かな、接点を掴めるようになってきました。

といっても、圧倒的に生活の方が大きいですよ。

僕には子供が四人いるのですが、子育てをして夕方から塾で教えて......それでもなんとか勉強の時間は確保していた感じです。哲学と暮らしの接点といっても、ヘーゲルの翻訳なんか、最初の訳稿は塾に来ている高校生や大学生に読んでもらって......。「面白くなかった」といわれるとカツンとくる。「じゃあ面白くしてやろうじゃないか」と何度もやり直したこともあった次第で(笑)。

今、僕は二人の孫の面倒を見ています。現在では塾はほとんど息子に任せていますが、それでも研究をする時間が少ないので、毎朝早く起きて、とにかく昼くらいまで机に向かっています。また、どうしても孫の面倒が見れないという時は、介護の勉強なんかをしているOBの大学生に助けを求める。地域に生きるというのはそういうことですよ。

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2013年の合宿の様子。

──その研究ですが、現在は日本精神史を研究していると聞いたのですが。

長谷川 十数年前に丸山真男論『丸山真男をどう読むか』(講談社現代新書)を書いて、その中で彼が書いた日本思想史に色々と不満を感じまして、これは自分で書かなければいけないと思ったのです。それが研究の直接のきっかけになりました。

具体的には、ある時代に作られた仏像や絵巻物、物語や随筆、思想書などから時代精神を読み解き、大きな歴史の流れの中に組み込んでいく仕事です。

しかしこれも塾を営む暮らしと関係しています。随分前、中学3年の二人の塾生が卒業記念に奈良へ行って、すごい感激して、今度一緒に行こうよと誘ってきた。その次の年から行き始めて毎年奈良に行っています。これも40年続けてきました。東大寺や法隆寺はもう何十回と行っていて、百済観音や、日光・月光菩薩のよさが確実にわかったと思える時があったりするわけです。このような経験が、現在の日本精神史研究を培っていると思っています。

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同じく合宿の球技大会。後ろに控えるバッターが長谷川宏さん。

──研究の背景には、塾や地域という共同性の場があるのですね。長谷川さんのお話を途中から、アランが考える芸術と共同作業との関係性と結びつけて聞いていました。そこから何故、長谷川さんがアランの芸術論に注目したのかも朧げながら見えてきたような気もします。

今日は、貴重な午前中という時間を割いていただき、本当にありがとうございました!

(聞き手 渡邉裕之)

芸術論20講

芸術論20講

  • アラン/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体1,100円+税)
  • ISBN:75304-7
  • 発売日:2015.1.8
  • 電子書籍あり
芸術の体系

芸術の体系

  • アラン/長谷川 宏 訳
  • 定価(本体914円+税)
  • ISBN:75147-0
  • 発売日:2008.1.10
  • 電子書籍あり