作家や思想家の中には、とても強いイメージに覆われてしまい、その著作を読むことがなんとなく敬遠されてしまう人物がいます。
日本では、幸徳秋水がその代表的な思想家ではないでしょうか。
今回、幸徳秋水が書いたこの『二十世紀の怪物 帝国主義』を読むと、多くの人が意外に感じ、驚くのではないかと思います。1901年に出された本ですが、そのグローバルなものの見方、29歳の年齢で(よく勉強する明治人だとしても)この豊富な知識! そして、事実に基づく合理的な推論によって展開していく明快な文章。これらのことに、人は驚くと思います。
冒頭に示した強いイメージというのは、大逆事件(1910年)で死刑にあった、強烈な反体制知識人、さらに禍禍(まがまが)しさも伴ったイメージです。
しかし、この本を読みながら、著者を想像すると、文章の明るさからでしょうか、自由、平等、博愛を追い求め、のびのびと生きようとしている青年が浮かび上がってくるのです。
原著は、漢文混じりの文語体で書かれており、それを現代の日本語に「新訳」したのが、日本政治思想史の研究者である山田博雄さん。
山田さんの「新訳」には、なにかちょっと不気味で禍々しい思想家のイメージを塗り替えたいという強い思いがあったようです。
今回は山田さんに、幸徳秋水がどんな人物であるのかを話していただくところから始めました。
山田さんは「訳者まえがき」で書いています。
「幸徳が生きた時代は、「帝国主義」という「怪物」が世界中で荒れ狂っていました。
「帝国主義」が意味する重要な要素の一つは、戦争へと突き進もうとする考え方・政策です」
今の日本も戦争への道を歩もうとしている。そう考える人も多いでしょう。 山田さんの「新訳」による新たなイメージの幸徳秋水から、当時の「帝国主義」について考えていきます。古今東西の歴史上の事実を挙げながら、それをもとに合理的な推論によって展開していく明快な文章は、21世紀の今にもしっかり届いています。
古い「怪物」を通して、今、私たちの目の前にいる「怪物」の正体を知ることができるかもしれません。
------幸徳秋水は、どんな人物なのでしょう。古典新訳文庫には『三酔人経綸問答』が入っています(以下の『三酔人─』からの引用は新訳文庫による)。この著者の中江兆民とは師弟関係にあるということですが、その関係性を辿りながら教えて下さい。
山田 1847年に生まれた中江兆民は、明治時代の代表的な思想家のひとりでありジャーナリスト。自由民権運動の理論的指導者になった人ですね。幸徳秋水は、1871年生まれだから息子世代。二人とも同じ土佐の出身です。
「自由は土佐の山間から」というように、自由民権運動が盛んな土地でした。だから幸徳少年も、国会開設や憲法制定などを明治政府に要求する自由民権という考えには慣れ親しんでいました。16歳の時に『三酔人─』が出ます。17歳で同郷の好(よしみ)ということもあり、大阪で兆民の書生となります。
ここで幸徳は、兆民の日常を見て、思想として語っていることと実際の生活に乖離がないということに感銘を受けるのです。幸徳は、ものの考え方から暮らしぶりまで、もちろん『三酔人─』などの著作も含めて、大きな影響を兆民から受けたのですね。
幸徳はもともと虚弱体質で、よく病気して帰省したりなどもしています。途中の話は端折(はしょ)りますが、若くしてジャーナリストとして活動を開始、そして思想家となっていくわけです。1901年に発表したのが、今回訳した『二十世紀の怪物 帝国主義』です。
当時は、日清戦争後の「三国干渉」があり、日露戦争(1904年開戦)に向ってロシアとの開戦へ世論が押されていく時代。その中で幸徳は、ひとつの国家が、その民族主義の拡大や経済繁栄のために、軍事力を背景として他の国家を侵略し、民族を抑圧する政策である帝国主義を痛烈に批判、それを踏まえ反戦論を説きます。戦争は少数の資本家や企業が利益を得るだけだ、ということを正確に指摘しています。
その後、1905年から6年にかけて幸徳はアメリカに渡航、そこでの経験を踏まえ、帰国後、直接行動論を提唱することになります。「直接行動」といっても、爆弾を投げるとかいうことではなくて、同盟罷工(どうめいひこう)つまり「ストライキ」などを行うという意味ですが。
しかし1910年、政府は大逆事件というでっちあげ(フレーム・アップ)によって、幸徳その他の社会主義者を逮捕します。明治天皇暗殺計画を企てたとして。翌年に死刑執行。まだ39歳の若さでした。
------鮮烈な人生を生きた幸徳だったわけですが、その人生の中で中江兆民から大きな影響を受けているんですね。先生である兆民が書いた『三酔人─』と、『二十世紀の怪物 帝国主義』の関係性はどうなりますか?
