『カメラ・オブスクーラ』『絶望』に続き、光文社古典新訳文庫のロシア語で書かれたナボコフ作品の第三作目、『偉業』の翻訳が完結した(2016年10月刊)。『ロリータ』『アーダ』をはじめとして、1945年にアメリカに帰化した後に英語で書かれた多くの作品と、多彩な技巧を駆使した難解な文体で知られるこの大作家が、ロシア革命から逃れたヨーロッパの地で、亡命ロシア人たち向けに書いたロシア語原文の初期作品群には、どんな特徴があるのだろう。一作目の翻訳開始から都合7年をかけて三作を訳し終えた、貝澤哉さんに話を聞いた。
長い間、ナボコフと言えば「複数の言語で書く亡命作家」というイメージが先行し、7、80年代ころの一般的な印象では、貴族としてロシアに生まれ、革命後に亡命してイギリスのケンブリッジに学び、ベルリンやパリの暮らしを経てアメリカに帰化した後に英語で発表した『ロリータ』で大成功、晩年はスイスのホテルに住んで悠々自適、趣味のテニスや蝶の採集をしながら創作を続けた高踏的でゴージャスな作家、といったところだろう。つまり、「国際化」が声高に言われ、バイリンギャルなどという言葉があった当時は、エキゾチックな魅力のある、難解でエロチックな作家という、わりと表面的でステロタイプ化したイメージが拭えなかったと思うのだ。
それが、今では「国際化」はほとんど死語になり、世界が「グローバル」になってきて、エキゾチックという感覚自体が摩耗してしまった。同時に、貝澤さんのロシア語からの翻訳作品で初めてナボコフに接する若い人も増え、そういう人たちの多くには、そもそも「国際化」というドメスティックなバイアスがないから、エキゾチックで表面的だったナボコフ理解にも変化が出ているのではないだろうか。
──最初にご相談したときに、難解で聞えたナボコフを、この初期三作でやってみようというご提案をいただきました。あのときに意図をあらためてお聞かせください。
貝澤 この三作を、文庫の形にして安く読んでもらえれば、ナボコフの敷居の高さが少しは和らいで、一般の人にも広く彼の良さを知ってもらえるのじゃないかと思ったことが一つです。
もう一つの「エキゾチズム」という問題ですが、当初ナボコフは、『ロリータ』の影響で、エロティシズムや少女性愛といったイメージだけで理解されがちだったんですね。ところが70年代初頭に、知性は国や言語をまたいで多様な領域を横断すると主張したジョージ・スタイナーの『脱領域の知性 文学言語革命論集』(由良君美ほか訳、河出書房新社、1972年、新版1981年)という有名な本が出て、世界の文学を比較研究する「比較文学」が流行ったりして、国別に分かれた「ロシア文学」や「フランス文学」の研究を超えたところに別の価値と面白さを見出そうという動きがでてきました。川端(香男里)さんや沼野(充義)さんなどが、「亡命」や「多言語」といったキーワードでナボコフを論じるようになった。「エキゾチック」とまでは言わないまでも、そういう国境を越えた視点からナボコフが読まれていた側面は確かにありました。
それが今では東京の街を歩く人の国籍や人種も多彩になったし、日本の企業でも日本人と外国人を分け隔てなく採用するといった時代です。その意味では、ナボコフ的な世界がエキゾチックではなく、普通のものになりつつある時代とは言えるでしょうね。
──それでも読みたくなるナボコフには、いまの読者にとって、一昔に考えられていたのとはまた違った魅力があると想像しますが、それは何だと思われますか。
貝澤 私の考えでは、大衆化された新しいメディアの時代が到来するなかで、小説をいかに面白く読ませるか、技巧を尽して追求しているところが、ナボコフの作品の魅力ということになるでしょうか。
もともと小説は大衆的な読み物として始まっていて、文学のなかでのヒエラルキーは相対的に低かったわけです。ロマン主義時代にも詩の方が高級で、散文つまり小説は低位のジャンルでした。それが19世紀に大衆的な人気を獲得して最も重要な文学形式に躍り出るわけですが、20世紀に入るとすぐ、今度は文学以外の強力なライバルが出現して、小説はそれと闘わなくちゃいけなくなる。たとえば映画です。映画によって物語を消費する別の選択肢が生まれました。映画が生まれてすぐアニメも誕生していますし、そうするとストーリーのあるものは全部映画になっちゃうわけです。ロシアで言うと、映画が入ってきたのはリュミエールの発明の翌年、1896年ですが、その直後から小説が原作になった映画が次々に作られて、人々が本を買わなくなる。映画を観たらそれで満足して、物語欲は映画で満たされてしまう。では小説はどうすればよいのか、心ある作家たちは考えたはずです。
おそらく、その考えた結果が20世紀の文学のあり方に影響しているのでしょう。私もよく学生たちに訊くんです。小説が映画やドラマやアニメやゲームに勝つにはどうしたらいいかと。実は答えはそんなに難しくはありません。映画やドラマやアニメやゲームにはできないことをすればよい。要するに、言葉自体を面白くするということですね。
──『カメラ・オブスクーラ』に目が見えなくなった美術の専門家クレッチマーに、元イラストレーターの悪漢ホーンが嘘をついて周りを想像させる、とてもスリリングな場面がありますね。あそこでナボコフは、言葉では物を見ることができない、しかし、その言葉でしか見えてこないものもあるとでも言いたげに話を運んでいく。それはどういうことなのか、ということに小説家ナボコフの魅力が、たぶん隠されているというわけですね。
貝澤 そういうことです。映画やアニメや漫画に勝つためには、言葉自体を面白くすれば小説にしかない独自の価値が出ると。だから、小説は物語を利用はするけれど、それを語る言葉自体を磨き上げ、面白くするほうにより傾いていく。少なくとも20世紀以降の小説はそうなってきたと思います。ナボコフはそのことに極めて意識的で、彼の小説を読むと、私の訳した三作品もそうですが、映画に出たい人物だとか、映画製作者、美術関係の人間など「見る人」がたくさん出て来る。その人たちが「目」を奪われて、「言葉」を通してしか物が見えないような事態に巻き込まれたり、「見た目」や「似たもの」に欺かれたりするわけです。そしてそれを読む我々自身も、言葉であらわされた不可視のイメージをどう読み解くべきか、という課題を突き付けられるわけですね。まさにそのこと自体に小説の面白さがあると教えてくれるのが、彼の作品だと言えます。
──『カメラ・オブスクーラ』のあのシーンは、クレッチマーの想像が当たっているかいないかということとは別に、言葉で映像を喚起することの不可能性がまざまざと見えてくると言うか、読む側にとっては彼が想像すること自体がアクロバティックでスリリングに感じられる場面です。ナボコフは、意図的にそういうメタ小説風の面白さを仕掛けたのでしょうか。
貝澤 そういうふうに私は読みますね。クレッチマーを陥れようとするホーン、彼は漫画家なのですが、悪意の塊のような男です。このホーンは、ある種、作者的な行動をする人物としてこの小説の中に書き込まれているんですが、面白いのは、クレッチマーの甥が山荘に駆けつけて悪事が露見したさいに、ホーンが素っ裸だったことです。これもよく学生に読ませて「なんでこの人、見つかったときに素っ裸なんだと思う?」と聞いてみるんですが、私の読みでは、ふつう小説の語り手、作者というものは、神の視点をとって自分は見られないところに隠れていて、ほかの人や全てのことを見渡して描写している。自分は姿を見せないのだからどんな格好していてもいい。たぶん、だから素っ裸なんですね。ところが、実は作者だってやっぱり生身の人間にすぎないので、結局は見つかってしまう。ナボコフは、そこを戯画化したかったんじゃないか。小説の語り手の視点とか、語りの仕掛けですよね、そういうものをすごく意識していると言えます。