山田 この『二十世紀の怪物 帝国主義』は、『三酔人─』の続編みたいないところがあります。『三酔人─』の「洋学紳士」的な考えの一面を押し進めるというか。要するに「自由・平等・友愛」の主張ですね。それに「社会主義」という考えを加えるわけです。
『三酔人─』は、自由民権運動を通して近代化を考えてきた兆民が、では、国際社会の中で日本がどのように独立を維持していけるのかを考えた本です。表現形式としては、紳士君と豪傑君、そして南海先生という意見の異なる三人が、酔っぱらいながら議論をしていくという形になっています。
丁々発止の論議が展開し、最後は、紳士君と豪傑君の二人が南海先生に「日本の将来のヴィジョンをどのように作り上げたらよいか、先生のお考えを」という場面になる。
すると先生は、ともかく立憲制度を確立し選挙を行い議会を設置、憲法を制定し、それに則って外交政策をとればいいという。
それを聞いた紳士君・豪傑君の二人は、思わず笑って「もし今、おっしゃったようなことなら、今どきの子供や使い走りでもそのくらいのことは知っている」といったりする。
南海先生ばかりではありません。この本では登場人物の三人が三人ともそれぞれに批判されます。
『三酔人─』の面白さは、明晰な自己批評を踏まえたユーモア感覚で書かれているところにあります。他面では兆民の苦渋を表してもいますが。この本は、諧謔的な笑いを伴いながらも、ともかく自由民権運動が希求してきた国会開設、憲法制定が大切なんだというところでとりえあえず終るんですね。発表されたのは1887年、自由民権運動が最後の光芒を放った「大同団結」の時期です。
それから14年後の1901年『二十世紀の怪物 帝国主義』は発表されます。この14年の間に、大日本帝国憲法が発布(1889年)され、帝国議会が開かれます(1890年)。さらに日清戦争(1894年開戦)もやっていた。
この中で幸徳は、自由民権運動だけでは十分でないという考えにいきつく。
議会、憲法ができたということで、自由民権運動をやっていた連中の中には、やれやれといってそのままになってしまっている人がいるけれど、それではいけないと考えたのでしょう。
たとえば憲法発布の当日の兆民の様子を、幸徳は記録しています。兆民は憲法を読んで「唯(ただ)苦笑する耳(のみ)」だったと。それなのに、内容も見ないで憲法発布を喜び騒いでいる多くの日本人の姿をみて、幸徳もウームと感じたのではないでしょうか。
もう一つは、自由民権運動が、ある意味で「貧乏になる自由」を認めることにもなったということです。自由競争だけを良しとすれば、"格差"が生じるのもある意味、当然でしょう。まぁ世界は広いので貧乏になる自由を好む人もいらっしゃるかもしれませんが(笑)、死活問題の人々も少なくありません。
要するに自由民権運動だけでは足りないという、その最大の理由は貧困問題です。日清戦争後に貧民の問題が出てきました。横山源之助の『日本之下層社会』が出版されたのは1899年です。いいかえれば、自由民権運動が抱えてしまっている自由思想は、いわゆる社会進化論の弱肉強食に容易に結びつく。貧困問題を解決するどころか、貧民をより苦しめるだろうと考えたわけです。
------そういった現状批判を踏まえ、日清戦争後の日本が日露戦争へ向っていこうとする時、幸徳はその流れにものをいったわけですね。