──ホーンは場面を構想し、構成する男で、クレッチマーをチェスの駒のように思い通りに配分するんですよね。こっちこっち、あっちあっちなどと言いながら。そこには、楽しむばかりで真偽や善悪とはまるで関係がない。それが最後に足下を掬われる、自分があまりにも構想し過ぎたが故に掬われる、そういうところは、ポストモダンというと語弊があるかもしれないですが、時代を先取りしていた感じがします。
貝澤 それは鋭い指摘ですね。実はロシアでは1990年代にポストモダンにかんする議論がけっこう流行って、ロシアのポストモダン文学の歴史的系譜についても、いろんな批評家が論じてるんですが、そういう場合に必ずといっていいぐらい、ナボコフとバフチンがポストモダン文学の先駆として挙げられるんですよ。だから、その感想は的を射ていると思います。
──『偉業』は、『カメラ・オブスクーラ』や『絶望』以前に書かれた作品ですが、この二作と比べても、「見えない言葉で見る」ということの仕掛けを、読んでいて一番感じます。さらにポストモダンを感じさせるのは、「解説」にもありましたが、たとえば冒頭に突然出てくる水彩画のイメージですね。子どもの頃に見たこの絵にある暗い森の小径のイメージが、その後も一見なんの脈絡もない、無関係の場面で何度か登場する。同様のことはほかにもたくさんあって、貝澤さんは「繋がりなき繋がり」「無関係という関係」と書いていらっしゃいますが、僕はあれでプルーストの「記憶の間歇」を思い出しました。何か表向き脈絡のないことをきっかけに、突然昔の記憶が間歇泉のように吹きだす。それは文学として新しいものだったのだろうし、面白い。のっぺらぼうなただのリアリティではなく、時間の奥行と言うのか、立体的なアクチュアリティがあります。これが早くも『偉業』で出ているんですから、ナボコフという人は、その文学者のキャリアの最初からそこまで行っていたのかと驚いてしまいます。
貝澤 そういう点では、ナボコフは最初から完成されているところがありますね。一番核になる部分は、ある種できちゃっているんです。この3つの作品はジャンルこそ全然違いますけど、実はとても似ていて、たとえば『カメラ・オブスクーラ』の場合、ホーンが勝手に場面を構想してそれには善悪が関係しないという話がありましたが、『偉業』のマルティンも、政治的な良し悪しとは無関係に、自分勝手な計画を作って勝手な冒険に出かけてしまう。
──やることや構想することに、統合性や統一性が全くない。それってやっぱりポストモダン以降ですよね。そういう意味でも凄い。で、見かけは一番読みやすい。青春小説風に次々に物事が立ち上がって、考えてみると何の意味もないようなんだけど、読むとすらすらと読めてしまう。そこに「記憶の間歇」めいた深みがチラチラ見える感じが凄いと思う。完成されたナボコフという考え方には、作家論とは言いませんが、ナボコフの生い立ちとか経歴などから考えて、何か言えることがないでしょうか。
貝澤 それは難問ですねぇ。ナボコフが一体どこで、そういう自分のポエティクスや創作の核になるものを得たのか。いろんなインタビューや回想を読むとその核が何かということはわかるけれども、それが歴史的にどう形成されたかとなると、なかなか難しい。おそらく一つだけ言えるのは、ナボコフは1890年代の生まれですね。ロシア文学史の流れで見ると、象徴派がフランスから入ってくるのが1890年代、ちょうど彼が生まれたころだった。そのあとに、「ポスト象徴派」と呼ばれている世代が出てくるんですが、彼はその世代にどんぴしゃりなんです。マンデリシュターム(ポーランド出身のロシアのユダヤ系詩人、エッセイスト)などもちょっと年上ですがその世代で、ほかにもパステルナークやバフチン、ヤコブソンなどがいます。象徴派を簡単に説明するのは難しいけれど、象徴はシンボルですよね。つまりあるものを、そのものでない何かで指し示す。なので、象徴派の人たちは、異なるものどうしがつながりうる、つまりすべてのものは潜在的につながっていると考えていた。ボードレールの「万物照応」のように、世界のありとあらゆるものはつながり得ると、そういう統一的な考え方を持っていた。ところが、ポスト象徴派の世代の人たちはそれを拒否するわけです。「そんなことはないよ」と。
たとえばマンデリシュタームは、自分にできるのは、石工のように一つ一つの石を積むことだけだ、というようなことを言うわけです。要するに全体を見渡して、世界はこうなっているなんてことは言うことができないと。ナボコフにも、それに非常に近いところがあって、具体的な細部や実際に触ることのできる事物、そういったものが大事で、合理的な全体が先にあって細部が決ってくるようなあり方ではだめだと。嫌いなんです。そういう世代的な問題はある程度あるのかなという気はします。
──その相互の連関がなくバラバラで大切な一部を積み重ねていったときに、結果的に統一されていないのかというとそうでもなくて、たとえば演劇などの役者の舞台感覚には「記憶の間歇」に類することが実際にある、と言うか、それをきっかけに活き活きすることが多いと思います。
貝澤 それは深い問題で、イメージとか表象に関わる大事なことですね。芸術は具体的なもので、とりあえずはひとつひとつ形を作っていくわけですけど、表面の形だけがあるのではなくて、形があることによって、われわれを形の向うにあるものに誘うと言うか、感覚させようとするわけです。
──意識を越える、受動とも能動ともつかないものの大切さを、したたかなナボコフは意識的に知っていると?
貝澤 そう思います。ナボコフは、共感覚と言って、ピアノで或る特定の音を鳴らすと或る色が見えるとか、自分にはそういう不思議な感覚があるといろいろなところで書いていますけど、それもその一つですよね。つまり、ある表徴がシステムの違う別の表徴になぜか結びついていて、それが合理的、統一的に説明出来たり、互いに同じ全体の一部分というかそういう形で結びついているわけではなく、繋がっていないけれど繋がっているとでも言えばいいのでしょうか。そう考えていくと、たとえば同時代のベンヤミンの星座に関する理論、彼は一見バラバラの星の配置が星座として形を成して見えるということを引き合いに出して、モノゴトの単体では見えてこない本質は、他との繋がりなき繋がりにおいてこそ見えてくるということを語るわけですけども、それとも近いものがある。
──『偉業』の小説としての魅力を、翻訳者の立場に立って言うとしたらどうなりますか。
貝澤 いろいろな読み方があると思いますけど、やっぱり言葉そのものの魅力でしょうか。翻訳しているので、私は原文を読んでいるわけですが、ロシア語そのものが面白いのです。すごく面白いんだけど、その分、翻訳はし辛いわけです(笑)。
──読者としての感想を言いますと、読点の続く長い一文を読みながら感じる、時間の経過を含めて折れて曲がって捩れるような感覚、それはとても面白かったです。何が面白かったかと言うと、ストーリーが面白いから読んだことはもちろんあるけれど、それよりも、読点が続くあの訳文を読む持続する感触とでも言うか、それが面白かったと言っていいように思います。
貝澤 そう言っていただけると嬉しい。ロシア語で読んだときのその感覚を、なるべく日本語に移そうとしたので、すごく救われます(笑)。
──「わかりやすさ」という点では、どうですか。