山田 本書で、幸徳は、帝国主義のことを「愛国心+軍国主義」といっています。愛国心の「愛」は、別にそれ自体は良くも悪くもないものと思います。郷土愛というような意味では。しかし帝国主義を叫ぶ政治家などはそれを悪用する。国を愛するといいながら、実は自国民に対する愛なんかないのだと、幸徳は批判します。富豪や資本家は、同国人に対していかに「慈悲心」や「同情心」がないことか、と。その典型的な例としてあげられるのは、たとえば本書49〜51ページにあるナポレオン戦争後のイギリスです。自国の貧困問題が発生しているのに、なんで戦争なんだと。日本もまた同じ。国内問題は多くあり、苦しむ人は多くいるのに、外国に対しては日本は素晴らしい国で、強い武力をもった国だといって威張っている。見事に帝国主義の本質をズバリと突いています。それが『二十世紀の怪物 帝国主義』です。
------原書は、漢文混じりの文語体で書かれているのですね。どんな文章ですか?
山田 声に出して読むとよくわかると思いますが、切れ味鋭い文章だと思います。思想が音によって運ばれていくとでもいうか......。たとえばこんな文章。
「盛なるかないわゆる帝国主義の流行や、勢い燎原(りょうげん)の火の如く然(しか)り」
倒置法で強調したいことを最初にバシッという。おそらく英語の感嘆文、あるいは漢文の口調でしょう。そして漢語表現の特徴のひとつですが、言葉の圧縮力があります。さらに「火の如く然り」といって勢いをつけて、スパッと言い切る。
訳文では、「いま、帝国主義の流行はなんとも勢いのいいことだ。まるで野原に火の放ったような手のつけられない勢いである」としました。......漢語表現をなるべく使わないで文に勢いをつけるのって難しいですね(笑)。
それから幸徳の文章は、しばしば読者に決断を迫るような訴えかけの言葉が出てきます。
「ああ帝国主義よ」といって、「お前は、進歩か、腐敗か。福利か、災禍か。天使か悪魔か」と書く。これは帝国主義自体に呼びかけていると同時に、読者に「さあ、おまえはどう考えるのか?」と決断を迫っているわけです。
------その言葉のノリでいけば、次に「じゃあ、おまえは何をする?」と迫ることになる。つまりオルガナイザー的な言葉でもあるんですね。
山田 そう、説得の技術がある。なぜそうなるのかといえば、いいたいことがはっきりしているから。そういう意味でいえば、この本は非常にわかりやすい本だと思います。
それからユーモア感覚。大笑いじゃないがニヤリとさせる皮肉の効いた笑い。
------「幸徳秋水」っていう人物は、なにか怖い人というイメージがあります。だから、ユーモアがある文章を書く人だと思いませんでした。
山田 どうも「幸徳秋水=怖い人」というのは、まさに大逆事件で権力が作り上げたイメージではないでしょうか。幸徳はユーモア感覚が豊かで、皮肉も言うし風刺もする。頭に血がのぼって冷静さを欠き、自分の言いたいことだけを一方的にいうのではなく、事実をよくみる、そして相手の論理もよくみて、その矛盾を突いていく。対象との距離が、乾いた笑いを生んでいますね。本書の至るところにそれをみることができます。笑いの要素は、兆民の『三酔人─』にも共通します。
たとえば日清戦争後の日本について幸徳はこう書いています。
「国民が苦労して手に入れたお金や財産をしぼり取って、軍備を拡張し、生産的であるべきはずの資本を非生産的なもののために使い果たす。その結果、物価の高騰を招き、輸入の超過を引き起こす」
そして次に「愛国心をふるい立たせた結果がこれだ。頼もしいものだな」と続ける。
こういう皮肉で日本の政治や社会をじわじわと批判しながら、いうべきところではメッセージを明確に発信する。それもリフレインを使ってリズミカルに。
たとえば、本文77ページの「本当の文明の進歩とは、こういうものなんだ」と語るところは、3つのメッセージを書くのですが、その3つの文の頭には、すべて「故に知れ」という言葉を置く。語頭に同じ音をくり返す、「頭韻(とういん)」ですね。
1番目が「故に知れ、迷信を去って智識に就き、狂熱を去て理義に就き、虚誇を去て真実(トルース)に就き、好戦の念を去て博愛の心に就く、これ人類進歩の大道なることを」(だから知らなくてはいけない、迷信を捨てて知識を求めること、熱狂を取り払って理想と道義を求めること、内容空疎な誇りを捨てて真実を求めること、好戦の念を取り払って博愛の心を求めること、これが人類進歩の王道だということを)
次の2番目は「故に知れ、彼野獣的天性を逸脱すること......(後略)」となる。
3番目は「故に知れ政治をもて愛国心の犠牲となし......(後略)」とパシッ、パシッとリズミカルに続く。
------まさに文語的表現! 声に出して読むと、そのリズム感でより説得的になります。
山田 明治20年代くらいまでは、新聞でもみんな声を出して読むのが普通だったといいます。そういった読書環境を踏まえて書いた、舌によく馴染む言葉の中に社会主義のメッセージを流し込んだ書物、それがこの『二十世紀の怪物 帝国主義』だったといえるのではないでしょうか。
------また、そのメッセージが非常に明晰なんです。
山田 今の言葉でいえばグローバルな視点で書かれている。当時の日本が行おうとしていた帝国主義を、幸徳は世界の動向を分析しながら批判した。
幸徳は、世界的な視野から、大資本家と権力が重なった恐ろしい状態を、帝国主義の本質と見なして批判した。これは1901年発表の本ですから、帝国主義を批判した二大論者ホブソンとレーニンに先駆けての帝国主義批判です。その意味でもすごいことを29歳の幸徳秋水は行ったわけです。
------その優れた思想家が、1910年大逆事件で逮捕、翌年に処刑されます。
山田 世界的な視野でものをいう思想家は、権力にとって本当に恐ろしかったのだろうと思います。本書を読めばわかりますが、彼の反戦論、非戦論は理にかなっているでしょう。
その頭脳明晰な思想家がアメリカに行き、他国の労働者や社会主義者の運動を知り、人びとと交流し様々な経験をして、帰国します。その後に説いたのは「直接行動」でした。先ほどもいいましたが、「直接」といっても爆弾を投げるとかいっているわけではない、議会を通して主張をするのではなく、日常の生活、労働現場で行動しようということです。たとえばストライキを行おうと。
------その「直接行動」を誤読するような形で、権力は幸徳を逮捕する。天皇への「直接行動」テロを計画した人物として、この思想家を捕らえた。
山田 「誤読」というよりは、権力者の幸徳一派に対する恐れから生じた「でっちあげ」ですね。その処刑の前に、獄中で幸徳が書いた文章を、この本には入れました。それが「死刑の前(腹案)」です。
スラスラと読める、非常に透明感のある文章です。自分は今、死刑に処せられようとしている。「けれども今の私自身にとっては、死刑は何でもないのである」と幸徳は書きます。
なぜなら「ものの本質には、もともと終わりもなければ始めもなく、増えもしなければ減りもしない」と考えるからだと。
物体は存在する限り形は変わるとしても存在そのものがなくなる、ということはないと考えるわけです。徹底的な唯物論です。これは中江兆民の影響でしょう。兆民は唯物論の立場から、死ぬことは物質としての存在がなくなることではないとずっといってたんです。『続一年有半』で書いています。釈迦(しゃか)やイエスの霊魂は消滅してすでに長い時間が経つけれど、路上の馬糞は世界と共に悠久であると。これが兆民哲学の象徴的な表現です。釈迦やイエスと馬糞をならべて論ずるというのもいかにも兆民的ですが(笑)。
それはともかく、「死刑の前」というこの透明感のある文章を残して幸徳は死刑にされたわけですが、その後、幸徳はその著作を読むことが非常に難しい思想家になってしまった。幸徳の書物はすべて発禁処分にされたからです。『二十世紀の怪物 帝国主義』が復刊され、人々がこの文章を読めるようになるのは、第二次世界大戦後、なんと1952年になってからのことです。