貝澤 わかりやすさと面白さが根本的に矛盾するとは思っていませんが、私自身は、どちらかというと長い文章の方が好きなんです。吉田健一、石川淳、金井美恵子などの息の長い文体にむしろ魅力を感じる。普通、大学で研究論文を書くときもそうですが、文章を学んだり訓練をしたりというときには、それこそ「わかりやすく」とか、「論理的に」とか、「余計なことを入れずに、なるべく短く文章を切れ」などと言われるわけですが、これが自分の好みには真っ向から反しているわけです(笑)。なぜそうなるかというと、文学的な論理性、それぞれの作家が持っている論理性というのは、普段われわれが使っている合理的な論理とは違うと思うんですね。石川淳や金井美恵子もそうかもしれませんが、ナボコフの場合は、ある言葉が出てくると、勝手にそれに引きずられて出て来る次の言葉があって、そこで幾多の脱線や紆余曲折を経て、最後は元にふっと戻ってくると。そのジェットコースターのような感覚が面白いわけです。『偉業』は旅と冒険の小説ですが、もともと旅というのは新しいことや珍しいことが次々と起きるものです。だから文章もそれにあわせて、いろいろなところに行き着ついちゃあ、そこから連想してまた別のところに行くというふうに紆余曲折を経ていくという、まるで文章がストーリーを擬態しているような構造になっている。こういう作り方って、今だと、たとえば保坂和志のずっと鎌倉を散歩しているだけの小説なんかにも似てますよね。その意味では、非常に早い時期に、ある種ヌーボーロマン的とも言える狙いを持って出てきた、先駆的な小説だったと言えると思います。
いま大学などで教えられている文章術のノウハウは、やたらと「短くしろ」の一点張りです。私の大学でもそういうコースがあって、入学してすぐ「文章を短く切れ」と教えられ、実は文章が下手糞になってしまう。それで二年にあがった学生を、自分の授業でまた直すっていう二度手間になることをしています。問題は長いか短いかではないのに。
──そういうふうに言葉を情報化してしまうと、一義的に表した表面的な意味以外の隠れたニュアンスが見えなくなりますね。コミュニケーションは、ディスコミュニケーションへの配慮があって初めてコミュニケーションになるという、当たり前の前提が伝わりません。
貝澤 ええ。小説を読むことの大切さは、そういうことの中にもあります。言葉は情報伝達以外の拡がりを持っていて、それって我々の日常生活でも大事なわけですね。井戸端会議なんて、内容のないことをただ喋りあっていて、それが楽しいわけでしょう。一方で、ラインなどで使われている言語は疑似的な言文一致みたいな省略を重ねて、短くなる一方で、外の者にはほとんど通じない。
──もう一つナボコフの言葉について伺いたいことがあります。ナボコフはアメリカに帰化した後は、小説を英語で書くようになり、ノンネイティヴであるにも関わらず、外から見ると書く作品の構造がますます緻密かつ複雑になったという印象があります。母語であるロシア語で書いた作品の方がある意味でシンプルなのは、どうしてでしょう。
貝澤 それもなかなか答えを出すのが難しいし、要因はいくつか重なっていると思いますが、一つの考え方としては、まずロシア語で書いていた初期のナボコフには、読者の姿がわりと身近に見えていたことがあると思います。帝政末期のロシアは、識字率がとても低くて、小説を読めるのは限られた非常に教養ある層の人間だけでした。当時フランスやドイツなどにいた亡命ロシア人のなかにはそうした知識層が多く、彼らはナボコフに近い教育や教養を持っていたので、新人作家ナボコフには、そういう人たちにうまくアピールするように、ある程度わかりやすいコンセプトを打ち出して自分を売り込もうという狙いがあった。そういう意味では、彼はそうとう野心的だったようで、自作をいろんなところに売り込んだり、朗読会をしたり、『絶望』の映画化を画策したりと、かなりそういうことをしています。生活のためということもあったでしょうが、売るために相当奔走したようなんです。ただ、アメリカに行ってからは、大学で教えたり、とくに『ロリータ』で成功して巨万の富を得てからは、晩年をスイスの高級ホテルで過ごしたことからわかるように、こう言っちゃ悪いですけど、小説がある意味で道楽になった。要は、読者のことを考えなくなったということです。