幸徳の非戦論で、日露戦争を止めることはできませんでした。しかし、幸徳は非戦の可能性がゼロじゃない限りはやってみた方がよかろうと、身をもって示した人でした。事実、その効果というか影響はゼロではなかった。幸徳が死刑になったことが、そのなによりの証拠でしょう。
------それにしても、一人の人間を国家が消し去ってしまう死刑というのは強力ですね。今日、インタビューをしていて、2015年に生きている自分が「幸徳秋水」という字面に、ある禍禍しさを感じているのだということに気づきました。この人物とユーモアが結びつかなかったのです。処刑から100年以上たっているというのに、まだ、その威力は続いている気がします。
山田 死刑という結果から見て、よほどすごいことをやってしまったんだろうという話になるんですね。幸徳自身が「死刑の前」で書いているとおりです。今回の「新訳」で私が望むことの一つは、その禍禍しいイメージを払拭させることです。
幸徳秋水は、グローバルな視点で日本を見ることができた思想家であり、ユーモア感覚もあり名文家であったこと。このことを多くの読者に伝えたいと思いました。
------この本をきっかけにして、若い読者の中には大逆事件に興味をもつ人がいるかもしれません。そんな人たちにお勧めの本はありますか?
山田 大きな本ですが、神崎清さんが書かれた『革命伝説 大逆事件』(全4巻 子どもの未来社)がよいのでは。大逆事件を総体的に描きだしてこの本を超えるものはありません。この事件で処刑された人たちの汚名を晴らそう、真理を解き明かそうという情熱がひしひしと感じられる本です。まだ存命だった事件関係者からの話もいろいろ記録されています。
大逆事件は日本という国家にとって非常に深い意味のあることなので、関連するさまざまな本が出ています。神崎さんの本をきっかけに、そういった書物を探し出していけばよいと思います。
------さて、これからは山田さんのことについてお話を聞かせて下さい。専門は、「日本政治思想史」ということなんですが、どういう学問なんですか?
山田 学問の方法は様々あるのですが、私がしているのは、過去の思想家の思想を読んで、そこに見える政治や文化、社会に対する考え方を、今日のそれらに対する考え方と比較するというものです。何のために? 自分がいま生きている状況を把握するために、です。あるいはそれによって、いまある状況のよりよい方向性を探るために、ということになるでしょう。
私がとりあえず対象としていたのは、中江兆民と福沢諭吉。明治思想界の二大巨頭ですね。
どうしてこの二人なのかといえば、根本的な問題を突き詰めて考えようとしたからです。根本的な問題というのは、今日の言葉でいえば「近代とは何か」ということになります。
その「近代」とは、一つの定義として、「個人の尊重と平等とを基礎とした社会体制」とでもいいましょうか。つまり民主主義。士農工商から四民平等へ、ですね。中江と福沢が活躍していた時代は、試行錯誤の時代でした。欧米に学んで「近代」なるものを手探りで考えている時代。ことに明治ヒトケタ代は。そのいちばん最初の原点から日本の近代、ひいては現代を考えてみることが大切だろう、と思ったわけです。いま振り返って整理すれば、ということですが。
ところが幸徳の場合は、中江や福沢よりも年齢が下ですから、社会がある程度できあがってくる。大金持ちもいるようになって、体制を壊されたくないと考えたりするから、「個人の尊重と平等とを基礎とした社会体制」という民主主義の問題点がはっきり現れてくるわけです......。
------この研究を志したきっかけは?