これについては自身が、インタビューの中で実際に語っています。「私は読者のことなんて考えていません」と。こんなことを言える作家ってなかなかいないと思いますけど、読者に媚びなくとも生活はできるし、自分の好きな実験もいくらでもできるようになってしまったので、そういう点では『アーダ』や『青白い炎』のような怪物的な小説には、一般読者の能力を超越しちゃってる部分があるように思いますね。
──ナボコフのドストエフスキー批判などにも、そういう自由さというか、ある種、文学的な気位の高さを感じますが。
貝澤 ええ、貴族的と言いますかね。彼はもともと自由主義的な貴族なんで、そういうところは、はっきりしていますよね。
──話が前後しますが、亡命ロシア人の実態と言うか、彼らは社会的にはどういう階層をなしていたのですか。
貝澤 1917年の革命が起こってすぐにヨーロッパに亡命者が集結したわけではなくて、1920年代にかけて断続的に流入しているんですね。当初はドイツにいちばん人が集まりました。ドイツは亡命者に好意的だったし、第一次大戦後には巨額の賠償を負ってインフレが凄かったですから、外貨を持っている外国人にとっては有利で、たとえば日本の村山知義*1がベルリンの大邸宅に住んでいたのもそうですが、過ごしやすい面があった。それが20年代初期のマルクの切り替えでインフレが終息し、亡命先の中心が、フランスに移っていく。
今となってはちょっと想像しにくいですが、当時の亡命ロシア人たちは、革命政府はそのうちにつぶれて、みんなすぐにロシアに帰れると思っていた。グレープ・ストルーヴェという人が書いた『亡命ロシア文学史』という有名な本がありますが、それによると、少なくとも1920年代の後半になるまでは、みんなロシアに帰れると考えていた、自分を亡命者などとは誰も思っていなかったそうです。だから「亡命文学」という言葉もないと。彼ら自身は、自分たちは正統のロシア文学の続きをやっている感覚でいたようですし、ナボコフもおそらく自分の仕事を「亡命文学」とは考えていなかったはずです。
*1 村山知義 (むらやま ともよし):1901~1977年、日本の小説家、画家、デザイナー、劇作家、演出家、舞台装置家、ダンサー、建築家。若いころに原始キリスト教を学ぶつもりで一年ほどドイツに遊んだ。のちに全日本無産者芸術連盟(ナップ)、日本プロレタリア文化連盟(コップ)の結成に努力、日本共産党入党するなど左翼文化人として活躍した。
──貝澤さんとナボコフとのなれそめについて教えてください。
貝澤 今となっては、きっかけが何だったかは思い出せないですけど、学生のとき、80年代の初めころに、あの当時はナボコフの翻訳が古本屋にけっこう出回っていて、早稲田の古書店街に週に3回くらいは通っていたので、安く売っていれば買って帰るというような感じでしたね。たぶん最初に読んだのは『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』だったと思います。あれはかなり図式的でわかりやすい小説で、語り手がある人物を探していくんですが、実はそれが自分だってことに最後に気づくという構造を持っているんです。ちょっと『絶望』に似ていて、語り手と、語られる対象である登場人物が混同されてしまうわけですね。
そのころには加藤光也さんが翻訳された短編集(『ロシアに届かなかった手紙』集英社、1981年)なんかも出ていたと思うんですが、そういうところから入って、その後、露文の大学院に進んだ頃には、神田神保町の交差点の近くのロシア語の本屋さんに、初期ナボコフのロシア語初版をアメリカの出版社が復刻したものが、ペーパーバックで1冊2000円くらいの手頃な値段で並んでいたんです。それを片っ端から買って、全部はもちろん読めないけれど、ちょっとずつ読んでいました。実はそのときに『偉業』も復刻版で買って、これはかなり真剣に読んだはずです。でも、その頃は語彙力もないですから、辞書を片っ端から引かないとわからないような珍しい言葉がたくさん出て来て、何と人工的な文体なんだろうと思いながら読んでいました。『マーシェンカ』もロシア語で読んだ記憶があります。そんな感じでしょうか。もともと私の研究対象はロシアの象徴派だったものですから、ナボコフについて研究論文を書くわけでもなく、読者として好きで読んでいたという感じです。
ところがあるときに『ユリイカ』でナボコフ特集の話があって、沼野充義さんが執筆を勧めてくれました。それがナボコフについてちゃんと何かを考えて書いた最初です。ナボコフがロシア語で書いていた頃の亡命ロシア語雑誌をいろいろと当って、当時の批評などを調べて書いた簡単な文章でしたが、そこからナボコフについて真剣に考えるようになった。
──『ロリータ』でナボコフに入った人がかなり多いと思うのですが、貝澤さんはそうではなかったわけですね。
貝澤 ええ。私は、たぶん最初じゃなかったと思う。
──『ロリータ』がロリコンと連動している世代がいそうな感じがしませんか。吾妻ひでおなどの80年代のロリコンブームに乗って二義的にナボコフを知ってという。
貝澤 なるほど。でも、オタク文化やアニメ全盛のなかで今でもロリコン志向は根強いようですけど、おそらくそっち側から入って、逆コースで『ロリータ』を読んでも、物足りないのではないでしょうか(笑)。だから、あまり関係がないような気がしますね。
なぜナボコフは、「ペドフィリア(小児性愛)」や「少女愛」みたいなテーマに拘るのか、それは『ロリータ』だけのことではなくて、『カメラ・オブスクーラ』や『魅惑者』のような小説にも出てきて、繰り返し使っているテーマです。だから自分にとって使い勝手がいい、重要なテーマだったんでしょう。じゃあ、なぜそれが「小児性愛」や「少女愛」だったのか。この問題はずいぶん考えましたし、別の場所で話したこともあるんですけど、非常に広い意味で言うと、ナボコフの小説の根本的なありかたが、「繋がってるもの」が実は繋がっていなくて、「繋がっていないもの」がふっと繋がっていることを書くことにあるんだとして、その論理関係みたいなものを家族関係に適応したらどうなるだろうというふうに考えを拡げると、たとえば『ロリータ』の場合だと、ハンバートという男はロリータのお母さんと結婚してるわけです、再婚で。つまりハンバートとロリータは義理の父親と義理の娘という関係であるわけですよね。その親族としての関係が、恋愛関係というか恋人関係というか、それに向かってずらされていくわけですね。ですから、通常の関係が切れて別の関係がふっとできる。そういう意味ではこのテーマも彼の根本にある「繋がりなき繋がり」や「無関係という関係」、「全体を欠いた細部の肥大」に当てはまるのかなと。もちろん、それだけでは説明しきれない問題も多々ありますけど、少なくとも少女愛のテーマの元になっている論理性は大まかに説明できるんじゃないかなと思っています。
──ロリコンから『ロリータ』に遡るのは、どうやら無理があるようですね。ナボコフの作品にしても、今は貝澤さんにロシア語から訳していただいた初期作品を入口にして入る人の割合が増えてきているわけですからね。
貝澤 『ロリータ』のイメージが強すぎたことが、キワモノとは言わないけれど、ナボコフが普通ではない作家だと思われ、敬遠される要因になってきたのかなということはありますよね。ナボコフは最初に触れた「脱領域の知性」そのままに、いろんなものを縦横に横断して一つにつなげてしまう、そういう作品を書く人の一つの典型ですね。ナボコフという人は、そういう意味で、もともとはロシア人だけど、いわゆる昔の国民文学の作家とはまるで違うテイストを持っていると思います。不思議な作家で、似ている人がほとんどいない。最近では、国際的な作家はいろいろ現れていて、ロシア人でも、外国に住んで外国語とロシア語で書く多言語作家は多いですが、そうなった今の時代でも、ナボコフはダントツに変な人です(笑)。
(聞き手・今野哲男)