山田 う〜む、その質問が一番難しいですね(笑)。こうなったから、こうなったんだとでもいうか(笑)。まるで『三酔人─』における進化論の話みたいですが(笑)。でもそれが事実に近いです。ただ、強いてあげるとすれば......、大学1年の時、一般教養科目で、日本思想史の家永三郎教授の「史学」の授業に出たことが何がしか影響しているかもしれません。同じ頃、加藤周一の「戦争と知識人」という論文を読んだのも大きかったですね。両者に共通するのは、アジア太平洋戦争、そして戦後日本をいかにとらえるかということです。
加藤周一については、たまたま家に『頭の回転をよくする読書術』というのがあって、高校生の時に読んでいました。不思議な縁ですが、この本、光文社のカッパブックスでした(笑)。その頃から、加藤周一という人には注目していました。なにしろ、いうことがとても面白くて、実に明快な語り口で、一読、圧倒されたという感じです。「読書術」という書名ですが、単なる読書の技術的な話を超えて、この世界において人生いかにいくべきかを説いているとも感じられたんです。大げさのようですが、田舎の素朴な高校生にはそう感じられたようです(笑)。考えてみると、幸徳の『二十世紀の怪物 帝国主義』の発想や書き方にも、通じるものがありますね。
で、ともかく大学で加藤周一をはじめ、いろいろ読んでいくうちに、日本人の思想と行動、といったことをよく知りたい、というように段々となっていった、という感じなんですね。
------加藤周一さんが、研究のきっかけの一人だったというお話しを聞いて、納得しました。というのは、本書の「解説」で山田さんが書かれていた、次の文章がとても印象的だったからです。
「幸徳が名文家であるのはよく知られた事実だが、文章の上手さは重要だ。「何を書くか」だけではなく「いかに書くか」を工夫すればこそ、多くの読者に読まれるのだから」
そう山田さんは書いて、今回の「解説」では幸徳の考え方だけでなく、表現のスタイルを多く語っています。この文章は、政治思想を語るものとして、とても面白いものでした。
翻って加藤周一さんのことを考えると、あの人は、国際的な政治状況などを語ると同時に、文学的教養もセンスももっていて、それをバランスよく表現できている物書きでした。
単に思想を伝えるのではなく表現スタイルにも目配りをするという山田さんの姿勢は、そこからきたのかと思ったのです。
山田 「戦争と知識人」が扱っているのは、知識人の「転向」の問題です。つまり知識と生き方とがどう関係しているのか・いないのかに注目して書かれた論文といえるでしょう。その点が非常におもしろかったのです。一方で加藤さんの文体です、興味を引かれたのは。内容と文体、その両者に引かれたことは、後に読むことになる日本政治思想史の丸山眞男にも共通するものでしょう(もちろん加藤と丸山はちがう点もありますが)。
そんな私から見ても、幸徳秋水は、魅力的な表現スタイルをもった思想家です。
そして今回、私の「新訳」の目標は、あたりまえのことですが、読んでそのままわかる日本語にすることでした。さらにいえば、漢文という壁や、大逆事件による禍禍しいイメージを乗り越えていける、現代の日本語にしようと思って訳したものなのです。気軽に『二十世紀の怪物 帝国主義』を手にしていただきたいですね。100年以上も前にああいうことを幸徳が考えてくれているんですから、パラパラとページをめくって、あれこれ自分でも考えてみるのも面白いのではないでしょうか。「あとがきのあとがき」でなくて、「まえがきのまえがき」みたいですが(笑)。
(聞き手・渡邉裕之)